28話 春キャベツのコールスロー


  開店日を明日に控えた喫茶エニシ、恵真はアッシャーとテオと準備に勤しむ。3人を気にかけてか、リアムとバートも顔を出した。なぜかリアムは荷物を抱えている。

 粗方の準備が済んできたところで、休憩にしようと恵真が紅茶を用意する。いつもの紅茶に、茶菓子として添えたのは苺のジャムとクラッカーだ。クラッカーは市販のものだが、ジャムは庭で採れた苺を使った恵真手製の物である。

アッシャーとテオはクラッカーを嬉しそうに口に運ぶ。バートもいつものようにハチミツを紅茶に落とした。そんな中、リアムは先日のホロッホの卵への疑問を口にする。


 あの日、確かに薄青色のホロッホの卵が薄緑色になったのを3人は見た。それは無精卵の卵が有精卵となったことを意味する。常識ではあり得ない現象を3人は目の当たりにしたのだ。


 「先日の卵ですが、なぜ色が変わったのでしょう」

 「うーん、あの日は雨で曇ってましたし。晴れたときと比べたら、同じ色でも違って見えたとか…」

 「そもそもがオレらの見間違えだったり?でも、しっかり薄緑でしたよね」


 腑に落ちない表情のリアムにバートが肩を竦めて言う。


 「まぁ、考えても答えが出るわけじゃないっすよ」

 「そうですね。何より無事に卵が孵ってるといいですね」

 「…えぇ、そうですね」


 あの男ルイスは病を抱えた息子のために大金を叩き、ホロッホの卵を買い求めたという。恵真が豆でも肉に近い栄養を取ることが出来るという知識を与えたが、それでもホロッホが孵るに越したことはない。

  現在、卵は庶民にはやや高めの金額設定となっている。理由は現在、家畜としているクラッタが小さめの鳥であり、その卵も小振りなためだ。そのため、国が新たにホロッホの家畜化に力を注いでいる。そのことを恵真に話すとなぜか嬉しそうな表情を浮かべた。


 「では、上手くいけばもっと気軽に卵を街の方が食べられるんですね!卵が広がれば、もっと料理の幅も広がりますし、より栄養価が高い食事になりますね。うん、良い事ですね」

 「まぁ、そうっすね!卵料理、旨いっすもんね」


 自身には関係のない庶民の食生活の充実を喜ぶ恵真の視点。自然に民の事を案じられる素養が彼女にはあるのだとリアムは思う。ルイスの件で恵真が見せた食と栄養に関する知識も、リアムにとって興味深いものであった。それを惜しみなく雨の中訪ねてきた男に与えてしまう辺りが、どうにも危なっかしく同時に恵真の人の好さが出ている。

黒髪黒目であり魔獣を引き連れている事だけでなく、それ以外の点でも恵真は関心を集めそうでリアムはそれを案じていた。


 そんなリアムが今日訪れたのは準備を手助けするためでもあるが、もう一つ大きな目的がある。気に入ってくれるか不安を抱きつつも、それを皆の前に置いた。


 「開けてもいいですか」

 「もちろんです。どうぞご覧になってください。お気に召す品であればよいのですが…」


 テオの腰と同じくらいの高さの四角い「それ」から恵真は白い布をはぎ取る。その瞬間、アッシャーやテオ、そして恵真から歓声が上がる。それは、喫茶エニシの看板であった。

 店の様相にも似合う深いブラウンの木で作られた看板、「喫茶エニシ」の名と共にデザインされているのがクロである。右に名前、左にはすっくと遠くを見るクロが彫られていた。


 「素敵…凄く素敵です!いいんですか、リアムさん!こんな立派な看板を頂いて…」

 「そういって頂けると嬉しいです。トーノ様の御都合が良ければお使いください」

 「御都合はばっちりですよ!ありがとうございます!」


 恵真の反応にリアムは穏やかに微笑む。アッシャーとテオはしゃがみ込んで、彫られたクロと本物のクロを見比べている。クロも看板の前に座り、まんざらでもない様子だ。


 「どっちも可愛いけど、本物の方が目がくりくりしてるね」

 「にゃあ」

 「でも、こっちの看板も格好良いぞ。気品があるっていうか」

 「にゃあ」

 「いや、どっちも格好良いけどさ」

 「みゃあー」


 いつの間にかアッシャー達とクロはかなり親しくなったようだ。看板の猫とクロと二人の兄弟、可愛らしい光景に恵真は微笑む。そんな恵真にバートがなぜかちゃんと自分は友人を客として連れてくると力説してくれる。首を傾げつつも、良い人たちに恵まれたとしみじみ思う恵真であった。




_______




 ちょうど時間帯が昼食時なので、恵真がキッチンに立つ。明日の事もある。せっかくなのでアッシャーとテオには給仕をして貰うつもりだ。今日、恵真が用意したのはチキンのトマトソース煮込み、スープ、そして春キャベツのコールスローサラダである。

 少し緊張した面持ちのアッシャーが胸を張りながら、リアム達に食事を運ぶ。ワンプレートなのでそう気張る事もない食事なのだが、その佇まいからアッシャーの気負いが感じられる。テオもグラスに水を入れて運ぶ。この国の飲食店では水は有料である。水は井戸から汲むものであり、その労力を考えた点、また安全な水の価値が高いためだ。


