31話 香草チキンのバゲットサンド 2

 

 やはり、今日も喫茶エニシには閑古鳥が鳴く。


 まだ開店数日、こちら側の特殊な事情もある。焦るほどでもないとは思うのだが入りにくい店であるというのは目下の課題であろう。

 今日は昼前からリアムが訪れた。アッシャーとテオに渡したいものがあるらしい。その後、昼休憩の時間という事もあり、心配したのか腹が減ったのか、バートも顔を出した。


 そんなバートはバゲットを煮込んだスープに浸して食べている。今日は鶏もも肉と野菜のミルクスープだ。アッシャーとテオにも食べさせたいと思っていることや、野菜が手に入りやすい環境のため、ついつい野菜が多めになる。炒めた玉ねぎの甘みと鶏もも肉のジューシーさ、ミルクの優しい風味も良くなかなかの出来栄えだと恵真は思う。


 「うん、やっぱこのパン旨いっすね!スープに浸けなくっても十分食べられるじゃないっすか!あ、でもスープにしみしみのパンも旨いんすよね。うん、これはこれでなかなか…」


 そう言ってもしゃもしゃとバートは食べ進める。アッシャーとテオも口に合ったようでニコニコと笑顔が零れている。そんな様子に恵真も安堵する。せっかく作った料理だ。お客さんの口に入らないのは残念だが、こうして喜んで食べてくれる人がいるのが救いだ。


 「こんなに旨いパンなんすから、もっとメインに押し出してもいいんじゃないっすか」

 「そうですか?」

 「そうっすよ。普段食べてるパンって硬いしぼそぼそしててあんまり旨くないんすよね。こういう適度な堅さと程良い柔らかさのパンってないっすもん。これなら、子どもでも食べやすいっすね」


 今日、恵真が用意したのはバゲットだ。それをカットして籠に入れたものを、それぞれ好きな分取る形にした。店でも煮込み料理と共に出すつもりであったが、店に訪れて貰えないのであれば売りにするのも難しいだろう。

 そう思う恵真に食べ終えたアッシャーが意を決したように話しかけてきた。


 「あの…エマさん」

 「ん?なに?あ、お代わりする?」

 「ち、違います!えっと…あの…」

 

 アッシャーはぶんぶんと頭を振って否定したが、言い出しにくいのか言葉を探しているようだ。不思議に思った恵真がアッシャーの言葉を待つと、おずおずとアッシャーは話し出した。


 「…あの、この前のバゲットサンドってお店で出せないかな」

 「え、バゲットサンド?」

 「うん、あれならお店の外で売れると思うんだ。お客さんに、お店の中に入って貰えないなら、お店の前で売ってみたらどうかな」


 それは発想の転換であった。気後れして入れないのであれば、店に入らない形で料理を体験してもらえばいいのだ。価格と味を知れば、おそらく何人かは店の客となってくれるだろう。

 だが、ドアの向こうでの販売は安全ではないのではと恵真は不安になる。そんな不安をリアムが吹き消す。


 「あぁ、大丈夫ですよ。この辺はそんな治安が悪い場所ではありません。ドアの向こうに出るのが問題なのはトーノ様の安全を考慮したためです。人の目もある中、子ども達に白昼堂々何かしてくることは考えにくいです。二人だけでもドアの前での販売なら問題はありません」


 リアムの答えに恵真は安堵し、アッシャー達を振り返る。


 「そうなんですね!…じゃあ、試してみようかな。ありがとう、アッシャー君」

 「いえ!以前食べて美味しかったので…」

 「うん!甘いのもしょっぱいのもどっちもおいしかったね」

 「いや、なんでオレは食べてないんすか!そうだ!試作品、トーノ様、まずは試作品作りから始めましょう!もちろんオレも協力するっす!」


 幸か不幸か未だこの店には誰も訪れないため時間はある。恵真はアッシャーのアドバイスを受け、バゲットサンドの試作へと乗り出すのであった。




______




 前回作ったのはアッシャーとテオに持たせるためであったので、家族3人で食べられるように新鮮な野菜を様々加えそこに鶏むね肉も入れて、比較的ボリュームを出した。だが、今回は販売用であり宣伝も兼ねるものだ。気軽に買えるシンプルなものがいいだろう。


 先程、シチューに使った鶏もも肉がまだ冷蔵庫に残っていたため、それを使った香草チキンのバゲットサンドにした。庭で採れたハーブがあるため、それと塩胡椒、粉末バジルを使って風味付けをした鶏もも肉をカリっと焼き上げる。1/4程にカットしたバゲットにはバターを塗り、ソースや肉汁が沁みないようにした。せっかく新鮮なハーブがあるのだ、バジルはそのまま挟んで出す。ソースはオリーブオイルやにんにく、塩胡椒などを合わせたオリジナルのものだ。


