35話 初夏のジャムと果実のシロップ 2
翌日、気まずさを抱えたバートは再び喫茶エニシに足を運んだ。
恵真の顔を見るまで、どんな態度で迎えられるか不安になっていたバートであるが、恵真はと言えば特に気にした様子も見せない。ホッと息を吐きつつも、カウンターテーブルから見えるジャムと果実のシロップを見ると、少し胸が痛むバートであった。
バゲットサンドは開店早々売り切れたため、相変わらず店には客がいない。最近は恵真の風貌にも慣れたのかワンプレートの食事を楽しむ人も僅かながらいるようだ。今は昼下がり、半端な時間でもあり客がいないのはどの店も同じだろう。
今日のメニューはミートボールと野菜をコンソメで煮込んだものだ。初めは2種類用意していたが、訪れる人数も考えて現在は1種類にしている。いつもの通り、もしゃもしゃと食べながら、ふとバートが疑問を口にする。
「そういえば、この店ってエールは置かないんすか?」
「エール?」
「このあたりで好まれる酒っす。大体の店はこの酒を置いてるんすよ。軽食を置く店でもエールは結構置いてるんでトーノ様はどうするのかなって」
バートの質問に恵真は食器を洗いつつ答える。アッシャーとテオはテーブルを拭いてくれている。特にお客さんがいないときは休んでくれて構わないのだが、気付くと彼らは仕事を見付けてしまう。そのため、恵真が積極的に声を掛け、休憩を促している。
「うーん、ウチは私とアッシャー君達なので。安全のためにもお酒は今のところ出す予定はないですね」
「そうっすか。うん、それでいいと思うっす。安全第一っすね。あ、そういや、ホロッホ亭でも最近はエールもなかなか出ないみたいなんすよね」
「どうしてでしょう。最近温かくなりましたし、お酒が出てもおかしくないんですけどね」
女性と子どもしかいない喫茶エニシだ。酔客の相手をする気がないため、酒類を置く気がない恵真ではあるが飲食店という点を考えれば、酒は売り上げに大きな効果があるはずである。温かくなってきたこの時期に、それが売れないとはどういう事であろうと恵真は不思議に思う。
「昔からの馴染み客には相変わらず人気みたいっすけど、どうやら若い客にはあまり人気がないみたいなんす。酒が売れないと料理もなかなか売り上げが上がらないみたいで、アメリアさんもめずらしく弱音を吐いていったすねぇ」
「そういう理由なんですね。エール以外にお酒ってあるんですか?」
「うーん、強めの蒸留酒しかないんで若い人は好まないっすね」
「そうなんですか…」
恵真の住む世界でも若者のビール離れがあるらしい。かく言う恵真もあまり酒を好まないほうである。バートの話からホロッホ亭は大規模な居酒屋といった店なのだろうと恵真は想像している。そこで酒が出ないのは大きく売り上げに響くだろう。
喫茶エニシは幸いにもバゲットサンドでそれなりに利益が出ている。それはバゲットサンドを出すよう、勧めてくれたアッシャーのおかげでもある。二人に休憩するように声を掛ける恵真は、何か彼らにそのお礼を渡さなければと考えるのであった。
_____
「うわぁ、きれいだねぇ」
「凄い!これも全部エマさんが作ったんですか?」
並べられたジャムとシロップの瓶は窓からの光を受けて、さらに涼し気である。ブルーベリー、甘夏、いちご、それぞれの異なる色合いもまた鮮やかで美しい。瞳をキラキラと輝かせ、アッシャーとテオは瓶を見つめている。
この前はいちご水を出したが、ブルーベリーと甘夏は作ったばかりだ。ブルーベリーはスーパーで購入したもの、甘夏は岩間さんに頂いたものを使っている。裏庭の鉢にもブルーベリーが植えられているがこちらは夏に収穫できるだろう。ジャムも果実水も休憩を兼ねて、2人にも試食してもらうつもりだ。
小さなグラス6つにシロップを注ぎ、氷を入れ水も入れる。それをマドラーで混ぜると果実水の出来上がりだ。ブルーベリー、甘夏、いちご、3種の果実水がアッシャーとテオの前に並ぶ。二人はそのグラスを見つめ、3つのグラスを見比べている。
「どうぞ、飲んでみて。それぞれ違う果物で作っているの。二人の意見も聞かせてね」
「はいっ!」
