59話 携帯食と魔導師



 あいかわらずの暑さと強い日差しとなることが今日も予想されている。各地で観測史上最高の暑さとなったことが毎日のようにニュースでも流れていた。

 山が近くまだ自然が多く残された祖母の家の周辺もそれは同じ。だが、木々の多さや空の高さ、山からの風でその暑さも夏らしさに変わる。


 今朝もクロに起こされた恵真は、クロの朝食を用意した後に裏庭へと向かう。裏庭の家庭菜園に水をあげるのはまだ暑さが穏やかな早朝でなければならないからだ。

 トマトは赤く色付き、明日くらいには収穫しても良いかもしれない。きゅうりは青々としていてその濃い色合いからも料理に映えそうだ。恵真が今、一番使っているバジルも生育旺盛なのでこちらは早めに摂らなければならないだろう。


 裏庭にある水道の蛇口を捻ると、手に触れる冷たい水が心地よい。まだこの時間なら風も少しあり、その暑さも夏なのだと感じられる範囲だ。夏休みの子ども達の声がするのは朝のラジオ体操だろうか。夏特有のどこか高揚感に似た感覚を恵真も久しぶりに味わっている。


 これが終わったらバゲットサンドを作り、そのあとは朝食にしよう。この暑さを乗り切るためにも朝からしっかり食べようと恵真は思うのだった。




_____




 「鑑定!?…わ、私がですか!?」

 「えぇ、トーノ・エマ様としてギルド登録を行いました。それから3か月以内にギルド証を発行する必要があります。そのため、本日は冒険者ギルド長セドリックとリアム、そして魔術師を連れて参りました」

 「…ボクは魔導師だからね」

 

 セドリックの言葉を銀の髪の少年が訂正する。「魔術師」と「魔導師」そこに何の違いがあるかは恵真にはさっぱりわからない。だが、どうやら何か鑑定というものを受けねばならぬということを理解する。


 今日、セドリックはリアムと少年を連れて喫茶エニシを訪れた。おそらくは薬師ギルドへ卸す薬草の件や条件での話、あるいはこの前のタコ、いやセドナの様子を教えにきたのかと思って出迎えたのだ。

 だが、セドリックの口から出たのは「鑑定」という言葉。予想外である上に、心の準備も出来ていない恵真はおろおろとする。


 「鑑定は貴族などは皆、子どもの頃にしておる者が多いのです。魔力の有無は見てすぐわかるものですが、それ以外にも固有の能力を持っていればそれを伸ばすべきだと国や教会が推奨しております」

 「…そうすれば、優れた人材を確保できるからな」

 「…リアム、今はそれは言わなくてもいいだろう!えぇっと、話がそれましたが冒険者ギルドでは13歳からですね。そのときに知ると自分の向き不向きがわかりますから、パーティーを組みやすくなったり、知らなかった自分の長所や力に気付けるんです。もちろん、それらの情報は冒険者ギルド内で保全されます。ですが、外部者への漏洩は決して致しませんのでご安心ください」

 「…はぁ…そうなんですね」


 突然、降って湧いた話だが、話を聞く限り、普通であれば特に断る理由はない話なのであろう。だが、問題はその鑑定でどこまでわかるかということだ。健康診断でも検査結果ももちろん重要だが、体重などが気になってしまうように、問題はなくとも知られたくないこともあるものだ。


 そして恵真には年齢や体重以上に(いや出来ればそちらも積極的に開示はしたくないと恵真は思っている)気になる事がある。それは、恵真がこの国スタンテールの人間ではないという事だ。

 そう、恵真はあちらから見れば「異世界人」なのである。鑑定をすることでどこまでの情報が明るみになるのかが問題だ。国籍のように「ニホン」と表示されるとしたら、そこはどう説明すればよいのだろう。


 「…鑑定って、どんなことでもわかっちゃうんですか?ほら、過去を知られたくないとか、恥ずかしいとか、人には秘密にしたい事ってありますよね?」

 

 異国、というより異世界から来たという突拍子もない隠し事を多くの人に当てはまるような内容に置き換えて恵真は話す。あいかわらず、嘘は下手な恵真であるが嘘をつかずに自分の状況を話せるようになったようだ。

