26話 春キャベツのミネストローネ 2
男の言葉にリアムもバートも目を瞠る。近年、ホロッホは家畜として国が目を止めた魔物である。その鳴き声こそ、けたたましいものの肉は美味である。人里近い森林に生息するため、魔物の中では比較的入手しやすい部類に入る。そのため国が家畜化に力を注ぎ始めたのだ。
もちろん野生のホロッホもギルドに依頼を出せば入手は可能だ。だが、家畜化されたものも野生のものもそれなりの価格がする。魔物としてはそこまで強くないホロッホだが、基本単独で行動する事、また巣から離れて行動するのが攻撃力が高いオスであることが理由だ。卵やメスが入手できるのは稀なため高額とはなるが、逆に金さえあれば入手できる物でもある。
確かにその卵であれば、それなりに貴重であり高価であろうと二人も納得する。
「ホロッホはその肉に栄養があるだろう。俺の息子は病気なんだ。医者に見せたら栄養価の高いものを食わせろという。それでなんとかその卵を売ってくれる男を探し出したんだ。これで息子はきっと良くなるだろう」
「…そうだったんすね」
「急に入ってしまって悪いな。雨が止んだらすぐ出ていく。だからしばらくここにいさせてくれないか?金は…その、ないんだ。この卵に有り金のほとんどを使った。代わりになんでもしよう!どうか、いさせてくれ!卵を、冷やしたくないんだ…」
そう言った男は大事そうにカゴを抱えていながら、深く頭を下げる。その様子を見ながら、リアムとバートは思案顔だ。確かに防衛魔法のかかったドアから、こちら側に入って来れた男は恵真にとって安全ではあるのだろう。だが、敢えてここに置く理由もこちら側にはないのだ。
そんな二人の迷いを明るい声が打ち消した。
「…いいですよ、雨が止むまでなら」
「本当か!お嬢さん!」
「トーノ様、よろしいのですか?」
「そのつもりで、もうお湯を沸かしてしまいました」
「…わかったっす」
タオルを用意した恵真は確かにお湯を沸かし始めていた。つまりその時点でもう恵真は、男に何かしら温かいものを用意するつもりだったのだ。こうなってはもう男を追い出すわけにもいかない。念のため、男への警戒を保ったまま、リアムとバートもそれを受け入れたのだ。
ザアザアと激しく雨は降り続ける。クロは音など気にならないようでウトウトとしている。
バートが差し出した湯呑みを男は受け取った。その中には白湯が入っている。紅茶にすればおそらく男は気を遣い、口にする事は出来なかっただろうとバートは思う。白湯の温かさが湯呑から伝わるのか、男は大きな手で包み込むように湯呑を持っている。
「あぁ…温かい。すまないな」
「…礼なら、こちらの方に言うっす」
「すまない。お嬢さん、あなたの優しさに感謝するよ」
「え!いえいえ、とんでもない!」
お礼にと言うより、お嬢さんと呼ばれたことに動揺し、恵真はわたわたと手を振った。恵真は未だ、男から距離を取りカウンターキッチンの中にいる。安全のためもあるのだが、煮込んでいる鍋から離れられないのもあった。コトコトと煮込む鍋からは良い香りが漂い、その蒸気で部屋も温まる。
「俺はルイス、農家なんだ。だから栄養があるものなんて息子に食わせてやれなくってな」
「……」
なぜかその男ルイスの言葉にリアムもバートも何も返さない。そんな様子を恵真は不思議に思う。先程のバートの会話でもそうだったが、農家であれば新鮮で体に良い野菜が手に入るのではないだろうか。だが、この国の常識に疎い上、妙に緊張感のあるこの状況で口を挟まぬ方がいいだろうと恵真は判断する。
リアムとバートはこちらの様子も気に掛けつつ、ルイスと名乗るその男と魔物ホロッホの卵の話をしている。
「だがこの卵があれば、ホロッホが生まれる。オスでもメスでも肉は栄養があると聞く。きっと息子も元気になるだろう」
「…その卵はどんな男から入手したんだ?ホロッホの卵なんてギルドを介さないと手に入らないだろう。相手は冒険者か?」
「いや、ギルドを通すと金がかなりかかるらしい。今、ホロッホの家畜化に国が乗り出しているだろう?その関係で伝手があるらしく手に入ったらしいんだ」
