54話 夏野菜のラタトゥイユ
冒険者ギルドに訪れたリアムはギルド長セドリックに会えるか、顔見知りの職員に尋ねた。恵真が試作してくれたタコの料理を持参し、恵真から聞いたタコの生態などをギルドへ報告するのが目的だ。
だが、目の前の職員の表情が曇る。
「どうした?セドリックに何かあったのか?」
「…ギルド長は…ギルド長は魔物に憑りつかれていらっしゃいます…!」
「それは本当か!?」
「あ!リアム様!」
リアムは呼び止める職員の声に耳を貸さず、ギルド長室へと急ぐ。セドリックとは数々の依頼をこなし、また彼は先輩冒険者として若きリアムを導いてくれた存在でもあるのだ。ギルド長室への辿り着いたリアムは勢いそのままにドアを開く。
「セドリック!無事か!」
「おぉ!リアム!よく来たな!」
「…セドリック?」
ギルド長室に入って目に飛び込んできたのは大きな樽である。椅子に座り、執務をこなしていたであろうセドリックの隣に置かれた大きな樽。奇妙な光景ではあるが、先程の「魔物に憑りつかれた」という情報はなんであったのだろうとリアムは思う。
「その樽はなんだ?」
「あぁ、これはセドナのためでな」
「…セドナ?」
セドリックは未婚であり、妻でも娘でもない。セドナという名は長く付き合うリアムも初耳であった。そんなリアムの表情を見たセドリックはおかしそうに笑う。
「ほら、見ろ。お前も会ったことはあるだろう」
そう言われて樽へと近付いたリアムが見たのは確かに彼も見知った相手であった。
シグレット地域で捕獲したタコが悠々と樽の中を泳いでいたのだ。
「初めはその姿に慣れなかったんだが、数日過ごしていると愛着が湧いてな」
「…あぁ」
「で、名を付けたんだ!『セドナ』だ。いい名前だろう?」
リアムは先程の職員から聞いた『魔物に憑りつかれている』という言葉を思い返す。あれ程、その姿に慄いていたセドリックが今は大切そうに樽の中のタコ『セドナ』を見つめている。
『セドナ』というなら、タコはメスなのであろうか。そんな事をぼんやりと思いながら、目の前の奇妙な光景にため息を付くリアムであった。
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「で、ウチに来たっていうのかい?」
「えぇ、セドリックにタコに関する報告をしたのですが、『話は聞くが俺は食わん』の1点張りで…代わりに副ギルド長のシャロンに試食を頼み、食用可能であることは伝えました」
リアムが顔を出したのはホロッホ亭である。セドリックに確認を求めたが頑なに試食を断り、代わりに副ギルド長であるシャロンが行った。副ギルド長のシャロンは肝の座った冷静な女性であり、恐れる事もなくタコを口にしてその味を褒めた。後ろで非情だとぼやくセドリックに「戦いはいつでも非情です」と毅然と答え、リアムに報告の礼を述べた。
冒険者ギルドを後にしたリアムであったが、せっかく恵真が時間を割いて作った料理を殆ど残したまま、喫茶エニシへと戻るのは心苦しい。そのためホロッホ亭に寄り、料理への知識が豊富なアメリアの意見も聞いておこうと思ったのだ。
「未知の味とはまた冒険心を煽るじゃないか」
「トーノ様にバートそして本日、私も口にしましたが特に異常もあらわれておりません。トーノ様のお話では油が少なくタウリンという成分が含まれ、疲労回復にも良いとのことです」
「お嬢さんはどこでそんな知識を得たのかねぇ…ふむ、なかなか面白い食感だね。淡白な身だが、旨味がちゃんと出てるじゃないか。味付けがまたいいねぇ」
「マダムがそうおっしゃっていたとお伝えしておきます」
頷きながら恵真が作ったタコの料理を食べるアメリアにリアムは安心する。恵真には冒険者ギルドでの事を告げずに、アメリアの言葉や反応を伝える事にすればいいだろう。
「しかしキャベツにじゃがいもの件もだろう?サワーは今じゃウチの売れ筋なんだ。この間の米料理もどうなっていくのか楽しみだねぇ」
そう恵真が作り、影響を与えているのはバゲットサンドだけではない。この店を通して、食材や調理法も今までとは異なる価値観が広がっていっているのだ。薬草にばかり目が行くが、食事に関する考えや知識が正しく広がるのは庶民の食卓に大きな影響を与えている。
「お嬢さんに言っときな!借りはいつか必ず返すからってね!」
「ありがとうございます、マダムアメリア」
「礼を言うのはこっちだよ」
すっかり恵真を気に入ったアメリアの様子にリアムは笑顔を返す。冒険者になりたての頃、リアムはアメリアには世話になった。面倒見が良く、カラッとした気性のアメリアは信頼できる女性である。セドリックもだが、リアム自身が信頼を寄せる相手が恵真に力を貸すというのは心強い。
空になった容器を手にリアムは喫茶エニシへと向かうのだった。
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喫茶エニシに足を踏み入れたリアムはさりげなくある客に目を向ける。そんなリアムの元へと近付いてきたのはナタリアだ。