 そんな恵真の質問に、セドリックは納得したように頷き、笑顔を返す。


 「えぇ、女性の方にはそういうご心配がありますよね。ご安心ください。鑑定でわかるのは、個々の力、これは攻撃力とか防御力とかそういったもの。あとは種族ですね。こちらは人間とかエルフとか獣人とかそういった種族的な分類、あとは性別。他には…あぁ、年齢もわかってしまうのですが、ご安心ください。冒険者ギルドでは基本的に鑑定した者が13歳以上であることを確認するだけです」

 「そ、そうなんですね…それでしたら受けてみます」


 どうやら、恵真最大の秘密「異世界人である」その事実は明るみにならないらしい。年齢がわかるのは感情的には複雑だが、どうやらそれも鑑定を行う銀髪の少年だけにしかわからないようだ。であれば、そこまで気にする必要はなくなる。


 いや、むしろ恵真は少し気持ちが高まっている。裏庭のドアから始まった、この日々の中で恵真は魔法や魔獣が存在する世界であることを知った。だがそれに触れ合えたのはその裏庭のドアとリアムが買ってきてくれたクロの形のわたあめだけである。


 それがここにきてグッと恵真の冒険心や夢見る気持ちを刺激する言葉たちが登場したのだ。ギルド証、鑑定、魔術師、魔導師、ましてエルフや獣人がいるなど初耳である。恵真は内心のときめきを必死で隠している。


 「突然、申し訳ありません。トーノ様にお話を通してから伺うべきでしたが、口が堅く優秀な魔術師の選考には時間がかかりまして…今回、彼…オリヴィエがセドリックの元を訪れたため、このようにこちらに急遽伺う事となりました」

 「ねぇ、リアム。褒めてくれてるのは嬉しいんだけど、さっきも言ったけどボクは魔導師だからね」


 謝るリアムの横にいる銀の髪の少年が少し生意気な仕草で指摘する。可愛らしいその少年は確かに緑の瞳をしている。緑の瞳が魔力を持つ者の証と聞いたが、風の魔法使いルースも淡い緑の瞳をしていたことを恵真は思い出す。


 だが、目の前の少年の瞳ははっきりとした緑をしている。つまり、彼はそれだけ魔力を強く持っているのだろうか。深い海の色のような爽やかさを残す緑色の瞳を恵真はつい見つめてしまう。

 そんな恵真に少年は「ふぅん」と小さく呟く。


 「黒髪の聖女…だっけ?緑の瞳の魔獣連れてるからか、ボクの目見てもやっぱり動じないんだね。確かにあんなに深い緑の瞳は見た事がないよ。あのドアにしろ魔獣にしろ、忙しい中来た甲斐はまぁ、あったかな」

 「おい、オリヴィエ!言葉を慎め!」


 セドリックの注意も少年には届かないようで彼の目には魔道具に映るだろうエアコンや冷蔵庫をしげしげと見つめている。だが、恵真にしてみればまだ少年である彼の生意気さは可愛らしいものだ。14.5歳であろう少年オリヴィエ、思春期であればそれも自然な事だ。


 そんな時代が自分にもあったと恵真は温かい目でオリヴィエを見つめる。その視線に長い睫毛に覆われた緑の瞳が怪訝そうに恵真を窺う。


 「…なんか君、凄く失礼なこと考えてない?」

 「オリヴィエ!だから今、言っただろう!失礼な態度を慎めと!」

 「いいんですよ、セドリックさん。私、全然気にしてませんから」

 「…はぁっ!?」

 「ぶふっ!そうですか!オリヴィエの言葉などトーノ様は気になされませんか!それは傑作ですな!」

 「ふ、流石トーノ様です」


 豪快に笑うセドリックに納得したように微笑むリアム、そんな2人の間に座るオリヴィエはムッとした表情で頬を膨らませている。そんな様子からも大人と子どもの狭間にいるオリヴィエのアンバランスさが垣間見えて微笑ましい。

 再び微笑んでしまう恵真に、オリヴィエは一層機嫌を損ねるのだった。




_____




 「じゃあ、始めるよ。目を閉じて座っているだけでいいよ。ボクが魔力で君の鑑定をするから」

 「はい!お願いします」


 少し機嫌を損ねたようだがオリヴィエは恵真の鑑定をしてくれるらしい。

 恵真はもちろん、アッシャーやテオも緊張の面持ちでその様子を見守っている。2人にとっても鑑定は初めて見るらしい。魔術というなかなか見る機会のない行為を目に輝かせている。

