57話 夏野菜のラタトゥイユ 4

 


 恵真が発した言葉はリアムにもバートにも予想外のものであった。


 恵真が作るバゲットサンドは好評を博し、喫茶エニシではもちろん冒険者ギルドでも販売されている。鮮度が高く質の良い薬草を使いながらも価格は良心的で味も素晴らしい。今までなかった薬草の形で販売を担う冒険者ギルドは勿論、薬師ギルドからも関心を集めていた。冒険者達、そしてマルティアの冒険者ギルド長を務めるセドリックからも感謝と敬意を示す声がリアムには届いている。

 だが恵真は薬草を販売していくなかで、不安や葛藤を抱えていったというのだろうか。


 恵真が作ったバゲットサンドに薬草が使われている事に気付き、販売を進めていったのはリアムである。彼は恵真の状況に配慮した上でギルドへの話も進めていった。そのため冒険者ギルドへの対応が遅れ、セドリックには恵真の存在が気付かれてしまった。


 しかしそれを踏まえても拙速な行動をとるべきではないとリアムは考える。まだこの国の環境に不慣れな恵真、そして彼女が薬草の販売に躊躇していたからだ。

 そう、確かにバゲットサンドを販売する際に恵真が戸惑っている印象を受けていたのだ。今もまた、恵真はそんな不安や戸惑いをかかえているのだろうか。


 「私の住んでいたところでは薬草はあくまで食材として扱われています。でもここでは薬草と言われて…それでも喜んで貰えるのは嬉しかったんです。だけど昨日、サイモンさんの話を聞いていて…そこに病気や怪我、時には人の生死を分ける…私、改めてそれに気付いて…」


 自分の中で答えを探すように、恵真は言葉を選びながらゆっくりと話す。

 薬草が人の生死を分ける、それは事実である。時としてその状態や有無が生死を分ける薬草だからこそ、必要とされ普及が望まれる。そしてそれを扱う責任の重さもまた事実なのだ。


 「あ!だからこそ必要なんですよね!きっと、必要なんです。でも、本当にそれが人を救えるのか…なんだか心配になってしまって…上手く言葉に出来ないんですけど…」


 そう困ったように話す恵真の様子に、リアムとバートは視線を交わす。そこにはどこか安堵も含まれていた。薬草は人の生死を分かつ、その認識を恵真が持っていることに2人は安心したのだ。


 この国において価値のある薬草を常時入手可能な人物である恵真が、薬草の価値を理解しその影響を理解している。そして、出会った事のない誰かの生死の重さやそれと向き合う責任を、薬草から得られる価値よりも重く考えているのだ。


 恵真が今、感じている葛藤や戸惑いは人としてまっとうで信頼できるものである。

 だが当の本人はリアムとバートの前で心苦しそうに立っている。その様子を見かねたリアムが恵真に声を掛けた。


 「トーノ様が感じられた事はけっしておかしなことではありません」

 「え…」

 「そうっすよ。冒険者や兵士だって初めて魔物を前にしたときなんかは上手く立ち回れなくって…反省したり後悔したり…怖いって思ったりするもんすよ」


 バートの言葉にリアムも頷く。それは剣を持つ者が皆、経験する事であった。


 「えぇ、私も初めて試合ではない状況で人と対峙したとき、恐ろしさを感じました。そのときに感じた、人を傷つける、命を奪うという事の恐ろしさを私は忘れることはないでしょう」

 

 剣を持つ者は誰でも皆、初めて命あるものと向き合ったその日の事は忘れないだろう。仲間の命が失われる怖さ、そして仲間が救われた喜び、それを決して忘れる事はないのだ。


 「命の重さを考えるからこそ、戸惑い恐れる。その感覚は正しいものです。そして、だからこそ薬草がこの国に普及するべきだと私は考えています。今の状況で、助かる命は民ではなく貴族ばかりです。貴族である私が言うのはおかしいかもしれない。それでも、この状況は変える必要がある」

 「……はい」


 リアムの言葉に恵真は手をぎゅっと握り、頷く。だが次にリアムからかけられた言葉は恵真の予想とは違っていた。


 「ですが、その責務を負うのはこの国の上の者達です。あなたではない」

 「そうっすよ。トーノ様が抱え込む必要はないっすよね!まぁ、今ここで答えを出す必要なんかないんすから、そんなしょげた顔しないでくださいよ!」

 「えぇ、あなたには笑っていてほしいと思っております」

 「…うわっ。リアムさんって素でそういうこと言うんすね」

 「…何かおかしかったか?」

 「いや、おかしくはないんすけどー…なんていうか…ねぇ?」

 「なんだ?」


 恵真の前でリアムとバートが話す様子は普段と変わらない。抱えていた迷いを打ち明けるのは恵真にとって勇気がいるものであった。命、それは何よりも優先されるべきであり、その価値があるならば幾らでも香草を提供したい。一方でそれを実際に見ていない恵真にとっては未だ信じられぬことで、その責任を思うと足がすくむ思いがした。


 軽蔑されるかもしれない、そんな思いすら抱き、打ち明けた言葉を容易く2人は受け入れてくれた。今、涙が零れそうなのを恵真は必死で堪えている。いつも通りの温かなこの空間に涙は似合わないと思ったのだ。




_____




 リアムは翌日、再び冒険者ギルドへ訪れた。

 薬師ギルドへ薬草を卸す件に関しては、以前セドリックにも話していた。そのため、昨日の件で少し時間が必要だという事をリアムは伝えるつもりであった。


 だが、それは不可能であった。案内する職員には「今で良いのでしょうか?」そう問われつつ、訪れたギルド長室は重い空気に包まれていた。部屋の中央には沈痛な表情をしたセドリックが樽を抱え込むようにしてしゃがみ込んでいる。


 「…セドリック?何をしている」

 「リアムか…俺は、俺はどうしたらいい?」

 「どうした!何があったんだ!」

 「セドナが…!セドナが…!」


 セドリックがシグレット地域から調査のために回収した謎の生物タコはセドナと名付けられている。昨日見たときは樽の中で、泳いでいたが一体何があったというのだろう。

 リアムがセドリックに近付くと樽の中のタコはぐったりとした様子だ。


 「今朝から様子がおかしい…なのにまだわからないことが多い生き物だから対応が出来ず、こうして見守る事しか出来なくてな…」

 

 悲痛な声で訴えるセドリックだがリアムは顎に指を置き、何やら考えている様子だ。セドナのために何やら妙案を考えてくれるのかとセドリックは期待の視線をリアムに送る。樽の中のセドナを見たリアムが、ふむと頷きセドリックに言う。


 「これ…借りるぞ。誰か!他の容器はないか?これを入れて持ち運べるものがいい」

 「は!…おい、リアム、何をするつもりだ?」

 「見ればわかるだろう。連れて行くんだ」

 「…は!?ど、どこにだ!」 


 職員が持ってきた容器にリアムがセドナと水を移し替え、ギルド長室を出ていく。一瞬、驚きから固まっていたが、残されたセドリックは慌てて立ち上がり、リアムの背中を追いかける。


 「おい!待て!リアム!セドナをどこへ連れていく!」

 「あぁ、セドリックもついてきて構わないぞ」

 「そういう問題じゃないだろう!セドナを返せ!」

 「何とかしたいと思わないのか?」

 「思う!思うに決まっているだろう!」

 「じゃあ、ついてこい」


 この街有数の腕を持つ男たちが二人、タコを持って賑やかに出ていくのを戸惑いながらも冒険者達も職員たちも静かに見送ったのだった。

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