55話 夏野菜のラタトゥイユ 2
夏野菜のラタトゥイユと恵真は言ったが、基本的に夏に旬を迎える野菜が使われる。ラタトゥイユはフランス南部のプロヴァンス地方の料理である。トマトやナス、ズッキーニなどの夏野菜をふんだんに使うこの料理は日本でも馴染み深い。野菜を炒めて煮込むシンプルな料理だからこそ、野菜自体の旨味が味わえるのだ。
恵真が今回用意したのはトマトにナス、玉ねぎにズッキーニにパプリカである。このうち、トマトとナスは庭で育てたものである。ナスは少し形も悪いのだが、自分で育てた野菜だと思うとそれもまた味わい深い。
まず恵真は野菜を切っていく。玉ねぎは粗目のみじん切りにナスとズッキーニもそれに近い一口大にし、トマトは湯剥きして種の部分を抜き、ざく切りにする。今回はタコを知って貰うためではないのでひき肉を使う事にした。
まず鍋にオリーブ油を入れて、にんにくを加え香りを引き出す。そこに、ひき肉を加えて炒め、トマト以外の野菜も加え炒めていく。少ししんなりしてきたところで蓋をし、弱火にする。
水分が出てきたのを確認し、ざく切りにしたトマトを入れ煮込んでいく。通常トマト缶などを使う事が多いが、庭で採れたトマトが熟した旨味の強いものであったので使う事にしたのだ。塩胡椒にコンソメ、ローリエとタイムやローズマリーを加え、しばらく煮込んでいく。
ふつふつと音を立てて煮込む鍋からはトマトとにんにくとハーブの香りが合わさった食欲を誘う香りが漂う。自身で育てた野菜も入ったラタトゥイユ、木べらで混ぜながらその出来栄えが良い事を確信する恵真であった。
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「香辛料と薬草は同じなのか!」
「えぇ、そうですよ。ねぇ、リアム君」
「…今、ここでそれを口にしますか?」
ナタリアが驚きの声を上げるのも無理はない。現在、貴族の間で流行している香辛料が薬草と同一であることはまだ薬師ギルドですら一部の者しか知らないのだ。それを目の前にいる薬師ギルドの中央区域の支部長は公然の事実であるかのように口にする。
「有意義な情報は皆で共有すべきだからね」
「…それはそうなのですが…」
香辛料と薬草、それを輸入する商家と一部貴族の問題は未だ世間には明らかになっていない。貴重な情報を堂々と漏らす薬師ギルドの中央区域の支部長サイモンはリアムの視線に肩を竦める。
「貴重な情報を一部貴族が独占するのはおかしいだろう?戦いの場にいる兵士や冒険者にこそ必要な情報だし素材じゃないかい?」
「……えぇ」
その考えは薬師ギルドの人間としては問題だが人としては間違っていない。リアムやエヴァンス家にもその思いがあり、恵真が安価で薬草入りの食事を普及させているのを止めないのだ。
そのため、恵真やアッシャー達に危険がないようにコンラッドに命じ、その周辺を警戒している。彼女を冒険者ギルドに所属させるのも、明るみになった際に王家や教会の介入を防ぐためである。そういった意味では薬師ギルドへ薬草を卸す件も進めていきたいとリアムは考えていた。
そこで気がかりなのは薬師ギルドがどう動くかである。そもそも薬師達は政治的な動きを見せた事が今までにない。冒険者ギルドや商業ギルドの者に比べて、貴族などと政治的な関りを持つ傾向が稀である。関心が常に薬草に向く研究者気質なのが大きいだろう。そのため、あまり薬師以外と交流を持たないのだ。
「そのような考えを持つ薬師の方はめずらしいのでは?」
「うん、そうだね。彼らは薬草に興味はあっても人にはないからなぁ…まぁ、僕が言える事じゃないけどね」
確かに数回しか接していないリアムにもサイモンの興味の範囲が限られている事は察せられる。ここに薬師ギルドの者がいればサイモンに「お前が言うのか」と思うに違いない。
そんなリアムの思いは彼の表情には出ていなかったが、ナタリアやアッシャー、テオは怪訝な顔してサイモンを見つめている。それに気付いたサイモンは笑いながら説明する。
「いや、僕はね、自分で薬草を採取しに行くんだよ」
「御自身で?冒険者ギルドに依頼するのではなく?」
「うん、大抵1人だね」
「本当か!…そんな薬師がいるとは信じられんな」
サイモンの言葉にナタリアもリアムも驚く。多くの薬師は冒険者ギルドを通じ、依頼を出すか輸入した薬草を使用する。採取する場合でも冒険者ギルドに依頼し、パーティーに守られていくのだ。薬師が1人薬草を採取しに行くなど聞いたことがない。
