27話 春キャベツのミネストローネ 3

 しゃがみ込んだルイスを見かねたバートが椅子に座るように促す。だが、力が入らないのか立ち上がる事が出来ない。そんなルイスを仕方なくリアムとバートが二人がかりで椅子に座らせた。

 激しい雨が窓に打ち付けられる音と小さなコトコトという鍋の音、それだけが部屋に満ちる。恵真達はかける言葉もなく見守る事しか出来ない。そんな中、ルイスが口を開いた。


 「は、はは、俺は騙されちまったのか…」


 目の前のテーブルの上にはカゴに入ったホロッホの卵が入っている。だが、もうルイスがそれを守ることはない。その様子は痛々しく恵真はルイスの姿を不安そうに見つめた。放心したルイスはぼそぼそと一人呟く。


 「あの子になんて言ったらいいんだ…肉を食わせることが出来ない…息子に満足に飯を与えられないなんて…」


 ルイスの様子をリアムとバートもただ黙って見つめているだけだ。

 そんな様子を見かねた恵真はついつい口を挟んだ。


 「どうしてもお肉じゃなきゃダメなんですか?あの…豆を食べてはどうでしょう」


 恵真の何気ないその言葉に空気が凍る。リアムとバートは表情を硬くし、ルイスの顔は青から赤へと変わった。何か問題があっただろうか、恵真がそう思った瞬間、ルイスが急に立ち上がりそれをリアムが押さえつけた。


 「あんたは!俺達、農民を馬鹿にしているのか!農民には肉を食べる価値がないとそう言いたいのか!」

 「え…」

 「俺の息子は…息子は…!肉を食う資格がないと!そう言いたいのか!」


 ルイスの怒声が部屋に響き渡る。リアムがしっかりと押さえつけてはいるが、自らの発言で激昂させたと気付いた恵真は驚き、その様子を見つめる事しかできない。

 そんな恵真の元にバートがそっと近付く。


 「…大丈夫っすか?」

 「は、はい。でもどうしてルイスさんは…」 

 「ん、…あぁ、そっすか。そうっすよね…トーノ様は知らないっすよね」

 「え?」

 「この国では農民は階級が下に扱われるというか…だからあまり裕福ではないんっす。ホロッホの卵で打ちのめされてるときに、トーノ様みたいに裕福そうな方に『肉ではなく豆を食え』そう言われっちまったので…きっと感情が抑えきれないんすよ…」


 普段とは違い、深刻な表情でバートは恵真に説明をしてくれた。それを聞いて恵真の顔は驚きと衝撃に染まった。なんということだ、自分は悲嘆に暮れるルイスの傷口に塩を塗るような言葉を掛けてしまったのかと恵真は思う。

 そしてもう一つ、大きな誤解がそこにある。だが、その誤解を解くにはどうしたらよいのだろうと恵真は悩む。今、感情的になったルイスに恵真が言葉を掛けるのは逆効果になる気がした。

 すると今まで寝ていたクロが起き上がると、ぐっと伸びをする。


 「クロ?」


 てとてととクロは脚を進め、棚から降りるとルイスを抑え込んでいるリアムの足元に行く。


 「クロ様?」

 「っ!ひ!魔獣!」


 クロの緑の瞳を見たルイスは驚きのあまり、固まってしまう。そんなルイスをリアムは再び、椅子へと座らせた。クロはまたてとてと歩き、椅子に座るルイスの前にちょこんと座る。そして恵真を振り返り、にゃあと鳴いた。

 思い切って恵真はルイスに声を掛ける。


 「あの!お出ししたいものがあるんです。よかったら召し上がってください」

 「は?…アンタ何を言ってるんだ!それに、俺には金が…」

 「いえ、これは…まかないなので。それよりも私はあなたに失礼な事を言ってしまいました。私がこの国の状況に疎いため、あなたを傷付けてしまった。…本当にごめんなさい」


 そう言った恵真の表情は座ったルイスからは見えなくなる。彼女が頭を下げた事に気付いたのは、恵真が頭を上げた後だ。ルイスより遥かに上質な服を着た女性が頭を下げ、彼に謝ったのだ。


