29話 春キャベツのコールスロー 2
「あ、バートさんもっとありますよ?食べますか?」
恵真は相好を崩し、バートにコールスローを差し出す。その向かいにはもしゃもしゃとコールスローを食べるバートがいた。先程までの言葉が嘘だったかのようにバートは生野菜であるコールスローを口に運ぶ。
「森ウサギが食べるイメージだと言っていたのは誰だったか」
「でも、エマさんが作ると生の野菜も食べやすいよ」
「うん、バゲットサンドの野菜も美味しかったよな」
呆れたようなリアムの隣で、しゃくしゃく音を立ててバートはコールスローを食べている。確かにテオの言う通り、このサラダはリアムにとっても食べやすいものであった。生の野菜特有の苦さや固さがあり、バートの言う通り、避ける者が多いのもまた事実だ。コールスローが野菜を薄切りにしてあることや手作りのドレッシングも食べやすい理由だろう。
「うん、旨いっす。思ってた野菜の味と違うっていうか…柔らかいし食感もいいし、これ食べやすいっすね」
「それは良かったです!意外と家でも簡単に作れるんですよ」
すると、話を聞いていたテオが恵真を見て尋ねる。
「エマさんみたいに道具や材料がないと難しいんじゃないかな」
「そんなことないよ。油と塩と胡椒、あとお酢を使うの」
「えっと…胡椒は絶対に必要ですか?」
「あ、なかったら大丈夫だよ?こっちに来て、今作ってみるね」
キッチンに向かった恵真はボールに酢と塩を入れ、泡立て機でよくかき混ぜる。そこにサラダ油を少しずつ加え、白っぽくなるまでよく混ぜた。今回、恵真が作ったのはフレンチドレッシングといわれるものだ。コールスローはマヨネーズを使うことが多いが今日はあっさりとドレッシングで仕上げた。スプーンに少し掬い、アッシャーとテオの手のひらに乗せる。
「酸っぱい!」
「でも美味しい。キャベツなら皆が買えるな」
小麦や肉に比べると野菜はやや価格が低い。そのため、庶民にもじゃがいもやキャベツ、人参、豆は身近な食材である。香辛料や砂糖などの調味料は高価であるが、今回恵真が使ったものは油、酢、塩の3種である。
「キャベツってスープとか野菜の付け合わせって思ってて…野菜って栄養がないっていうかついつい体動かす仕事してると肉やパンを中心に食っちゃうんすよね」
「確かにそれはあるな」
そんなバートとリアムの会話に今までにこやかだった恵真の眉が下がる。何か不興を買うようなことを言っただろうかと二人で視線で探り合うが思い当たることがない。
「…ルイスさんが来た時にも話したんですが、皆さん肉が栄養価が高いという考えがあるんですよね」
そう言われたリアムは恵真の表情の理由を理解する。
「えぇ、確かにそうかもしれません。そんな考えがあると思います。現にそのとき、トーノ様のお話を聞いていた私とバートも野菜や豆が良いという発想に今もなっておりませんでしたから…」
「あぁ…本当っすね」
気まずそうなリアムとバートに恵真は手を振って否定する。恵真としては二人を非難するつもりなどまったくないのだ。むしろ、今までの考えと異なる恵真の情報に耳を貸してくれただけでもありがたい。ルイスの時もそうだが、今の彼らの生活の全てを変える力は恵真にはない。だが、せめて彼らの生活に使える情報ならばそれを役立てて欲しいと思うのだ。
「例えば、キャベツってあんまり胃に負担をかけない食材なんです」
「だから、エマさんは今日、サラダとスープなの?」
「うん、そうなの。緊張してお腹が痛いとか、食べ過ぎてお腹が痛いとか、そういうときは食事に気を付けたほうがいいから、消化にいいものを食べたほうがいいのよ。キャベツは胃に優しい成分が含まれてるの」
テオの言葉に恵真は頷き、説明をする。そう明日の開店を前に、恵真は緊張のせいか胃が痛むのだ。そのため、刺激の強いトマトや油の多い鶏モモ肉を控え、サラダとスープを昼食にした。そういった雑学レベルの知識・感覚が広がればいいと恵真は思う。
