16話 事実と文化と勘違い

 彼女、トーノ・エマは複雑な事情を抱えている。そんなリアムの言葉にはある種の確信の響きがある。それはアッシャー達が初めて彼女と会った時から想像していた事でもあった。


 「やっぱり異国のお貴族さまなのかな」

 「それもあるが…。おそらく彼女は離縁をして実家に戻ったが居場所がなく、この国に来たのだろう」


 テオの問いにリアムがそう話すと兄弟がなぜかムッとした表情になる。


 「そんなこと言ってなかったよ?」

 「そうだよ、勝手に決めつけちゃダメだ」


 テオが頬を膨らませ、アッシャーもどこか不服そうだ。リアムを慕う二人としてはめずらしい行為だ。そんな二人に、腰に手を当てたバートは少し偉そうに言う。


 「何言ってるんすか、君らはお菓子に夢中だったでしょ?これは大人の話なんす。大抵貴族ってやつらは遠回しな言い方で伝えるんっすよ。お前達、察しなさいね~って。…まぁ、彼女はちょっと変わってるっすけどね」


 バートの物言いは相変わらず貴族に対しての棘があったが、トーノ・エマの背景に関してはおおむねリアムと同じ認識のようだ。


 「そんな方じゃないよ!バートも話してわかったろ」

 「まぁ、そんな感じじゃ無かったっすね。ありゃ、世間知らずのご令嬢だったパターンっすよ。あんな女性を異国に一人放り出すなんてあり得ないっす!」


 高位の女性が生まれた家を離れるのは一般的に婚姻であろう。そしてそんな女性が再び実家へと戻るのは離縁が考えられる。彼女の身分の高さを感じる服装や振る舞いに反し、護衛も身の回りを世話する者も付けない様子から推測できるのは彼女が後ろ盾をなくしたという事。

 貴族はもちろん武家や商家であっても、婚姻は家同士の繋がりが重視される。そんな中、離縁し家へと戻った彼女。その家格や周囲の環境にもよるが扱いに困る存在になったのであろう。


 「貴族籍の女性が一度実家を離れ、その後実家へと再び戻った…これは離縁と考えていいだろう。おそらく戻った実家では冷遇され、居場所がなくなりこの国へと来たのだろうな。そうでなければ、彼女のような女性が一人で暮らすだなんてあり得ない事だ」 


 彼女の母国がどうであったかはわからないが、この国では考えられない事である。

この街マルティアは周辺都市よりは比較的発展を遂げている都市ではあるが、若い女性が一人で暮らす事はまずない。多くの女性は婚姻まで生家で過ごすし、冒険者など何らかの理由で単身の女性はきちんとした宿を使うか女性同士で家を借りる。離縁した場合などは住み込む形での職などを探すか、親族の世話になる。いずれの場合でも、身の危険から自らを守れるようにするのだ。


 無論、彼女トーノ・エマの家には数々の魔道具がある。おそらくは攻撃や防御のための魔道具も備えてあるだろう。さらには深い緑の瞳をした魔獣が側に控えてはいるため、安全ではあるのだが。


 「女性が…それも黒髪黒眼の女性が一人、この国で暮らすなんて何かあったらどうするんすかね…」


 貴族嫌いのバートまで彼女の身を案じている。

 先程、こちらの身分も構わず丁重に扱ってくれたトーノ・エマを思い出し、重い沈黙が4人を包んだ。

 彼女の柔らかな笑顔の裏には、誰にも言えない自国での過去やこの国での生活での不安があるであろう。それを抱えながらも、彼女は一人自らの足でここでの生活を歩き出そうとしているのだ。

 重い空気の中を破るように、力強い眼差しをしたリアムが3人に語り掛ける。


 「俺達はさっき彼女の頼みを引き受けただろう。彼女がこの地で生きられるようにサポートすればいい、それだけだ」


 嘘が苦手な恵真が勇気を出し、彼らに話したことに偽りはなかった。

だが彼女から受けた印象、また文化の違いや配慮により、認識の違いが生じた。複雑な事情を抱える異国の高位女性トーノ・エマ、そう彼らは受け取ってしまった。


 この行き違いが恵真にとって良い結果となるのか、今はまだわからない。


______



 恵真の祖母の家の周囲は、他の住宅が少ない。市街地から離れ、比較的山間部に近いため過疎化が進んでいるのだ。静かで落ち着いた自然が豊かな地域、響きが良いが不便であることに違いない。だがそんな環境だからこそ、恵真はここに来ることに前向きであった。

 今の疲れた自分に、何よりも必要なものは休養だと感じていたからだ。


 「それがこんなことになるとはなぁ」


 深夜、風呂上りのパジャマ姿でレモンサワーを恵真は飲んでいた。椅子に座った恵真は裏庭へと続くドアをぼんやりと見つめた。ドアの前には念のため、一人掛けのソファーを置き、鍵もしっかりとかけている。

ドアの向こうの状況に、数日間は恵真は夜間キッチンに近付かないようにしていた。だがあちらの世界の人と知り合ったこと、いざとなれば玄関などから逃げられることで、不安はかなり少なくなっていた。なんだかんだ人間とは慣れる生き物なんだなと恵真は思う。


 ちびりとレモンサワーを飲みながら、思い出すのは今日の事。恵真は初めて会った二人の青年に協力を仰いだ。ここで自らの手で人々に食事を提供する店を開きたいと。恵真はそんな自分に戸惑っていた。


 「初めて会った人に頼むことじゃないし、そもそも私がお店なんて現実的じゃないし…いや、違う世界だから現実だけど現実じゃないのかな?」


 長い時間、ちびちび飲む慣れないレモンサワーは気が抜けてきている。先程から同じことばかりグルグルと考えてしまうのはアルコールか、性格のせいか、恵真にもわからない。


 「でも、楽しかったし嬉しかったな。アッシャー君達が喜んでくれて…私、料理するの好きだし、作った物食べて貰うのも好きなんだな」

 「にゃあ」

 「ふふ、忘れてたんだね、私。自分の事なのに」


 椅子の下で何か自分にも出して貰えるんじゃないかと思うのか、それとも恵真を気遣っているのか、恵真の足に体をくっつけながらくるくると回るクロ。恵真はそんなクロを抱き上げ、その柔らかいクロの胸元に自分の顔を押し付ける。クロの香りを思い切り吸い込むと恵真は安心感に包まれる。

 緊張を抱えながら過ごした彼らとの時間、それは恵真にとって意外にも過ごしやすいものだった。誠実な対応をするリアムに忌憚のない意見を言うバート、そして二人の可愛い兄弟。


そんな彼らとの会話の中、恵真はこの場所で店を構えることを決めた。慎重で控えめな彼女としては思い切った行動。そんな自分に恵真自身も驚いていた。

 二人の笑顔を見て本当に自分が好きだったことを思い出したのだ。本来の目的である休養とは違う状況の中、それでも心が動かされる。


 「クロの世話をしてって言われてここに来たんだけどなぁ」

 「にゃ」

 「まぁ、クロはしっかりしてるしね」

 「にゃあ!」


 どこか誇らし気な響きをクロの鳴き声に感じる。

 過疎化が進む田舎の夜の静けさに、必要以上に自分自身を顧みてしまう恵真だった。

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