61話 携帯食と魔導師 3
「セドリック、入るよ」
ギルド職員も連れずセドリックの元へ訪れたのはオリヴィエだ。ドア越しに声をかけた後、中からの返事も待たずにドアを開く。
そんなオリヴィエに樽の中のセドナを愛でていたセドリックが呑気な声をかける。
「おう!宿屋は見つかったか?いいのが空いてなけりゃ俺んとこに来てもいいぞ!」
「却下だね!」
即答してソファーにぽすんと座り、オリヴィエは小生意気に足を組む。
「あいかわらず掃除も行き届かず、とっ散らかってるんだろ?」
「ははは!当たりだ!」
「宿は見つけたよ。しばらくこの街にいる予定になったから」
「喫茶エニシか?」
その言葉にふいと顔を背けたオリヴィエにセドリックは驚く。
オリヴィエの魔力はその瞳からも明らかなように他者より秀でている。幼い頃よりその優れた能力を買われ有望視されていたオリヴィエはそれに見合う努力もまたしてきた。その結果、ついに王宮魔導師となったのだ。
だが、彼が踏み入れた王宮という場は優れた力だけでは渡り合ってはいけないところであった。政治力、人脈、家の力、本人の能力以外の力が幅を利かせる。そして、他の魔術師たちも彼という存在に反発をした。
魔術師の中には貴族も多い。これは緑の瞳を持つ魔術師同士で婚姻を繰り返す者がいるからだ。確率としては決して高くはないのだが、それでもまったく持たぬ者同士よりは生まれる可能性が高い。貴族である彼らは幼い頃よりその関係性はさておき、互いに旧知の仲でもあるのだ。
魔術師としてではなく「魔導師」、それは自分たちの上に立ち、導き育てる存在である。そこに登用されたのが見知らぬ、また貴族ではないオリヴィエだったこと、それは魔術師たちの自尊心を大いに傷つけた。そのため、彼らの多くはオリヴィエの指示には従わなかった。
それでもオリヴィエの能力で埋め合わせ、成果を出していった。その結果、オリヴィエの王宮魔導士としての活躍も期待する声が集まった。だが、そんなオリヴィエへの高まる称賛が決定打となった。
オリヴィエを解任せねば王宮の魔術師や魔法使い、その全てが仕事を放棄すると貴族の魔術師たちより声明が出されたのだ。1人の非常に優秀な魔導師より、数十の魔術師、数百の魔法使いがいなければこの国はまわらない。結果、王宮魔導師としての任を解かれたオリヴィエは王都を離れ、厭世的に暮らしてきたのだ。
そんな彼が何かに関心を示すとはこんな面白い事はないとセドリックは思い、ニヤニヤしながら頷いている。オリヴィエは不快そうに眉間に皺を寄せ、睨んでみせるが愛らしい容姿も相まって迫力はない。ムッとした表情のまま、オリヴィエはぼそぼそと呟く。
「…彼女、また来いってさ。またあの店に、来いって…」
「おう」
「ボクの瞳、怖くないのかな」
「あー、まぁ、あの魔獣がいるからな。慣れてらっしゃるんだろ」
緑の色が濃い分、魔力も多いということ、それゆえ周囲から恐れを抱かれることもある。畏怖といえば多少は聞こえがいいが他者に恐れられ、拒まれる視線に晒されながらオリヴィエは生きてきた。幼い頃より感じてきたその視線や扱いに傷付き、居心地の悪さを感じていたのだ。
だがあの店ではそれがない。セドリックが言う通り、あの小さな黒い魔獣で彼女達も慣れているのだろうかとオリヴィエは思う。それ自体もめずらしい反応なのだが、あの店でオリヴィエが気になったのは他にもある。
「なんか、おかしいんだよね、あの店」
「おいおい、また失礼な事を言い出すつもりか?」
「そういうんじゃなくってさ、…いや、そもそもボクは礼を失してないけどね?」
「あーわかったわかった!で、何が気になるんだ?」
初対面の相手に対する態度としても問題であったし、薬草の件で世話になっているセドリックとしては気が気ではなかったがここは流すのが大人の対応であろう。まして、元王宮魔導師である男の言葉だ。その勘に耳を貸す価値は十分にあるはずだ。
「違和感があるんだ。あのドア、部屋、何か違和感がある」
「じゃあ、あの鑑定結果もか?」
「わからない。とにかくまたあの店に行って調べてみるよ」
考え込むように口元に指をおくオリヴィエに、またにやにやしたセドリックが大人げなく余計な事を口にする。
「来いって言われたんだもんなぁ!楽しみだよな!」
その言葉に座っていたソファーに置かれたクッションをオリヴィエが投げつける。だが、クッションは簡単にセドリックに受け止められてしまう。
「部屋にこもって本ばかり読んでると体がなまっちまうぞ!」
「ボクは魔導師なんだ!それも仕事なわけ!アンタみたいな筋肉バカと一緒にしないでよ!」
「な、筋肉バカ!?」
「あーあ、なんか気が変わったな。さっさと宿に帰ろうっと。なんかここ、魚臭いし」
「おい!セドナをバカにする気か?」
