24話 喫茶エニシ
「私はバートの意見に賛同します」
「そ、そんな…リアムさんまで…」
「っしゃあー!ですよね?ですよね?リアムさーん!大好きっす!」
静かで冷静なリアムの言葉に、恵真とバートの声が重なる。発言をしたリアムは表情を崩さない。そんな中、おずおずと恵真が口を開く。
「じゃあ、25ギルではどうでしょう」
「却下っす!なんで平均より下げるんすか!言ったでしょ、平均は30~40ギルだって。材料費とか諸経費がかかるんすよ!場所が場所なら銀貨取れる料理なんすからね」
「…そう言って下さるのは嬉しいんですけど…」
恵真としては平日のランチタイムに使う金額として考えたのだが、どうやらこちらの感覚だと安価過ぎるようだ。無論、恵真も材料費や光熱費などは考慮し思いついた価格である。
確かにいずれはアッシャー達にも金銭を渡せるようにしたい。だが、同時に気軽に足を運んでもらえる店にしたいという思いもある。矛盾はするがどちらも本心だ。
「トーノ様のお考えはこちらに来る方の事を配慮なさったものかと思います。確かに価格を抑えれば喜ばれるでしょう」
「でしたら、どうして価格を抑えてはならないのですか」
「それは、周りの店舗で働く者達のためです」
リアムの言葉に、恵真はハッとした表情を浮かべる。バートは少し眉をしかめ、アッシャー達兄弟は不思議そうな顔である。
「トーノ様がこの価格でこのクオリティーの料理を提供したら、その評判は広がる事でしょう。勿論、だからと言って誰もがここに来ることが出来るわけではありません。…ドアには防衛魔法がかかっていますから。ですが、その評判を聞いた者は他の店と比較します。そうすれば、他の店の評価が下がるでしょう。それはトーノ様が望む形ではないでは」
リアムの言葉に恵真は返す言葉がなかった。善意と少々の自信の無さから決めた価格、それが見ず知らずの他人の迷惑となってしまう。それに恵真は気付かなかった。
「それはそれで、商業では競争として必要でもあるんすけどね」
「だが、他店に真似出来ると思うか」
「…ムリっすね」
そう尋ねられたバートが肩を竦める。香辛料は流行し始めて日が浅く、また貴族や豪商しか口にすることはないだろう。他店では入手することも困難でその存在すら知らぬ者の方が多い。
もし、希少な香辛料を使う店が近隣にあり、評判となっても彼らには対抗するすべすらないのだ。これでは競争にはなりえない。
リアムの言う通り、おそらく恵真の店は評価され評判となるであろう。そういった点を踏まえて、恵真の店での価格も考えなければならない。
恵真は少し落ち込んでいる様子である。そんな恵真にリアムが声を掛ける。その声は存外優しいものであった。
「私はトーノ様の良い物を手に入りやすい価格で提供したいという思いを否定するつもりはありません。それは他者を思う心から生まれたものでしょうから。だからこそ、他店より高めに価格を設定するのも、そんな思いを生かした経営には必要だと考えます」
そう言ってリアムはアッシャーとテオを見る。柔らかそうな生地で作られたシャツ、巻かれたスカーフも質が良い生地なのか、ふんわりとした肌触りが見てとれる。古着と聞いていたが、元の質や保存状態が良い。おそらく古着を使うのは彼らの心理的負担を軽くする目的であろう。
やはり、恵真は善良な人物である。おそらくこの認識に間違いはないとリアムは思う。だがその反面、この国の常識に疎いのがアンバランスでもある。そんな彼女が利用されないようにリアムは敢えて、ネガティブな視点からの意見を言った。実際、それは彼女になかったものだ。自分やバートがそういったアンバランスさを補えばいいとリアムは考えている。
黒髪黒目である彼女が置かれた立場もまた危ういものである。彼女の希望を出来るだけ叶え、同時にこのドアの内側に存在を留めておく必要があるだろう。
「…ありがとうございます」
「え?」
彼女の状況へと思考を巡らせていたリアムに小さく声が掛けられる。
「リアムさんもバートさんも、私にはない視点で意見をくれました。二人が言ったように周りの方にご迷惑を掛けてたら、私は凄く落ち込んだと思います。きっと、適当に好きなようにやらせといたほうがずっと楽です。でも二人はちゃんと真摯に向き合ってくれて意見を言ってくれたんですよね…ありがとうございます、本当に」
そう言って恵真は二人に軽く頭を下げる。顔を上げた彼女は嬉しそうに二人を見て、笑みを湛えている。恵真の表情が明るくなったことに、アッシャーとテオも安堵の表情を見せる。そんな中、バートが小声でリアムに話しかけた。
「リアムさん…、俺ちょっと良心が痛むっす。俺はただただ利益追求のため言ったのに…」
「まぁ、その視点も必要ではあるから気に病む必要はないだろう…だがそうか、お前にも良心があったのか」
「ひどいっす!無給で協力している俺にそれはひどいっす!」