 「少しだけ時間をください」


 そう言うと女性は何かを始めたようだ。

 女性が黒髪であることから異国から来た事は事実であろう。戸惑う様子や謝罪する様子からもその言葉が嘘ではないかもしれないとルイスは思う。何より、ルイスの目の前に魔獣がいる。


 そもそもここに訪れたとき、ルイスは女性が黒髪であることに気付いていたのだ。だが、ホロッホの卵を安全な場所に持って来れた安心感のほうが先に立ってしまった。今、見れば家の様式や置かれた家具にも見た事のない物が目立ち、品質も良さそうだとルイスは思う。そう考えると雨の中、見知らぬ者を置いてくれただけでもありがたい話である。


 黒髪黒目の魔獣を引き連れた女性に、感情的になり不敬を働いた自分、その事実にルイスは目の前が真っ暗になる。そもそもホロッホの卵に関してはルイス自身の過ちだ。しっかりとした知識がないまま、大金をはたいてしまった。その事実も彼女の護衛であろう男たちに教わったのだ。知らずに持って帰っていたら、いらぬ期待をさせ息子を落ち込ませていただろう。


 さぁさぁと静かに雨は降る。 恵真が待たせたその時間はほんの少し、だがルイスには遥か長い時間に感じられた。



_____




 「どうぞ、熱いので気を付けて召し上がってください」


 ルイスの前のテーブルには皿に入ったスープがある。細かく野菜が刻まれ、よく煮込まれたスープは旨そうな香りがする。ホロッホの卵を手に入れて真っすぐ村へ帰ろうとしていたルイスは昨日から何も食べてはいない事を思い出した。


 「あ、あの、でも俺は…」

 「冷める前にどうぞ」


 そう言う恵真に戸惑い、護衛であろうの男の方を見る。彼はルイスに向かって黙って頷く。これは食べろという事だろうか、とおずおずとスプーンを手に取り、スープを掬うと口に運ぶ。


 「あぁ、旨いな…」


 細かく刻まれた野菜は甘く柔らかい。すきっ腹にも優しく、冷えた体を内から温めてくれるようだ。ルイスは黙々と胃に納めていく。野菜は普段、ルイスも食べ慣れたものである。キャベツ、ジャガイモ、人参、玉ねぎ、それに肉と豆が入っていた。高価な肉と安い豆や野菜を同じスープに入れてしまうとは大胆な料理である。ルイスからすると価値のある肉を豆と煮込むなんてと思うのだが。


 そこでルイスは気付く。裕福な彼女にとってはどちらも特別ではないのだろう。だから高価なものも安価なものも共に料理にさせたのだ。おそらくは先程のあの発言にも特に意味はないのだろう。


 「お口に合ったようで良かったです。お隣の岩間のおば…隣人の方が育てたキャベツと裏庭で祖母が育てているハーブを使ったんです。他にも野菜を育てているんですよ」

 「え…あなたのおばあさまが…なぜ?」 

 「えっと…やっぱり新鮮なものが食べられますし、育てるやりがいですかね?あ、もちろんルイスさんみたいな本職の方を前にして言えるほどじゃないんですけど…!」


 慌てたように手をブンブン振る恵真にリアムが問う。


 「先程、トーノ様がこの者に豆を勧めた理由はなんでしょうか。考えてみたのですが、私には思い当たらないのです。確かに安価ではありますが肉の代わりには到底なり得ないかと…」


 ルイスが気になってはいたが口に出さずにいた事をリアムが率直に尋ねる。


 「私が住んでいたところでは豆は栄養価が高い食べ物とされています。ある種の物は『畑の肉』なんて呼ばれているんです」

 「!」

 「肉と少し形は違いますが、たんぱく質やビタミンBが入っていますし、鉄分やカルシウムも豊富なんです。お医者さんが栄養価が高いものがいいと言われたのでしたら、豆でもいいのかなって思って…」