 だが、恵真はそれを無料で提供しようとしている。それもその水には氷が浮かんでいる。初め見たときはリアムもバートも言葉が見つからなかった。白い冷蔵魔道具で生成した氷だと思うのだが、わざわざ無料の水に入れる意味がわからない。二人が恵真に聞くと、冷えた水の方が嬉しいだろうからというなんとも漠然とした答えが返ってきた。恵真との感覚、環境の違いをひしひしと感じながらも、二人の方が恵真に折れる形となった。

 食卓には5人分のプレートが揃った。恵真はあまり食欲がないため、コールスローサラダとスープののみだ。そんな恵真のプレートを見て、バートが驚く。


 「これは…野菜っすね。めっちゃ野菜っす!」


 フレンチドレッシングのコールスローサラダを見て、バートが言う。春キャベツと人参、玉ねぎを千切りにしてドレッシングも手作りしたサラダは瑞々しく美味しいと恵真は思うのだがバートのフォークはチキンのトマトソース煮込みばかりに進んでいるようだ。


 「バートさん、野菜苦手でしたっけ?今まで、スープとかに入れてましたけど…」

 「いや、生野菜があんまり食べる習慣がなかったんすよ。スープとかなら旨いと思うんすけど。ほら、生野菜って森ウサギとかが食べるイメージなんすよ」

 「ウサギですか…可愛いですよね。育てたりしたんですか?」


 こちらの世界にもどうやらウサギがいるらしい。確かに生野菜、特に人参を馬やウサギが食べるイメージで苦手とする人はいると聞く。そんな恵真の言葉になぜか皆が怪訝な顔をする。


 「育てる…?森ウサギをですか」

 「おうちで飼うのは大変だと思うよ。ぴょんぴょん跳ねちゃうし」

 「うん、ウチじゃ無理だな」

 「あんなもん飼ったら、部屋中が穴だらけになるっすよ?あいつら大人しい顔してジャンプ力は凄いっすからね。あいつら緑色してるし、畑の野菜食っちまうし、頑丈でジャンプしてぶつかってくるし、出来る限り森でも畑でも会いたくないっすよ」

 「…そ、そうなんですね」


 恵真の知るウサギとはおおよそ違う生き物らしい。緑色で畑を荒らし強力なジャンプでぶつかってくる動物、それは確かに愛らしさとは無縁であろう。ウサギに可愛いというイメージがないのも無理はない。バートは生野菜にまだ思い出があるのかぼやき続ける。


 「オレも新人の頃は筋肉ムキムキの上官に『オイ、新人!野菜ばかり食べると緑になるぞ!』そう言われて肉とパンばかり食わされたもんっすよ…肉は旨いっすけど、あれはあれでキツかったっすね。大体、新人の兵士は肉と酒で胃もたれになるんすよねー」

 「…バート」

 「なんすか?リアムさん。冒険者と兵士の野菜嫌いは定番っすよ」

 「バートさんは兵士なんですね」

 「は…へっ!?」


 今まで上手く隠していたつもりのバートは自らの発言に驚き、うろたえる。わざわざ恵真のところに来るときは兵服から着替えるまでの気の付けようだったのだ。

 だが、リアムは驚かない。恵真と初めて会ったとき、バートが苗字を名乗った時点で遠くない時期にこうなることはわかっていた。

 何より、恵真が相手の身分や立場を気に掛ける女性でない事も、アッシャー達への態度を通して知っていたのだ。


 「で、どうでしょう」

 「はいっ!な、何がっすか?あ、やっぱり、軍に関わるオレが出入りするのって他国のから来たトーノ様からしたら気になったりするんすかね…。いや、オレ誰にもトーノ様の事は話してなかったりするんすよ?当たり前かもしんないっすけど…」


 兵士の中には傲慢な者もいて、街の人々の中には兵士を避ける者もいる。だが、バートは貴族でありつつ平民の感覚を持ち、街でも気さくに声を掛ける。そんな人となりは恵真にも伝わっているはずだ。

 だが問題は冒険者であるリアムとは違い、兵士であるバートは国に仕える立場なのだ。恵真の答えをバートは不安気に待つ。


 「えっと、バートさんのお仕事に関してはよくわかりません」

 「そっすね…」

 「でも、バートさんはアッシャー君達にも優しい、気さくな方なんだなと思います」

 「そっすか…!」


 誰しも人に嫌われるのは怖いものだ。いつの間にか、通うようになっていたこの場所、入れてくれるハチミツ入り紅茶、兄弟達や恵真と過ごす時間はバートにとって必要となっていたらしい。バートはその表情に安堵を浮かべる。アッシャーとテオは安心したように顔を見合わせる。リアムにとっては想像通りといったところだ。


 「私が気になるのは他にあります」

 「…へ?」


 そんな中、恵真の一言に皆が固まる。今の会話やその前後で、なにか重要な事や恵真が気にかけるような話題があっただろうか。だが、誰にも思いつかない。


 「…バートさん」

 「ハイ!ハイっす!」


 驚いて変な返事をするバートに恵真は真剣な顔である。


 「冒険者と兵士の野菜嫌いって本当ですか?」

 「へ?あぁ、そうっすけど…」

 「食べてください。せめて、バートさんは食べてから嫌いになってください!」


 そう言って恵真はバートの皿を差し出すのであった。

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