25話 春キャベツのミネストローネ

 その日は冷たい雨が降る日であった。

そのため、少し早めに恵真はアッシャーとテオは帰らせた。この時間、店には恵真とリアムとバートそしてクロがいる。喫茶エニシ開店の準備はほぼほぼ終わり、あとはいつ開店するかという所だ。

 コトコトと鍋で何かを煮込む恵真にリアムが声を掛ける。


 「トーノ様、開店祝いとして看板を私に贈らせてくれませんか」

 「え、いいんですか?」

 「もちろんです。立て看板にしてはいかがでしょう。アッシャー達でも運べますし、開店・閉店がわかりやすいですよ」

 「ありがとうございます!楽しみです」


 思ってもみなかったリアムからの厚意だが、恵真は素直に受けることにした。そんなリアムの提案が初耳だったのはバートも同じようだ。


 「…お、オレはそうっすねぇ。宣伝、そうっすね!ここの良さを宣伝しとくっすよ!まぁ、オレが声を掛ければ客の10人や20人あっという間っすよね」


 そう言ってなぜか胸を張り、得意気なバートにリアムがぼそっと呟く。


 「ここには防衛魔法がかかっているからなぁ、邪な心を持っていては通れないだろうな。お前の知り合いか…果たして一体どれだけの人物がこのドアをくぐれるものか…」

 「ぐっ!…ほら、オレの知り合いっすから!こう、害意がないのは勿論!曇りなく穢れなき心の持ち主っすよ!…多分」


 いずれにせよ、害意や敵意のある者は入れないのは確かである。そう言った意味では安全な場所であるのだ。

 外はどんどん薄暗くなり、雨は激しさを増す。ガラスの窓に雨粒が打ち付けられ、音を立てる。恵真はコトコトと煮込んでいる鍋を木べらでかき混ぜながら、天候を気に掛ける。アッシャー達には傘を持たせたが、無事に帰れただろうか。

 いつの間にかそんな恵真のカウンター越しにバートがいて、鍋を覗き込んでいる。


 「それはなんすか?この前のチリコンカン?に匂いも見た目も似てるっすね」

 「あ、見た目は近いですよね。これはミネストローネっていうスープです」

 「みねすとろーね…なんか名前っぽいっすね」

 「意味は『具たくさんのスープ』っていうみたいです。先日、新鮮なキャベツを頂いたのでそれを使ったスープなんです。あとは玉ねぎや人参、ジャガイモを入れました。トマトは入れない事もあるみたいなんですけど今回は入れて、あとは健康にいいから豆も入れました!栄養沢山です」


 そう聞いたバートはピンとこないらしい。恵真の言葉に首を傾げて、コトコト煮込む鍋の中を見つめている。鍋の中には丁寧に細かく刻まれた野菜と豆が煮込まれ、食欲をそそる匂いが香る。


 「野菜に豆っすか?肉の方がいいんじゃないっすかねー栄養には」

 「野菜に豆も健康にいいんですよ。明日、アッシャー君達に食べて貰おうと思って豆も入れたんです。育ち盛りの子には栄養が大事ですから」 


 ニコニコと料理について語る恵真は本当に楽しそうである。だが、そんな恵真と向き合うバートは真剣な面持ちだ。そして、恐る恐るバートは鍋を指差し、恵真に尋ねた。


 「こ、これはオレの分もあるんすかね…」


 ゴクリ、と喉を鳴らしたのは緊張か食欲か、はたまたその両方だろうか。そんなバートに恵真は笑顔のまま答える。


 「はい、もちろん。バートさんとリアムさんの分もありますよ」

 「っっっしゃぁー!今日の夕飯、確保っす!」

 「…バート、少しは落ち着け」

 「いえいえ、喜んでくれると作り甲斐があるものですよ」

 「そうっすよ、リアムさん。女心がわかってないっすね」


 分かりやすく浮かれるバートをリアムは呆れて見つめる。だが、恵真はと言えばその言葉通り嬉しそうであり、それ以上リアムから何か言う事もないだろう。確かにこの冷たい雨が降る日に、温かい料理は何より嬉しい。だが、それを上手く伝えるすべをリアムは持たない。女心がわからない、そんなバートの言葉を否定も出来ないのだ。