「…そうか」
ルイスの言葉にリアムの表情は曇る。その様子はどこか彼を案じているように恵真には見える。バートは赤茶の髪を掻きつつ、ルイスの前にしゃがみ込む。下から覗き込む形でルイスと目線を合わせた。
「なぁ、ルイスさん。その卵、オレらに見せてくんないっすかね」
「え?ホロッホの卵をか?」
「バート…だが、もし俺達の思う通りだったらどうする」
「でもリアムさん、…持って帰って知るよりもずっといいんじゃないっすかね」
困ったような顔をして自身を見るバートに、リアムも顎にその大きな手を当て考えているがその表情は深刻なものである。そんな二人の様子にルイスは戸惑っていた。
「そうだな…お前が正しい。それにまだ俺達の想像の段階、そうと決まったわけではない」
「…ん、そうっすね。…そうだといいっす」
「なんだ?この卵に何かあるってのか?…あぁ、悪いが譲って欲しいとかそういうのは無しだ。これは俺にとって息子を救う唯一の方法なんだからな」
そう慌てるルイスをリアムが宥める。相手を落ち着かせるように手のひらをルイスに向け、少しゆっくりと話しかける。
「いや、我々はそんなつもりはないよ。一目、その卵を見せてほしい」
「本当か?」
「もちろんだ。卵には決して触らない。見せてくれればそれだけでいい。なぁ、バート」
「リアムさんの言う通りっす。アンタが持ったままでいいっす。その布をめくって卵をチラッと見せてくれたらそれでいいんすよ。絶対に触んないっすから」
「…わかった。ここに置かせて貰ってるんだ。構わないよ。だが、念のため離れた場所から見てくれ」
そう言ったルイスは裏庭のドアに背中を寄せる。そして、そっとカゴの布を取った。そこには薄青色の卵が入っていた。だが、ルイスはすぐに布で卵を隠してしまう。そして両手と体でカゴを覆い隠す。
「どうだ?これでいいか?」
「あぁ、わかったよ…十分だ」
そう言ったリアムは凛々しい眉を顰め、眉間に皺を寄せている。バートも赤茶の髪をぐしゃぐしゃと掻き、口をぎゅっと結んでいる。二人とも何か思う所があるのだが言えずにいるそんな印象だ。そんな二人の様子はルイスが思っていたものとは違ったようだ。
「お、おい!なんだよ?この卵に何か問題があるのか?」
二人の様子に不安に駆られたのであろう。ルイスはリアムに詰め寄る。それでも、その両手にはしっかりと卵が入ったカゴが抱えられている。それを見たリアムは深いため息をつく。頭一つ分背が高いリアムはルイスを見下ろす形になる。だがその瞳は真剣であり、ルイスを案じているのが伝わる眼差しである。そんなリアムの雰囲気に気圧されたのかルイスは立ち止まる。
「ルイス、良く聞いてくれ」
「な、なんだ」
一歩ルイスは後ずさる。無意識のうちに卵を守るように腕でカゴを覆う。そんな様子を見るバートの表情は暗い。恵真は何が起きているのかがわからず、リアムの言葉を待った。
「それは確かにホロッホの卵だ」
「…あぁ!そうだろ!そうだよ!これはホロッホの卵なんだ!息子のために俺はこれを買ったんだ」
リアムの言葉にルイスは不安が消えたのだろう。どこか興奮したように言葉を続ける。そんなルイスの様子にリアムは少し目を伏せる。それはどこか労わり、言葉を選んでいるようであった。だが、意を決したように話しかけた。
「だがな、それは無精卵なんだ」
「…は、なんだ、え?」
「俺は冒険者でホロッホの卵を何度か見た事がある。卵には2種類ある。それが薄緑と薄青い色だ。野生のホロッホはつがいだから薄緑色の卵を生むことが多い。つがいではないメスも卵を生むがその色は薄青、つまり無精卵だ」
「そんな…じゃあこの卵からホロッホは…」
「…残念だが孵ることはない」
その言葉に力尽きたようにルイスは地べたに座り込んだ。
雨は相変わらず激しくと降り続く。コトコト煮立つ鍋の蒸気で部屋は暖かい。その香りが満ちる部屋の中、ルイスは真っ青な顔をしてただカゴの中の卵を見つめていた。
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