そんな事を伝えるとリアムやバートは怪訝な顔を浮かべる。
「ですが、そのような価値のある情報があまり広がってしまうと、これからの店やトーノ様の利益を損ねるのではありませんか?そういった知識をトーノ様ご自身で生かす事も出来るのでは」
「そうっすよ。商業ギルドに登録して収益を得たりも出来るはずっすよ」
そんな二人の答えに恵真は首を振る。それらの知識は恵真独自のものではない。自身の物として登録しても、それは裕福な者にしか広がらないだろう。それは恵真の望むものではなかった。
「雑学というか…生活の知恵、ですね。困ってる人に広がったほうがいい知恵です。だから、皆さんも誰かが必要としてたら教えてあげてくださいね。今の私みたいに胃が痛いときはキャベツだって、ね」
そう言って恵真はお腹の上あたりを押さえて笑うと、二人の兄弟は元気よく返事をする。
「うん!わかった!ぼくたち、困ってる人に教えてあげるね」
「はい!そうします」
「あ!あぁ、でもお医者さんに診てもらわなきゃいけないようなことはダメよ?あくまで、ちょっと胃が疲れてるなとかそんなときにね」
「はい!」
二人の素直さに焦った恵真が生真面目に補足する。そんな3人の様子に、リアムとバートは目を交わし肩を竦める。風変わりで人の好いこの女性と真っすぐな兄弟がこの先もこのように笑えるように、リアムとバートは力を貸す事となるのだろうと思いながら。
______
「どうしたんすか?カーシー、食が進まないみたいっすけど」
冒険者や若手兵士達で賑わうホロッホ亭にバートはいた。もしゃもしゃと皿の料理を食べているバートに声を掛けられたカーシーはへにょりと眉を下げる。そんなカーシーの隣に座るダンはエールを飲みつつ、呆れたようにバートを見る。
「どうかしてるのはお前の胃袋だろう。いくら何でも食べ過ぎだ」
「いやぁ、カーシーがあまり食べないんで、先輩であるオレが代わりに食べてるわけっすよ」
「いや…俺はちょっと食欲がなくって。どうぞバートさん食ってください」
「ほらぁ、こう言ってるわけっすよ。それに今日はダンの奢りっすからね!」
「最後が一番大きな理由だろ!」
今日の稽古で負けたほうが後輩のカーシーに奢るという勝負、それに勝ったのはバートだった。普段は拮抗する勝敗だが、物がかかった時のバートはしぶとい。ダンは苦い顔でエールをあおりつつ、カーシーを気遣う。
「すまんな、誘ってしまって。逆に疲れさせたんじゃないか?」
「いえ、最近なんか胃の調子が悪くって…」
「あぁ、あれか。新人にやたら肉や酒を食わせる奴もいるからなぁ…。悪気がないのが逆にタチが悪いというか」
「あはは…」
そんな会話に今までもしゃもしゃと皿の料理を食べていたバートが口を開く。
「あー、そういうときは消化にいい食べ物がいいらしいっすよ。例えば…キャベツとか」
「は?キャベツ?」
「そうっす!キャベツは消化にいいし、胃に優しい成分が含まれているっすからね!」
二人に知識をひけらかしたバートは満足そうに再び皿にフォークを伸ばそうとする。そんなバートの真後ろから聞き覚えのある声が掛けられる。
「へぇ、そりゃ良い事を聞いたね」
「アメリアさん!」
「お前達、ちょいとお待ち!」
そう言ったアメリアは調理場に行き、皿に何かを大盛りにして持ってきた。それは皿に大胆にザク切りにされ、大胆に盛られたキャベツである。それをダンは訝し気に目を細める。一方、カーシーはキャベツを摘まみ、横のソースにかけて口に運ぶ。カーシーがシャクシャクと旨そうに音を立てて食べる姿に、ついついダンも手を伸ばす。
「…これは…なかなかいいな」
「はい!俺みたいに食欲が落ちてる奴にもいいですね!」