 部屋には恵真の作ったミネストローネの香りと蒸気が満ちる。外とは違い、温かく穏やかな時間がそこには流れていた。

 だがそれは突如、破られる。

 突然の来訪者がここに表れたのだ。




 バタンと大きな音が鳴り、裏庭のドアが開く。

 その音にリアムはすぐ振り向き、腰の剣に手を掛ける。バートは後ろの恵真を隠すように立つ。恵真は困惑しながら、裏庭のドアを開けた人物を見つめた。


 それは、少し古びたジャケットを頭から被った男であった。濡れないためなのだろうが、激しい雨でジャケットはびしょびしょだ。なぜか体を傾けながら、大切そうにお腹の辺りにカゴを抱えている。その男性は必死な様子で恵真達に話しかけてきた。


 「すまない。少しの間だけ、ここにいさせてくれないか」


 少し震えているのは、冷たい雨のせいだろうか。しかし、その様子は助けが必要に見える。恵真がリアムとバートに視線で語り掛ける。そんな恵真の様子に、仕方なしに二人も突如現れた男の話を聞くことにしたのだ。



______



 男はカタカタと震えているようだ。そんな男をドアの入り口近くに座らせて、その前にリアムとバートが立つ。恵真はそんな二人から離れた位置にいる。念のため、キッチンの奥で待機するように二人から言われたのだ。そんな恵真の近くにクロが座り、リアム達の様子を眺めている。


 「あの!」

 「なんすか?」


 バートが恵真の方に目を向けるが、リアムは黙って男から目を離さない。部屋に緊張感が満ちる中、恐る恐る恵真が言葉を続ける。


 「あの、タオルがこっちにあります。使ってください」

 「…トーノ様!」

 「はい!で、でもドアから来れたなら問題ないって以前、お二人は言ってました!あとその方、震えていますし!…ね?」

 「はぁっ…わかったっす。でもタオルはオレが持っていくっすよ」

 「はい!お願いします」


 そう言って恵真はキッチンの棚からタオルを用意し、お湯を沸かし始める。そんな様子にバートは肩を竦める。濡れたジャケットを被り、ぼんやりと恵真を見つめていた男はぽつりと言葉を溢す。


 「あれは黒髪の女性…?まさか…あぁ、私は死んだのか。そうか…これをあの子に持って帰ることが出来なかったのだな…せっかく手に入れたのに」


 そう言って大事そうに抱えているカゴを見つめる。恵真からタオルを受け取ったバートが乱暴に男の頭から濡れたジャケットを取り上げ、代わりにタオルを乗せる。ジャケットをどこにやろうかと見回すバートに、恵真が手を招きハンガーを渡す。そんな恵真にバートは呆れ顔だ。

 濡れたジャケットをハンガーにかけながら、バートが男に言う。


 「ほら、それで拭くといいっす。アンタは生きてるっすよ!まったく突然現れて何言ってるんすか」

 「私は生きている…では、あの女性は…黒髪の女性が存在するなんて…」

 「…余計な事は言わなくていい。タオルで拭きながら出構わないから、こちらの質問に答えてくれ。あんたは何のためにここへ来たんだ?」


 そう、喫茶エニシは未だ開店はしていない。看板すらないのに男はここに訪れたのだ。幾らあのドアを通り抜けてきたからとはいえ、リアムやバートは警戒するのは当然である。

 バートが乗せたタオルを頭に乗せたまま、情けない表情を浮かべて男は話し出す。だがその腕には大事そうにカゴを抱えたままである。カゴにの中には布が掛けられ、中の様子がわからない。 


 「俺は…卵を買いに行ったんだ」

 「卵とはそのカゴの中のものか?」

 「あぁ、そうだ。これは俺が大金をはたいて買った大切な卵なんだ」


 話を聞いたリアムもバートも首を傾げる。卵と言うと何らかの動物を飼うのだろうか。だがそれに大金をはたくなど聞いたこともない。一体どんな卵を、この男は手に入れたのだろう。

 そんな二人の疑問に男は気付いたのか、大事そうにカゴの布を撫でながらそっとその理由を打ち明けた。


 「これはな、魔物ホロッホの卵なんだ」


 

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