 一方、セドリックはというと黒髪黒目の恵真が秘められた力があるのではと期待の眼差しで見つめている。横のリアムの表情は恵真の目にはどこか深刻にも見える。


 当事者の恵真はというとこの鑑定にセドリックより期待をしていた。

 今まで、言葉が通じ、読み書きも伝わること以外に恵真は異世界での恩恵を受けた感覚がない。確かに言語が通じたおかげでこうしてリアム達と交流が持てたのだが、せっかくの異世界だ、もう少し何か特別感が欲しいとも思わないでもない。


 少女時代に胸ときめかせた漫画や小説、映画の世界では魔法や特別な能力があった。恵真は異世界の者であり、この世界ではめずらしい黒髪黒目である。リアムが話したように、様々な伝承があるとしたらそこに不思議な力などそういった内容も含まれているのではないか、そう恵真は思うのだ。

 異世界、魔法、そんなファンタジーの世界と生まれた接点、期待するなというのが無理であろう。


 白く小さなオリヴィアの両の掌が恵真の顔の横に翳される。瞳を閉じた恵真にもほんのりと温かさが伝わっていく。



 「…何これ…どうなってるの…」



 驚きから漏れたオリヴィエの声に周りで見守っている者達からも小さな声が零れ、目を閉じている恵真の鼓動も早くなる。


 魔導師を名乗る少年オリヴィエが動揺するほどの結果、どんな力が恵真にはあるのであろう。黒髪の聖女、薬草の女神、そう呼ばれている恵真だが実際には特に変わったことはない。むしろ、料理以外には力になれていないと感じているのだ。

 でも何か特別な力が備わっているのなら、恵真にも何か出来るかもしれない。あのドアの向こうの世界で、人々のために特別な力を使う日が訪れるかもしれないのだ。


 驚きのあまり、黙り込んだオリヴィエをセドリックが急かす。


 「それで!トーノ様にはどんな力が備わってらっしゃるのだ!」

 「…言っていいの?それ」

 「お前が驚くほどのことなのだろう。ならば情報を俺達が聞いておいた方がいい。俺もリアムも彼女の代理登録を行ったからな」


 少しためらった様子のオリヴィエであったが、セドリックの言葉を聞いて考えを変えたようだ。


 「…そうだね、この子を守る必要がある。あんたらも知っといたほうがいいかもしれない。君も話しても構わない?」

 「は、はい!リアムさん達を信頼していますから!」


 オリヴィエの鑑定結果を待ち、喫茶エニシは静寂に包まれる。だが、その空気はどこか期待と興奮による熱気も感じられるものだ。


黒髪黒目の異国から訪れた女性トーノ・エマ、彼女の発想とそれがもたらす料理はこの街に静かな変化を起こした。そして、彼女が使う料理には薬草が含まれている。これは大きな変化をこの国にもたらす、そんな可能性に満ちているのだ。

そんな恵真の鑑定が行われた。新たな可能性が今ここでわかるかもしれないのだ。


 

 この部屋の人々の期待を感じているのかいないのか、オリヴィエは静かに口を開く。恵真は胸の鼓動を感じながら、胸元においた手を握りしめた。




 「…この子、力がなさすぎる。生まれたての赤ん坊くらい力がないよ!一体、どうやって今まで生きてきたのさ」



 誰も予想していなかった鑑定結果に、喫茶エニシには先程とは違う静寂が訪れる。

 だが、それも一瞬ではじけ飛ぶ。皆が様々な言葉をいっせいに口にしたからだ。


 「はぁ!?冗談だろう!黒髪黒目の聖女だぞ!お前の鑑定違いじゃないのか!」

 「は?ボクの力を疑うっていうワケ?いいよ、セドリック表に出なよ」

 「…エマさん、赤ちゃんとおなじなの?」

 「…で、でも僕らがエマさんを守りますから!」

 「…トーノ様、その…何と言ってよいか…」


 口々に飛び出した言葉も恵真にはどこか遠くに聞こえる。

 恵真の淡い夢は脆くも消え去ったのだった。


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