「こりゃあ、いい事を教えて貰ったね。やるじゃないか、バート。これは新しいメニューにしても良さそうだね」
「え、あぁー…まぁ、そうっすね!」
アメリアから掛けられた言葉にバートは微妙な表情と答えを返す。酒を中心としてはいるが飲食店であるホロッホ亭、そこに新しいメニューを加えさせてしまった。それもキャベツが胃に優しいという恵真の知識に基づいてである。
だが、恵真は必要とする者がいたら広めてもいいと言っていたことをバートは思い出す。そう、恵真は広めて欲しいと言っていたのだ。ならば、きっとこの新メニューも許してくれるだろうとバートは胸を撫でおろし、追加の皿とエールを頼むのであった。
リアムを前にしたコンラッドは兄弟の状況や恵真に関する噂など、現状の報告をする。恵真に関する噂はこの街に黒髪黒目の女性がいるらしい、また魔獣を操るらしいといったレベルのものである。そのため、アッシャー達の近辺も特に不審な様子はない。そんな報告を受けたリアムは明日、恵真の店が開店することを告げた。
「問題が起きるとしたらこれからだな。まぁ、あのドアがある限り、彼女は安全だろうが、アッシャーやテオの事を頼む」
「はぁ…勿論リアム様の命です。我々はそれに従いますが…やはり、その女性の身柄を預かったほうが問題なども起きず、有利に事を運べるのではありませんか」
ため息を付きながら、私見を言うコンラッドにリアムは笑いながら答える。
「あぁ、お前みたいな考えの奴がいるからな。くれぐれもドアの向こうには出ないように言っておいたよ。そのほうが彼女のためだろう」
「…敢えて問題を起こさせる気ですか?」
「それは穿った見方をし過ぎだな。まったく誰がお前をそんな風に育てたんだ?」
そう言って肩を竦めるリアムだが、コンラッドを拾ったのはリアムであり、育てたのはエヴァンス家だ。コンラッドをこんな風に育てた一因にリアム自身があるだろう。黒髪黒目の女性、国や教会と揉める匂いしかしないのに、なぜエヴァンス家の人間は彼女を見守ろうとするのかコンラッドには理解が追い付かない。そうぼやくコンラッドに事も無げにリアムは答える。
「まぁ、国や教会に忠誠を尽くす義理もないからな」
貴族であるとは思えないリアムの言葉にコンラッドは深いため息をつく、無意識に胃を押さえた。
「…コンラッド、胃が痛いときはキャベツを食べたほうがいいらしいぞ」
「は?今、なんと」
「いや、なんでもない」
そう言って笑うリアムに、コンラッドは目を瞬かせるのであった。
_______
時計は12時を回った。
煮込み料理を2種類作った恵真はソファーの上で少し休憩をしている。冷めたら鍋を冷蔵庫に移して、寝るつもりであった。
だが、どうにもソワソワして落ち着かない。料理をしている間は良かったのだ。することがなくなった今、明日への不安が出てきてしまう。どんな人が来るだろう、どんなふうに接客をすればいいだろう、会計を間違えたりしないだろうか、そもそも黒髪だと皆、驚くのだろうか。新しい日を前に心配が尽きず、ソファーの上でクッションを抱えてゴロゴロとする。
そんな恵真の目に看板が映る。リアムが贈ってくれた喫茶エニシの看板だ。あちらの言葉で書かれた文字に凛々しいクロの姿が彫られている。恵真はリアム達の顔を思い浮かべた。アッシャーとテオがいて、恵真の料理を食べ、喜んでくれた。誰かのあんな笑顔をみたい、二人と一緒に。
緊張するのは悪い事ではないという。それだけ思いがあるからこそ、緊張するのだから。
テトテトと近付いてきたクロを抱きしめる。みゃあ、と鳴いたクロは恵真の頬を舐める。明日、いよいよ始まるのだ。恵真はクロの香りを思い切り吸い込んだ。
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