21話 裏庭のドアとその先の世界

 今日は日差しも心地良く、穏やかな天候である。

 店の準備は着々と進んでいる。清潔なテーブルクロス、皿にカトラリー、そういった物は初めから祖母の家には十分あった。食材は恵真の近所で入手が可能なので、その点は困る事はないだろう。あとは店名やどんなメニューを出すかだが、これも恵真の中ではもう形になっている。

 そんな恵真にリアムから手紙が渡される。手紙には恵真への謝意が丁寧に綴られている。その文字は以前、ホットケーキのお礼に見た手紙と同じ文字だった。


 「二人のお母さんにも納得して頂けたようで良かった。リアムさんありがとうございます」

 「いえ、私から言い出したことですので」


 そう、あの日リアムは恵真がドアの外に行くのを反対した。それはバートやアッシャー達も同様であった。それに関して、恵真は一つ思い当たることがあった。


 「外に出てはいけないのは、私の外見に関わっていますか?」

 「はい。御存じでしたか」

 「以前、アッシャー君達に聞いたんです。黒髪で黒い瞳だと他国から来たことがすぐにわかるって」 


 そんな恵真の言葉にリアムは頷く。確かに異国から来た者だとすぐわかるのであれば、多少は目は引くかもしれない。だがそこまで案ずるようなことなのだろうかと恵真は思う。


 「ですが、それだけではありません」


 そんな恵真の疑問は表情にも出ていたのだろう。リアムはそれ以外にも理由があるという。


 「この国やその周辺国には黒髪の女性にまつわる様々な伝承があります。地域によっては婚姻が殺到し、地域によっては数々の権威が与えられ、地域によっては神聖視され祀られたり、地域によっては決して傷付かないように一生、家から出られないでしょうね…」


 予想もしていなかったリアムの言葉に恵真は固まる。


 「へ?」

 「つまり、トーノ様にとってこの扉の向こうは安全ではありません」

 「本当、よく無事にこの国に渡って来れたっすよね。トーノ様、目立ちますもん」


 リアムの言葉にバートもうんうんと頷いている。それはもう目立つとかそういった次元の話ではないのではないかと恵真は青ざめる。その物騒な内容にもしかすると、揶揄っているのではとの考えも浮かぶ。だが、そんな事を考えた自分に罪悪感を抱く程、リアムは真剣かつ険しい表情である。


 「ですが、ここはかなり安全と言えます。おそらくトーノ様は防衛の魔道具をお持ちでしょう。またドアには防衛魔法がかかっていますから敵は入れません。そのうえ、ここにはトーノ様をお守りする心強い味方がおります」


 困惑した恵真の表情を見たリアムが表情を和らげ、安心させるように言う。そんな表情を見た恵真にもその心強い味方が誰であるか思いつく。


 「リアムさん達ですね!」


 確かに見知らぬ場所で知人が出来たのは、恵真にとって心強い事である。そんな思いを込めて恵真は、リアム達に目を向ける。だが、そんな言葉にリアムは首を横に振る。


 「過分な評価を頂いて恐縮です。ですがこの方は私達よりずっと頼りになるはずです」


 そう言ったリアムは恵真の足元に視線を落とす。その眼差しの先には、ちょこんと座るクロがいた。


 「…クロですね」

 「はい、緑の瞳を持つのは魔獣だけ。それだけ深い緑の瞳を持つ魔獣など見たことはありません。クロ様がいれば安心ですね」


 そう言ってにこりと微笑むリアムに恵真は言葉を失う。真面目で誠実な印象を抱いていたリアムからの言葉を、目をしぱしぱと瞬かせ恵真は小さく口の中で繰り返す。


 「…魔獣…クロ様…」

 「初めて見たときは驚いたし、怖かったよな」

 「うん、見た目は可愛いけど魔獣だもんね」

 「アッシャー達の話を聞いたとき、なんかの間違いかと思ったんすよね。だって、黒髪黒目の女性が魔獣を引き連れて訪れたなんて事件っすもん」


 だが、恵真以外の3人はリアムの言葉に何の疑問も抱いた様子はない。それどころか、それに同意する事を言っているのだ。魔法や魔道具があるのだし、魔獣がいても不思議はない。だが、恵真は思う。


 (いや、クロは猫でしょう)