 「あ、あの!それはどういう意味ですか!」


 ルイスが興奮し立ち上がる。そんな姿に驚きつつ、やっと自分の言葉をきちんと説明できることに恵真は安堵する。


 「えっと、お肉を無理して買わなくっても普段の生活のものでも栄養は採れます。特に豆はお肉の代わりになりますし、ルイスさんが作っている野菜にも目に見えない栄養がたくさんあるんです。豆は消化機能が弱ってる方には少しずつ食べて貰ったり、こんな風に柔らかく煮てください。少し、手間はかかるんですが…」

 「そ、それは本当ですか…豆ならいくらでも手に入れられます!」

 「良かったです。あと…卵にも同じ効果があります。息子さんに食べさせてあげてください」


 そう言って恵真は微笑んだ。ボロボロと大粒の涙を溢しながらルイスが恵真の手を握る。リアムが驚き、止めようとするが恵真は首を振る。恵真の手を握るその大きな手は荒れていたが力強い。家族のために働く優しい男の手であった。




______




 薄暗かった窓の外が明るくなりつつある。どうやら雨は止むようだ。ルイスの濡れた髪も乾き、濡れたジャケットも少しはマシな様子に見える。何よりもその表情は晴れやかである。

 ルイスは恵真をじっと見る。


 「…私はその男に騙されたのかもしれません。だが、無駄ではなかった。こうしてこの店を知り、あなたに出会えたのだから。得難い知識を私はあなたに頂いた。感謝します」

 「いえ、息子さんが良くなることを願っています」

 「ありがとうございます!黒髪のあなたの願いは特別だ。きっと神にも届くでしょう。また、こちらに伺う際は私の育てた野菜をどうぞ受け取ってください」

 「はい!楽しみにしてます」


 深く頭を下げた後、笑顔を浮かべてルイスは去っていく。  

 テーブルの上に乗ったカゴの中にはホロッホの卵がある。それを興味深そうにクロは見て、前脚を使ってコロコロと転がしている。せめてもの礼にとルイスが置いていったのだ。

 リアムはルイスに話した恵真の知識に関して尋ねる。


 「先程の知識はどういったものでしょうか。私は恥ずかしながら初めて知りました」

 「そうですね、料理をしていく中で自然と身に付いたものでしょうか…」


 知識と言うほど硬いものでもなく、いつの間にか知っていたものだ。雑学といったほうがいいレベルのもので恵真は少し気恥ずかしい。そんな恵真とリアムをよそに、バートはホロッホの卵が気になるようだ。


 「ホロッホの卵、何にして食べるんすか?トーノ様、オレの分も…ん?」

 「どうした、バート」

 「リアムさん…これって何色っすかね…」


 そういってそっとバートが持ち上げた卵を二人は見る。

 それは、間違いなく薄緑色をしていた。


 「これは…有精卵の色になっている…?」

 「そ、そうっすよね、そうっすよね!薄緑っすよね!」

 「だが、なぜ…」


 驚き、卵をじっと見つめる二人に恵真が慌てて話しかける。


 「か、返しましょう!メスだったら卵を生みます。無精卵でもいいんです!毎日卵が食べられるようになりますから!卵もお肉の代わりになります!」

 「お、オレ、伝えてくるっす!あの人、呼び戻してくるっす!」

 「お願いします!」


 そう言ってバートはドアを開け、走り出す。

 残された恵真とリアムは卵を見つめる。リアムの大きな掌の上に小さな薄緑色の卵が確かにある。遠目から見た恵真も、先程の色は薄青色だと思ったのだが。理由はわからない、だが有精卵であれば温めれば確実に羽化するだろう。

 恵真はポケットから花柄の大ぶりのハンカチを取り出し、卵をそっと包むとカゴの上に乗せた。屋外からドタバタと大きな足音と何かを言い合う男たちの声が近付いてくる。


 窓から光が差し、部屋の中を明るくする。どうやら雨は上がったようだ。日差しもあるため気温も上がっていくだろう。きっと、ルイスも卵も冷えることなく帰途に就けるはずだ。

コトコト煮立つ鍋の蒸気で部屋もまた暖かい。その香りが満ちる部屋の中で、恵真は安堵のため息を付いた。


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