「え?だって、自分の目で見て確かめたいでしょう?その薬草がどんな環境に育つのか。そのためには険しい森や山にだって入るよね」
「…いえ、一般的にはそうではないでしょう。この国で薬草が育つのは人里離れた険しい土地ばかり、そこへお一人で行かれるのですか?」
「他の薬師が一緒に行けると思うかい?それに冒険者達を連れていくと自由がなくなるからね。1人の方が自由がきいていいんだよね」
つまり険しい山野で彼は自由に動けるだけの力が備わっているという事だ。武術や剣術、魔法の力を備えていない多くの薬師は1人で行くのが困難な為、冒険者ギルドへの依頼か輸入に頼るのだ。いや、冒険者の中でも薬草を入手するのが容易い者ばかりではない。そういった理由から国内で採取される薬草も高額で、輸入ともなればそこに税がかかる。
だが薬草は回復薬など薬を作るのには欠かせない素材であり、兵士や冒険者には携帯食も欠かせない。そのため、高額であっても国は輸入せざるを得ないのだ。
「薬師はね薬草の力を借りて、人を癒すんだ。今の携帯食や入ってくる薬草ではその力を十分に使えていないんだよ。僕がここ、喫茶エニシに来る理由の1つが薬師としての使命感なんだ」
そう話すサイモンのヘーゼルの瞳は遥か遠くを見据えるようで。飄々として掴みどころのないこの男がなぜ薬師ギルドの中央地域を統括する支部長であるかを感じさせるものであった。
「何を考えているかわからない男」そんな印象を抱いていたこの男サイモンへの見方を変える必要があるかもしれないとリアムは感じるのであった。
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「これは…これは素晴らしい!まずこの美しい見た目!色鮮やかな野菜がいいですね。そして薬草の香りと風味、数種類の薬草が入っているのに争うことなく調和しています。そして味!野菜の甘みが引き出された中に、トマトの濃厚な旨味があり、そこに薬草があることがアクセントになっていますね!」
「ありがとうございます。サイモンさんは本当に香草が好きですね」
好きという優しい表現に当てはまるのだろうかとリアムは思う。だが、恵真の料理の味は確かである。数種類の薬草を使いながらも、それを「旨い」そう感じさせる範囲で効果的に使えるのだ。
「うん。バゲットに乗せても旨いな…くっ、これはエールが欲しい」
「うーん、麦茶でもおいしいよ?」
「うん、俺もそう思う」
「お前達も大人になればわかるぞ!」
「そうなのかなぁ」
ナタリアも麦茶を片手に、アッシャーやテオと会話をしつつ食べ進めている。始めは恵真に対しても素っ気ない態度であったナタリアであるがすっかり喫茶エニシに馴染んでいるようだ。
リアムもラタトゥイユを口にするがトマトの酸味に他の野菜の甘み、そこに加わる薬草が特有の風味を加えているのにそれがまた食べたいという気にさせるのだ。
「様々な薬草を食べてきましたが、やはりここまでのものに巡り合えたことがありません。…流石、女神です!」
「その…先程もおっしゃっていたようですが『女神』というのは?」
「もちろん、こちらの店主だよ!」
「私!?」
嫌な予感がしていたリアムであるが、答えがわかっていても確認しなければならない。サイモンが言う女神とは間違いなく恵真の事であろう。だが、言われた当の本人は黒の瞳を大きく見開き固まっている。そんな恵真に満足げにサイモンは頷く。
「えぇ、そうです!私はかつて信仰を持たぬ者でした。でも貴方と出会って私は知ったのです!信仰というものを!誰よりも上質な薬草を得ることができ、その薬草を巧みに使い、その効果を最大限に活かす『薬草の女神』貴方への信仰です!」
「……えぇ?」
「おい!やはり変人ではないか!」
今まで見た事がないような恵真の引きつった表情とナタリアからの指摘に、リアムも大きな手で額を押さえる。戸惑うようにサイモンを見つめるアッシャーとテオは健気にも恵真の前に立ち、彼女を守ろうとしている。そんな不穏な空気の中で、当のサイモンだけがニコニコと恵真の薬草の知識や調理を褒め続けている。
この短時間で様々な意味で、この男サイモンへの見方を変える必要があるかもしれないと思うリアムであった。
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