「…来ているぞ。前に言われた通り、代わりに見ておいた」
「感謝する」
「エマのためだからな」
そう言ってふいと顔を背けるナタリアだが恵真との距離はだいぶ縮まったらしい。リアムが来ても、恵真が心配なのか店から立ち去る様子は見せない。
こちらに気付いた恵真が微笑みを浮かべ、リアムの方に視線を向ける。すると恵真の前、カウンター席に座っている男もこちらを向き、特徴的なヘーゼルの瞳がリアムを捉える。
薬師ギルドの中央支部長サイモンである。
彼が喫茶エニシに訪れているというのはコンラッドから伝え聞いていた。であれば、薬師ギルドへ薬草を卸すことを望み、交渉しに訪れたと考えるのが普通だ。だが恵真達に尋ねるとそう言った交渉を持ちかける人物はいないという。代わりにアッシャーとテオから聞いたのは、薬草好きの変わった紳士が訪れ恵真と料理の話で盛り上がっているという情報だ。
おそらくはサイモンであろうと推測をし、この店を訪れるナタリアとバートに注意して欲しいと頼んでおいたのだ。
「お久しぶりです」
「おや、奇遇だね」
カウンターに近付いたリアムはサイモンに軽く挨拶をして、彼の1つ隣の席へと座る。薬師ギルドの所属する彼が鮮度の良い薬草を使う恵真の元にいる。それを「奇遇」と片付けるサイモンはなかなか良い神経の持ち主である。
「お知り合いなんですね。香草がお好きでよく来店してくださるお客様なんです」
「えぇ、ここで働きたいくらいですよ」
「また冗談を」
恵真と話すサイモンの様子はごく自然な態度で恵真を前に会話をしている。客の多くが恵真の姿に委縮してしまう中、サイモンのように対応できる者は少ない。それもあって、恵真も気負うことなく接客できるのであろう。
コンラッドからの報告では薬師ギルドから訪れるのはサイモンだけだという。薬草のために恵真と懇意になるつもりと考えるのは当然の事だ。
「あ、セドリックさんはなんとおっしゃってましたか?」
「…不在でした。代わりにマダムアメリアの元に伺い、料理を召し上がって頂きました。トーノ様の料理の味、またその知識を称賛なさっておりました。また、今までの事も感謝なさっているご様子でした」
「そんな…とんでもない…はい…ありがたい事ですよね」
褒められた恵真は何と返せばいいのか浮かばず、恐縮するばかりである。そんな恵真とリアムの会話を聞いたヘーゼルの瞳を持つ紳士が尋ねる。
「それはどのような料理なのですか?」
「新たに発見されたタコを使った料理なんです。私が試作しました」
「薬草は?薬草はお使いになりましたか?」
「えぇ、少し使いました。合うんですよー、タコと」
「…なんと」
そう呟いたサイモンは肩を落とし、顔を下に向ける。ひどく落ち込むその様子にリアムもサイモンが喫茶エニシに訪れる理由を悟る。新たな薬草を誰よりも先に知りたいという欲求から彼は1人、店に訪れていたのであろう。薬師は薬草への情熱が強い事で知られている。彼もまた薬草への好奇心で突き動かされているのだろう。それが薬師ギルドの者として正しいかは別として。リアムはあのおとなしそうな薬師ギルド長を思い出し、少し気の毒に思う。
恵真はショックを受けるサイモンの姿に慌ててフォローを試みる。
「少ししか入れませんでしたし!」
「でも、味が良いとホロッホ亭の女将が保証したのでしょう?」
「えっと…」
「いえ、いいのです。出会いは運、女神の采配です。今日の昼食にかけてみます」
「あ、あの…今日の昼食は香草を使わない冷製スープで…す、すみません!」
ショックで言葉を失ったサイモンは固まってしまう。その様子にリアムは驚く。出会った時のサイモンは一筋縄ではいかない雰囲気を漂わせていたというのに、今リアムの隣に座る男はただ薬草好きの男である。
だが恵真はそんなサイモンに心を痛めたようだ。
「そんなに食べたかったんですね」
「…えぇ、もちろんです」
「…じゃあ、作っちゃいましょうか」
「はい?」
そう言った恵真はブラウスの袖をまくる。リアムに持たせた料理はそれ程時間のかかるものではない。今、店にいるのはリアム達だけなのだ。アッシャーとテオは丁寧にグラスを拭いている。ナタリアはソファーに腰掛けながらもチラチラとこちらの様子を気にかけてくれている。サイモン以外は恵真も良く知る人物である。
冷製スープも自信作なのだが、ここまで望まれれば仕方ない。恵真はサイモンに笑いかける。
「夏野菜のラタトゥイユ、香草を幾つか入れて作りますね」
「…女神はなんと寛大な…」
にこやかな恵真とそれを仰ぎ見るサイモン、隣でその様子を見るリアムは想像とは違うサイモンの様子に眉間に皺を寄せる。ナタリアからは「話が違うぞ」そんな視線が飛んでくるが、リアムにとっても想定外だ。
嬉しそうにキッチンへと向かう恵真の後姿、それを期待の眼差しで見送るサイモン。困惑したまま、その様子を見つめるリアムであった。
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