36話 初夏のジャムと果実のシロップ 3
最近は日差しも強くなってきた。意外にも紫外線が強いこの季節、恵真はしっかりと日焼け対策をして自転車に乗る。今日はクロは家でお留守番である。そもそも、猫は自由な生き物だ。恵真がいるときは、なぜか恵真の傍らにいるクロであるがいないときは自由に過ごすだろう。
今、恵真は近所のパン屋からの帰りだ。いつも用意しているバゲットはそのパン屋で買ったものだ。天然酵母を使ったパンらしく、地元でも評判の店だ。エコバッグからは紙袋に入ったバゲットが見えている。休日である今日は、こういった買い物や掃除、明日の仕込みなどで時間を使う。それほど、ゆっくり出来るわけでもないがそれなりに充実して過ごせていると恵真は思う。
次に恵真が向かうのは、地元のスーパーだ。地元の新鮮な野菜や果物が多く、恵真も足を運ぶことが多い。唯一の欠点は早めに行かないと、売り切れる物もある事だ。おそらく、この時期ならばまだ恵真の探しているものが手に入るはずだ。
自転車を止め、自動ドアをくぐると袋入りの様々な野菜が棚に並んでいるのが見える。どこのスーパーにも「○○さんが育てました」そんなプリントの野菜があるが、ここには地場野菜コーナーもある。同じ野菜が並んでいても違う農家が育てたものなのだ。
恵真はキョロキョロと辺りを見ながら、目的の物を探す。新鮮な野菜も気になるが、今日恵真が探しているのは果物だ。甘夏も良いのだが、もう少し酸味が強いものが今回は欲しい。
「あ、あった!あった!」
目当ての物が見つかった。それを数個手に取った恵真はレジへと向かうのであった。
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夕暮れの喫茶エニシには恵真とクロ、そしてリアムとバートがいる。日が暮れる前にアッシャーとテオは帰途に就かせている。以前より、母と過ごす時間が増えたと二人が嬉しそうに語っていた。
今日は試作品があり、二人に声を掛けていたのだ。恵真が昨日、スーパーで買い求めたものもそれに関係している。
「どうぞ、座ってください」
「トーノ様に言われてたもの、用意してきたっすよ!これ、何に使うんすか?」
「ありがとうございます!私じゃこちらの物は買いに行けないので、助かります」
カウンターキッチンにバートが買ってきたものが入った袋を置く。それを袋から取り出した恵真は、中身を確認している。リアムは知らなかったようで、袋から取り出すものをじっと見ている。出てきたものは、以前食べたルルカの実と液体の入った小瓶だ。そのラベルを見たリアムが不思議そうに尋ねる。
「そちらは蒸留酒ですか?」
「はい、色の薄いものを選んで買ってきて貰ったんです」
小瓶の中身は透明な蒸留酒である。バートに頼んで、ルルカの実と共に買ってきて貰ったのだ。だが、買いに行かされたバートも不思議そうにそれを見ている。
「でもこの前、トーノ様はこの店では酒を出さないっていってたっすよね」
「はい、その予定です」
そう、恵真は前回、バートにそう言ったばかりである。だが、恵真にはどうしても作ってみたいものがある。そしてそれは、すべてこちらの材料で作る必要があるのだ。ルルカの実を買って来て貰ったのは、恵真が唯一知るこちらの果物だからだ。ルルカの実は甘みも強く香りも爽やかで、皮ごと食べれるので今から作るものにピッタリだと恵真は思う。
恵真が昨日、スーパーで買い求めたのは国産レモンだ。甘夏でも良かったのだがそれでは甘味が強い。こちらでそこまで甘味が強い果実が手に入るかわからなかったため、酸味と香りが強いレモンにした。国産のレモンが買えるギリギリの時期が初夏だ。今回は皮もすり下ろして使う事を考え、国産レモンを買った。まずは皮をすり下ろす。すると、辺りには爽やかな香りが広がる。その実を半分に切り、絞り器でぎゅっと瑞々しい果汁を絞る。
「良い香りですね。大丈夫ですか?力仕事ですからお手伝い致しますが…」
「いえ、意外と力も要らないんですよ。こういう柑橘類っていうか…酸味と香りが強い果物ってこの国にもありますか」
「幾つかあるっすよ。酸味と香りが強い果物なら!まだこれは食べてないんで味はわかんないっすけど」
そんなバートの目は興味深々といった様子でレモンに注がれている。
「ふふ、酸っぱいのでそのままではお勧めできません」
「そうなんっすか…」
「でも、料理やお菓子に使うとその酸味や香りが凄くいいんです。これから作るものにもピッタリなんです」
がっかりとした様子のバートに恵真は笑いながら、答える。
絞った果汁を置いて、今度はルルカの実を恵真はフォークで潰す。なるべくその食感が残るように完全には潰さない。たまに驚くほど酸味が強いものがあるとアッシャーが言っていたが、それも潰す事で軽減されるだろう。ルルカの実を程良くを潰した恵真はグラスを4つ用意する。リアム用とバート用、それぞれに潰したルルカの実と絞ったレモンの果汁を入れる。そこに蒸留酒を入れ、良く冷やした水を注ぎ、マドラーで混ぜた。
そう、恵真が作ったのは果実のサワーだ。本来は炭酸水があると良いのだが、こちらで手に入るかわからないため冷水を使った。先日作った果実のシロップでも作れるのだが、こちらでは砂糖が高価だと聞いたため、実際に果汁や果実を入れる形にしたのだ。カウンターに並べられた赤いグラスと黄色いグラスはどちらも涼やかでさわやかである。