こくりとテオがいちご水を飲むと、その表情がぱあっと明るくなる。前回飲んだ時とは違い、氷も入れたため少し空気も蒸す今の時期にはちょうどいいだろう。
アッシャーは甘夏の果実水を飲んだようだ。その甘酸っぱさに驚いたようだが、テオ同様嬉しそうに再び口をつける。そんな様子をなぜか羨ましそうにバートが見ている。
「バートさんも飲みます?」
「い、いいんすか!?」
「もちろんですよ」
瓶から果実のシロップを掬い、グラスに移す恵真を見ているバートはウキウキしているのが見て取れる。アッシャーとテオはそんな様子のバートを見て、クスクス笑いながら果実水を飲み比べるのだった。
「あ、いいっすね!ジャムも旨かったっすけどシロップも旨いっすねー」
「ふふ、ありがとうございます」
「氷でひんやり冷えてて甘味もしっかり、贅沢な果実水っすね」
以前、リアム達と訪れた市場でも果実水は売っていた。だが、果実そのものの風味を生かした素朴なものが多い。恵真が作った果実水はどれも砂糖が入れられているだろうし、おまけにグラスには氷まで入っている。なかなか庶民には手が出ないだろうとバートは話す。
「と、いうことはお店では難しいですかね…」
「一応、リアムさんに要相談っすかね…バゲットサンドでもう注目浴びているっすから」
「うーん、でもジャムもシロップも保存が効くので。だから、まだまだ大丈夫です」
「あぁ、じゃあ良かったっす」
煮沸消毒もしっかりした瓶に入れたジャムとシロップは保存が可能だ。特にシロップは密閉式のガラス瓶に入れている。冷暗所で少し時間を置いても、味の馴染みが良くなるだろう。ジャムの方は開封したものは早めに食べる必要があるが、それ以外は保存が可能である。そのため、どちらも急いで店に出す必要はない。
「砂糖って、一般的には高価なんですか?」
「そりゃ、そうっすよー。だから、庶民は自然の甘みを楽しむことが多いっすね。市場で売られてる果実水も果実の味そのままっすよ」
「そうなんですね。お店ではどうしていけばいいのかな」
「あぁ、それは悩むところっすよね」
恵真が出したバゲットサンド2種は鶏もも肉とバジルのサンドとハチミツバターとミンスミートのサンドだ。肉が入った物が体を動かす冒険者に人気が高いが、ハチミツバターの物は一般の人々に人気が高い。子連れの女性や老人が嬉しそうに買っていくとアッシャーとテオから伝え聞いている。喜ぶ人がいるのであれば、甘味も出していきたいのだが周囲への影響も考えると頃合いを見る必要があるだろう。
アッシャーとテオはもう3種類とも飲み干したようだ。3つの果実水がどれがどう美味しかったのかを話し合っている。そんな様子を見た恵真は、ジャムの方も味見してもらおうとクラッカーを用意するのだった。
______
夜、一帯は静かである。風呂上がりの恵真は椅子に座る。恵真はなんとなく裏庭へと続くドアをぼんやりと見つめた。そのドアには鍵がかかっているが、それ以外の対応はもうしていない。初めは夜はキッチンに近寄らないようにしていたし、慣れてからもドアの前に一人掛けのソファーを置いていた。
今ではそのドアからは頻繁にアッシャーやテオ、そしてバートやリアムが尋ねてくる。恵真にとってそのドアは恐ろしいものではなくなっていた。なんだかんだ人間とは慣れる生き物だ。今では彼らと過ごす日々が恵真にとっては当たり前になりつつある。
リアム達に店をやりたいと打ち明けた夜。あのときとは似ていて、少し違うそんな状況を不思議にも少し面白くも思う。自分で店の名にもしたが、これも「縁」なのであろうか。
「みゃあ」
「クロ、おいでー」
テトテト歩くクロを恵真が立ち上がり、抱き上げる。柔らかく温かいクロの香りを思い切り吸い込んだ。恵真は安心感に包まれ、ソファーにどさりと座り込む。
そのとき、横になった恵真の視線の先に冷蔵庫とカウンターの果実シロップが目に入る。そういえばと恵真は思い出す。あのとき、恵真が飲んでいたもの、それを作る事は出来るのではないかと。
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