 それともう一つ、ハチミツとバターを混ぜたハチミツバターのバゲットサンドも用意した。ケーキ用のミンスミートがあったため、ハチミツバターを塗ったバゲットに挟む。ミンスミートはナッツやドライフルーツを砂糖やブランデーと漬け込んだものである。イギリスでは保存食の一つであり、パウンドケーキなどによく使われている。祖母が作ったのであろうミンスミートはスパイスも適度に入り、甘さもちょうどいい。


 そうして2種類のバゲットサンドを恵真は完成させた。それを温かい紅茶と共に待っていた4人の前に出す。アッシャー、テオ、バートは食事を済ませてはいたが試作品に興味津々と言った様子だ。リアムはというとその眉間に深い皺を寄せ、バゲットサンドの入った皿を見つめている。


 「うん!このあいだのも美味しかったけど、こっちも美味しいねぇ」

 「ほら、テオ!ソースが口に付いてるぞ」


 前回、バゲットサンドを食べた二人にはこちらも好評のようだ。美味しそうに食べる姿が微笑ましい。頬張るテオの口元にソースが付いたのを、拭いてやるアッシャー。兄弟の仲の良さに温かい気持ちになる恵真にバートの声が届く。


 「なんすか!なんでこんな旨いものをオレは食べてなかったんすか!小まめに顔を出してチャンスはいつでも逃さないようにしていたのに…」

 「えっと、お口に合ったようで何よりです。それでどうですか?販売に当たっての改善点とか注意した方がいい事ってありますか?」

 「改善点っていうか、幾らで売り出すかが問題っすよね。それ以外は問題ないっす!」


 3人からのバゲットサンドの評価に恵真がホッと息を付きそうになった瞬間、深いため息が恵真達の後ろから聞こえてきた。リアムである。何やら両手で肘をつき、紺碧の髪を押さえている。バートと比べ、恵真の前で態度に気を付けているリアムとしてはラフな姿である。


 「…いや、問題はあるだろう」

 「え?」

 「…はぁ」


 リアムからの思わぬ発言に、4人の目はリアムに注がれる。だが、そう一言溢した後、リアムは深いため息を付くばかりだ。

 急に黙ったリアムに恵真は不安になる。何かこちらでは受け入れられない食材などが入っていただろうか。そう思った恵真が座っているリアムに近付き、様子を覗き込もうとした。その瞬間、急にリアムが立ちあがり恵真の肩を両手で掴んだ。


 「…トーノ様、一体こちらをどこで手に入れたのですか?」

 「ひゃあ!」


 急に立ち上がった事と肩を掴まれたことに恵真が素っ頓狂な声を上げる。


 「リアムさん!レディーにそれはまずいっす!不敬!不敬っす!!」

 「あ…あぁ、すまない!いえ、申し訳ない!」

 「いえいえ、大丈夫ですよ」


 その言葉にハッとしたようにリアムは手を放し、すぐに恵真と距離を取る。

 席を立ったアッシャーが恵真を守るように前に立つ。そんな小さな紳士に恵真の心は撃ち抜かれる。実際には肩を掴まれたくらい、どうってことはない恵真ではあるが、アッシャーの優しい振る舞いは嬉しいものであった。テオはただ黙って視線をリアムに送っている。

 リアムがさらに謝ろうとするのを恵真は慌てて止めた。そんなことよりも気になることが恵真にはあるのだ。


 「リアムさん!」

 「はっ!」

 「この食事、何か問題があるんでしょうか?」


 恵真の声にびくっとするリアムに、些か厳しい表情で問いただす。そう、恵真が気になっているのは料理だ。いつも穏やかなリアムがこれほど深刻そうな様子なのだ。この国の文化ではこのバゲットサンドには何か問題があるのだろう。

 恵真の前にはアッシャーが、恵真の後ろでは座っているテオがリアムを見つめる。そんなリアムをバートは少し困った顔で、同時に面白そうに見ている。恵真の様子に、顔色の悪いリアムが普段より幾らか小さな声で話す。


 「…こちらに入っているのは薬草で間違いありませんか」

 「薬草?」


 バートの言葉に恵真は首を傾げる。恵真にはまったく心当たりがない。2種類のバゲットサンドに使ったものはすべて食用のものであり、普段から恵真も使っているものだ。特別なものは入れていない。

 そんな恵真の様子に焦れたのか、リアムが食べていないバゲットサンドを開いて恵真に見せてきた。


 「リ、リアムさん!なにしてるんすか!」


 その行為に驚いてバートが声を上げる。それは高位貴族として教育を受けてきたリアムらしからぬ行為である。だが、リアムは真剣な眼差しで恵真の返答を待つ。


 「こちらです。この緑の葉、これは薬草ですよね」

 「へ…?」


 リアムが指差しているのは裏庭で育てているバジルであった。

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