確かに無給で恵真に協力しているバートだが、代わりにここに来るたびに食事をし、かつ十分な量を持ち帰ってもいる。それを知るリアムはバートの言葉に耳を貸さず、恵真に視線を向ける。
「そういえば…その、こちらの店名ですが…」
リアムの言葉に恵真以外の三人には微妙な緊張感が走る。前回、恵真が決めた名を全員で否定してしまった。それには理由がないわけでもないのだが、がっかりした恵真の姿に気が引け、その理由も言えずにいたのだ。
「はい!新しいのを考えましたよ」
「本当ですか、それは良かった…」
恵真の言葉にリアムは勿論、皆どこか安心した様子だ。
「前の名前も可愛いと思うんですけどね…センスないみたいですけど」
そう言った恵真はちらりとバートを横目で見る。そんな一言に前回「センスがない」と言ったバートが慌てて説明する。
「ち、違うんすよ!魔獣に関連した名前を付けるのはあんまり好まれないんすよ!」
「え、どうしてですか」
「魔獣は賢いし希少な存在なんで、一時期それに関連する名をつけるのが流行ったらしいんす」
現代で言うとライオンなどの猛獣の名を付けるようなものだろうか。だが、それの何が問題なのだろうと恵真は不思議に思う。そんな表情を見たバートが続けて説明をする。
「流行りに流行ったんすが…その結果、期待外れの店も多かったらしく殆ど潰れちゃって…」
「あぁ、名前が立派だと期待もしちゃいますもんね」
「そう!それ以降、魔獣に関連した名前を付けるのが廃れたんすよ。だから今でもイメージが悪く好まれないんすよね」
「なるほど…」
それが皆が反対した理由かと、恵真は納得する。同時にやはり皆が率直な意見を恵真に言ってくれていたのだと気付く。
「ですが、それはあくまで店の名前の話です。クロ様がいらっしゃる事は店を特別な店だと印象付けますね。もちろん、そのクロ様を従魔としているトーノ様にも人々は敬意を払います。ご安心ください」
「そ、そうなんですね」
「クロ様、可愛いもんね」
「初めはちょっと怖かったけどな」
それは安心できる状況なのかと恵真は思うのだが、リアムはもちろんアッシャーやテオもにこやかに言うのでそういうものなのかと受け入れる。そんな恵真にバートが尋ねる。
「で、店の名前ってどんなのなんすか?」
その言葉に恵真はなぜか少し照れたような表情を浮かべ、視線を泳がせる。
「そ、そうですね。皆さんにも少し関係のある名前なんですけど…」
「オレらにも関係があるんすか?なんすかね…」
「ぼくたちに?エマさん、なぁに?」
「オレ達に?思いつかないな…」
皆、それぞれに口にするが思い当たることがないらしい。恵真は顔を少し赤らめながらも、胸元に両手をぎゅっと握り4人を見る。
「その、皆さんと出会えたことは『縁』だと思うんです。初めにアッシャー君やテオ君に出会えて、料理を好きだった事を思い出せた。そのあとアッシャー君達がリアムさんとバートさんを私に紹介してくれて力を貸してくれている。そんな出会いを『縁』だなって。だからそれに因んだ名前にしたいんです」
「縁ですか…」
「じゃあ、お店の名前は『エン』になるの?」
そう尋ねるテオに恵真は少し考えて答える。
「お店の名前は『エニシ』にします。『喫茶エニシ』です…多分「エン」だとこちらにもある言葉だと思うの」
「あぁ、確かにそうっすね。オレらも使うっす」
「そうですね。私も『エニシ』という言葉は聞いたことがありません」
恵真はなぜかこちらの言葉を話せ、書くことも出来る。だが、こちらの言葉に訳せないものや、そもそも存在しない言葉もあるのではと感じていた。『カンバンネコ』や『マネキネコ』などの言葉がなかったように、『エン』ではなく『エニシ』ならばこちらにはないと恵真は考えたのだ。
通常、『エニシ』は男女間での事柄で使われることが多いが、この国にはない言葉である事、また人と人との繋がりという側面からこの言葉を選んだ。
こちらにはない言葉を4人はどう捉えただろうと恵真はそれぞれの反応を待つ。
「オレはいいと思う!他にない言葉なんて格好良いし!」
「うん、ぼくもいいと思う。キッサエニシ、キッサエニシ、うん覚えた!」
「まぁ、魔獣関連じゃなければ問題ないっす」
リアムはと恵真が見ると微笑み頷いている。全員の反応にホッとしている恵真の元にいつの間にかクロがいる。恵真が抱き上げると、にゃあと一声鳴く。
クロを撫でつつ、恵真は周りにいる4人を見る。ついこの前まで知らなかった人々が今の恵真には心強い存在になっている。
それを「縁」と呼ぶのだろうと彼らを見つめ、恵真は思う。
この街にこれから、話題となる店が出来た。
その店というのが「喫茶エニシ」である。
そこには美しい黒髪を持つ店主と小さな黒い魔獣がいる。
そんな彼女には秘密がある。
彼女、遠野恵真の家には異世界へ続くドアがあるのだ。
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