「いいっすよね?仕事も終わってることだし!味見は俺とリアムさんにしか出来ないっすからね!」
なんだかんだと理由をつけつつ、嬉々としてバートはグラスに口をつける。その瞬間、バートの表情が変わる。爽やかな飲み心地と自然な甘味は今までなかったものである。その涼し気な見た目も相まって、これからの時期には良いだろう。リアムもまた、その味を楽しんでいるようだ。
「こちらに炭酸水ってありますか?」
「タンサンスイっすか?」
「えっと、水に気泡?シュワシュワと…発泡?している水ですね」
炭酸水をどう説明したらよいのか恵真は言葉を探す。知っている物でも、それを表現するとなるとなかなか難しいものだ。懸命に考える恵真だが、どうやらリアムはそれに思い当たるところがあるようだ。
「酒風水のことでしょうか。確かそちらを作るのも風の魔法使いが行っていますね。力の弱い魔法使いは戦闘には向かないため、そういった日常での仕事をすることが多いんです」
「あぁ、確かわたあめも風の魔法使いが作っているんですよね、あるんですね。じゃあ、酒風水で作ったほうが良いって伝えてください」
「…ん?誰にっすか?」
飲み比べていたバートもリアムも不思議そうな顔で恵真を見る。そんな二人に恵真は笑顔でその相手を伝えた。それを聞いた二人は恵真の人の好さに呆れつつも、きちんと伝えることを約束したのだった。
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「へぇ、こりゃあいいじゃないか!」
「サワーっていうんすよ!他の果物でも作れるっす」
テーブルに置かれたのはグラスにルルカの実を潰したもの、もう片方にはこの国スタンテールで採れる酸味の強い果実トルートの実の皮と果汁、どちらにも酒風水と蒸留酒が入っている。赤いルルカの実、黄色いトルートの実、どちらも色合いが涼やかで美しい。これから暑くなる時期に、見た目から涼しくなれる酒だ。アメリアはグラスを持ち上げ、ルルカサワーとトルートサワーを見つめている。
「あぁ、確かにこれは新しいな。果物の自然な甘さや香りがあって、酒にあまり強くない者も楽しめるな。何より見た目がいい」
「はい!俺みたいに酒があんまり強くない奴にもいいですね」
ダンにもカーシーにも好評のようで、バートは鼻高々といった様子だ。そんなバートにアメリアがいつもではあり得ないほどにこやかに優しく声を掛ける。
「で、これは誰のアイディアだい?」
「へ?」
アメリアは呆れたようにため息を付く。
最近、エールの売れ行きが悪い。酒を中心として販売しているホロッホ亭では売り上げに大きな影響を与えている。それをバート達に話したのが数日前だ。そして今日、バートが新しい酒を考え、持ち込んできた。キャベツの件もそうだが、アメリアにはバート一人の考えとは思えなかった。
「このまえのキャベツ、今回のこの酒、どう考えてもあんたのアイディアじゃないだろう?」
アメリアの言う通り、どちらも恵真のアイディアであるがそれを伝えるべきか否かバートは悩む。恵真からはそれを伝えなくてもいいと言われている。
そもそも、誰から聞いたかを説明するには恵真についても少しは語る必要がある。リアムにも恵真が目立つのを避けるため、バートの考えだと伝えて置けば良いと言われた。だが一方で、アメリアには既にバートの考えではないと気付かれている。
どうしたらいいかとバートが悩んでいると、アメリアが何かに気付いたかのようにハッとする。
「あれか…あんたの彼女かい!そういや言ってたねぇ、料理上手の彼女が出来たって!」
「いや!それは…」
以前、ホロッホ亭に来なくなった理由を適当にぼかした結果、アメリアはバートに彼女が出来たと思っている。今、これを否定すれば、ではアイディアは誰のものかという事になるだろう。バートは曖昧に笑うしかできない。
「先輩に彼女が…」
「そういや、最近付き合いが悪いもんなぁ。そうか、バートに彼女か」
そうしみじみ呟く二人にも何も言えないバートはただエールを飲み干すのだった。
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「あらぁ、いいの?恵真ちゃん」
「いえいえ、この前の甘夏のお礼です」
「まぁー、ありがとう。ブルーベリーといちごね。トーストにもいいし、ヨーグルトにもいいわね。最近、ウチの人は朝はパンだから助かるわー」
「甘夏ありがとうございました。たくさんあったんで、ジャムとシロップにしたんです」
「あら、そうなの!」
恵真は隣の岩間さんの家へ、甘夏のお返しとして瓶に詰めたジャムを持参する。甘夏のジャムはこちらから頂いたものということもあり、今回は控えた。岩間さんは恵真から受け取った瓶を嬉しそうに見たあと、恵真に玄関で待つように伝えて家へと戻る。しばらくして戻ってきた岩間さんは何かを持っていた。
「これね、頂いたものなの。恵真ちゃん使えるかしら。もし無理なら、お母さんに持っていって。漬けてもいいし、シロップにも出来るのよ」
そう言って岩間さんから渡されたのは青梅だ。小振りな青梅がカゴいっぱいに入っている。梅酒にしても梅シロップにしてもいいだろう。祖母の家には果実のシロップとジャムがまだまだある。
これから楽しめる初夏の味覚に、恵真が笑みが零れるのだった。
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