「…セドナ?何の話?」
オリヴィエの言葉にセドリックはハッとする。そう、可愛いセドナのことをまだオリヴィエは知らないのだ。手招きして呼び寄せようとすると怪訝な顔をしてオリヴィエは近付いてくる。その途中でハンカチを口元に当てたのはなぜだろうかとセドリックは思う。
「ほら、見ろ!愛くるしいだろう?この子がセドナだ!」
誇らし気に樽の中の謎の不気味な生物セドナを自慢するセドリックに目を向けることなくオリヴィエはぼそりと呟いた。
「…筋肉バカは上等過ぎた言い方だったな…ただのバカだ」
ニマニマと樽の中のセドナを愛でるセドリックに呆れたオリヴィエは冒険者ギルドを後にするのだった。
_____
ソファーに座った恵真はクロを膝に抱き、考え事をしている。休店日にもかかわらず、いつもと同じ時間にクロが起こしてくれるため、時間は十分にあった。
いつもと同じように庭の植物に水をやり、雑草を摘み、バジルやトマトも収穫した。その後、朝ごはんを食べ、その後片付けをして掃除をして洗濯もしてそれを干して、暑さが酷くないうちに明日のための買い出しもした。そんなふうに過ごしていたらもうお昼前である。
では、恵真が考えているのは昼食の献立か、というとそうではない。恵真が考えているのはオリヴィエのことだ。
先日、帰り際に「次回は何かごちそうさせてほしい」そんな言葉を口にした恵真であったが、何を作っていいのかがさっぱりわからない。一般的な10代の子が好むものといったら肉料理や揚げ物など、しっかりボリュームがあり、こってりした味付けの料理が浮かぶ。
だが、オリヴィエは「無駄は嫌い」だと言っていた。何をもって無駄なのかは説明されていないが、携帯食を常食としている事からも食事をすることに億劫さを感じている可能性がある。つまり、一般的な10代の子が好む食事はまったく彼の好みに合わないだろう。
この国ではどうかわからないが、オリヴィエのような食事をする人は現代にも少なくない。ビタミン剤や健康補助食品を積極的に摂ったり、食事代わりにする人もいるはずだ。多忙な人が増えた事、また健康への意識の高まりからそういった食品が生まれた事は恵真もわかるため、それが悪いとは思わない。
ただ、まだ10代のオリヴィエには早いとも思うのだ。
生きるために食べる、それは間違いではない。だが食事を楽しむ、それが悪いわけでもないのだ。
季節の恵みを楽しんだり、誰かと食べたことやそのときの気持ち、見た目や香りに味、様々な感覚を刺激する料理は思い出にも結ぶつく。
「でも、オリヴィエ君にいきなり携帯食以外のものを食べさせるのもなぁ…」
携帯食を常食としているオリヴィエに、他の料理を食べるように勧める。そんな本人が望んでいない食事を無理強いすることはさらに食事を敬遠する事にもなりかねない。
恵真としても強要する気はない。ただ、ほんの少し食事や料理に関心を持ってほしいのだ。無論、それ自体、恵真自身のエゴの可能性もあるのだが、帰り際にオリヴィエは恵真の言葉を拒みはしなかった。そこにわずかな希望を感じていた。
「クロ、オリヴィエ君、何なら食べてくれるだろ?携帯食を食べてるんだからそれに近いもの?ハーブを使った料理かな?あ、でも食事が長引くのもイヤだったり?うーん、じゃあ携帯食を食べる前提でそれに合う料理はどうかな?」
「みゃうん」
「…携帯食に合う料理?なんだそれは」
「みゃおん」
「だよね、ないよね。そんなの…」
膝の上でクロを抱きかかえながら、恵真は先程から1人悩んでいた。
そもそもオリヴィエはいつ店に来てくれるかわからない。いくら冷蔵庫があるといっても、この時期を考慮して保存できるものがいいだろう。あるいはいつもある食材であり、調理に時間がかからないものがいい。
「食事から外れちゃうけど、果実のシロップのジュースなら携帯食にもいいかな。携帯食って水分少ないし、このまえ来たときはオリヴィエ君、紅茶飲んでくれたし」
「みゃう」
そう2回目に訪れたとき、オリヴィエはアイスティーと携帯食を食べていた。ならば、飲み物であれば比較的受け入れやすいのではないかと恵真は思いつく。
「そっか…そうだよね!うん、それがいいかも!ね、クロ!」
「みゃううん」
1人で納得した恵真は嬉しそうにクロを抱きしめる。そんな恵真の気持ちをわかっているのかいないのか、クロも嬉しそうに鳴く。
「オリヴィエ君、気に入ってくれるかな」
セミの鳴き声と学校のプールに向かうのか子ども達の声が聞こえる。
1日のうちで最も気温が高くなるのは正午から2時くらいだろう。昼食を準備して夕方になったら今思いついた料理の食材を買い求めに、再び買い出しに行こうと恵真は思うのだった。
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