 黒いしっとりとした毛並み、長いしっぽ、そして深い緑の瞳はどこをどう見ても立派な黒猫である。


 だが、ここで暮らす人々がクロを魔獣だと思うのであれば、無謀な行為に出ないはずだ。それはそれで恵真や兄弟の身を守る存在になる。であれば、あえてその誤解を解く必要はないのだろうかと恵真は悩む。


 それ以上に気がかりなのは恵真が黒髪黒目であること。ここでは思っていた以上に大きな意味を持つらしい。リアムが言った状況はどれも彼女の望むものではない。恵真がその慎重さ故に、ドアの外に出なかった事が幸いしたともいえる。


 だが恵真はすぐに解決策を思いつく。黒髪が問題であるなら、それを隠してしまえばよいのだ。幸い、祖母は洒落た帽子やウィッグをたくさん持っている。その事をリアム達に話すと、なぜかリアムとバートは微妙な表情を浮かべた。


 「あの、それ多分ムリっす…実はもう噂になってるんすよね。黒髪の女性を見たって」

 「私も先程、バートから聞いております。トーノ様に心当たりは?」

 「え?私、言われた通りドアの向こうに出てないですよ。…あ」

 「…あ?」


 視線が恵真に集まる。そんな視線に恵真は視線を泳がせた。恵真には一つ心当たりがあった。


 「あの、外には出てないんですけど…多分見られちゃってますね、通りを歩く人に」


 そう、恵真はまだ一歩もドアの先に足を踏み入れた事はない。だが、アッシャー達が2回目に訪れたときに道行く人に姿を見られていた。そのときの状況を伝えるとバートがその赤茶の髪を掻く。


 「もしかしたらクロ様の姿も見られてるんじゃないっすか。噂にもなりますよ、そりゃ。オレだったら会うやつ皆に話しまくりますもん!」

 「す、すみません…」

 「いえ、謝罪などなさらないでください。ですが…そうなると、当面の問題はアッシャー達の安全が問題ですね」


 リアムの言葉に恵真の顔が青ざめる。ここへ通うことが二人の身を危うくするのでは本末転倒ではないか。黒髪黒目である事の影響力を知っていたならば、二人にここで働いてもらうという選択はしなかったであろう。困惑したように恵真達を見つめるアッシャーとテオ、二人の安全をどう確保すればよいのかと恵真は迷う。

 だが、そんな恵真にリアムは鷹揚に笑う。


 「ご安心ください。二人が働くと決まった時から、その点は想定はしておりました。当面の間、彼らの事は私にお任せください」

 「ですが、それではご迷惑が掛かりますし」

 「では、他に方法がありますか?」


 躊躇する恵真にリアムが尋ねる。リアムの言う通り、恵真には打つ手が見当たらない。だが、自分で決めた事であるのに他人を頼ってもいいのだろうか。

 恵真のそんな考えはあっさりとバートに否定される。 


 「そうっすよ。っていうか、迷惑ならもう掛かってますし。オレやリアムさんも手伝える範囲でしか手伝う気はないっすから。トーノ様はどーんと構えてりゃいいんすよ」

 「我々は、力を貸すとお約束しましたから」


 何のことはないという様子のバートとリアムの姿に恵真の心は軽くなる。恵真が二人に協力を仰いだ時点で、その姿や状況など恵真本人が気付かない点も考慮した上で二人は話を引き受けてくれていた。改めて、そんな二人への感謝を深める恵真であった。


______



 「で、店の名前はどうするんすか?結構、大事っすよね、イメージって」


 そんなバートの問いに恵真は少し自信ありげな様子である。そう、彼女はここ数日頭を捻って店に相応しい名前を見つけていたのだ。近くにいたクロを抱え上げ、恵真は自身が決めた店の名を堂々披露する。


 「店の名前は『黒猫亭』です!」


 だが、4人からの反応は少ない。それぞれ目を合わせ、どう答えようか迷っているようだ。やがて、リアムが口を開く。


 「トーノ様、その『クロネコ』とはもしやクロ様と関連があるのでしょうか」

 「はい!クロがお店の看板猫になるかなって、招き猫ですね」


 そんな恵真の言葉にアッシャーやテオも不思議そうな顔をする。


 「カンバンネコ?」

 「マネキネコ?」

 「店の名前に魔獣に関連する言葉を使うなんてトーノ様、センスないっすね」


 最後のバートの言葉が決定打となり、恵真は数日間温めていた名前を泣く泣く諦めるのだった。


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