15話 トーノ・エマという女性

 マルティアの街の夕暮れ、大通りから外れた細い通りを4人は歩く。この時間帯、大通りは帰途を急ぐ者や屋台で食事をする者も多く最も賑わう。黒髪黒眼の女性の屋敷からの帰りでもあり、その話を他人に聞かれてはまずいと考え、あえて少し遠回りになるこちらを選んだ。

 先程の話を思い出したリアムは深いため息をついた。


 「ため息つくくらいなら、引き受けなきゃいいじゃないっすかリアムさん」


 そんなバートをリアムは軽く睨む。


 「お前ならどうやって断るんだバート?それに彼女の頼みはそれ程、無理難題でもない。彼女が店をやりたいからそのサポートをしてほしい。それだけだろう」


 貴族の令嬢の我儘として考えると、自身の店を持ちたいというのは異質ではある。だが室内の魔道具を見る限り資金はあるだろうし、食材の入手先まで確保している。店舗の場所もある事を考えるとまったく計画性がないわけでもない。

もちろん当人がその腕を振るいたい、その点においては極めて異例ではあるが。


 「じゃあなんでリアムさんはため息ついたんすか」


 深いため息の原因の一つは先程のバートとトーノ・エマのやり取りのせいでもある。

 異国の高位貴族であることがほぼ確実である彼女に対するバートの不躾な態度。そしてそれを一向に気に留めず、にこやかに応じる彼女。そんな2人の会話にリアムは一人神経を擦り減らしていた。


 だがその原因であるバートにはどうやら自覚がないらしい。おそらく、ここにトーノ・エマがいてもバートと同じリアクションをとるのだろうとリアムは思う。常識人は苦労をするものなのだと、再びため息をつきたくなる。


 「彼女自身の人となりはさておき、彼女を取り巻く要素に面倒事の匂いがするからだ」

 「ですよね、オレもそう思うんすよ」


 そんなリアムの言葉にバートも同意を示す。


 「でも、結局はお貴族様の道楽っていうか…憐れんで施しを与えるだけなんじゃないんですかね」


 彼女からそういった貴族特有の傲慢さをリアムは感じなかった。おそらく厳しい事を言っているバートも同じであろう。


 だがバートの貴族嫌いは徹底している。特に貴族女性に対する彼の印象は非常に悪い。それは彼女達の多くがバートの言及する通りの女性であること、また彼の生育環境にも大きな理由がある。それを知るリアムはバートを見やり肩を竦めた。


 「それって悪いことなの?」


 帰り際にトーノ・エマから貰った手土産を両手で守るように抱えたアッシャーが尋ねる。


 「それは生活に余裕がある人の考えだろ。施しによって俺達みたいなのは生きられてる」


その言葉にバートはハッと息を飲みこむ。


「二人だって俺らに食事を分けてくれてるだろ。でなきゃ俺達は犯罪に手を染めてた。じゃなきゃ生きていけないから。オレ、二人には感謝してるんだ」


 アッシャーの言葉はバートの考えを非難するものではなかった。だからこそ、バートは言葉に窮した。 

 実際にバート自身が数日前に語っていたのだ。「本来は国が何とかすべき」だと。それは国の公金を受け取る貴族も含まれる。であれば、たとえ道楽であろうと自ら何かしようと動く彼女を非難出来る事ではないとバートは気付かされたのだ。

 気まずそうに赤茶の髪を掻くバートを不思議そうな表情で兄弟達は見つめている。


 「どうしたの?バート?前も言ったけど、オレ本当に二人には感謝してるよ」

 「うん、バートもリアムさんもいつも気にかけてくれるもんね」


 そう言ってバートを見上げる二人の言葉には彼らへの信頼が滲む。


 「…それは、でも出来る事しかやってやれない訳で…。あぁ、…結局はオレも同じなんすね。道楽だの施しだの言える立場じゃなかったっすね」


 赤く染まった顔を隠すようにバートは手を当てる。そんな様子を見たリアムは笑いつつ声を掛ける。


 「バート、お前でも反省したりするんだな」

 「リアムさん、笑うことないじゃないっすか。オレだってたまには反省することだってありますよ」

 「そうか。だがそんなに反省することもない。どちらかが間違っているとかそういうことでもないだろう」


 リアムは軽くバートの肩をパンと叩く。バートからすると少し強かったようで顔を痛そうに顰める。そんな様子を見たアッシャーとテオはくすくすと笑う。


 「貴族は教会に献金をし、それは街の孤児や炊き出しに使われる。その多くは自らの権威や教会への影響力を高めるためだからバートのいう通り、自らのための行為だ」


 領地を管理する中で教会の運営する孤児院などの状況を把握しているだろうが、それはあくまで書類上のものだ。実際に彼らが孤児や貧しき者にその時間や富を割くことはなく、またその状況を顧みる事はない。それは一向に減らないこの国の貧困者を見れば明らかである。

 だが、一方で献金によって孤児院の運営や炊き出しが行われ、彼らの日々の生活はかろうじて繋がっている。


「だがアッシャーのいう通り、それで日々の生活が成り立つ者もいる。簡単に善悪で決められるものでもないだろう。…貴族へのバートの思いもわかる。だが彼女を高位の女性として、立場で判断しては同じことだろう」


 実際に身分制度から生まれる不条理や横暴も日常的に目の当たりにする。


 「でも!エマさんは優しいよ!」

 「うん、優しいと思うな!」

 「あー、二人ともすっかり手懐けられてるじゃないっすか!というか、いつの間にそんな親し気な呼び方なんっすか!ダメっすよ!本人を前にそう呼んだら」


 すっかり調子を取り戻したバートは兄弟の頭をぐしぐしと乱暴に撫でる。


 「だってそう呼んでいいって言われたんだよ」

 「はあっ!?…マジっすか?え、『トーノ・エマ』この場合どっちが家名なんっすかね。国によって違うんすけど…まさか、家名じゃないほうってことはないっすよね!」


 平民であり、それも貧しい環境に身を置く少年に名を呼ぶことを許す。そんなことがあるのだろうかとバートは耳を疑う。 


 「わかんない。でも、本人が良いって言うんだからどっちでもいいんじゃない?」

 「いや!違うんすよ!家名でも十分凄いんすけど、名前は普通よっぽど親しくないとないんすよ!」


 少し前までその彼女に不敬な態度を取っていたバートが、彼女のアッシャーとテオへの対応に激しく動揺している。そんな姿にリアムは胸のつかえが少し下りる。


 「確かに二人の言う通り、彼女は親切な人物なんだろう。だが、彼女は複雑な事情を抱えている」


 彼女、トーノ・エマは兄弟達の言う通りの人物であることをリアムもバートも理解した。無論今日の印象のみで判断することは出来ないが、彼女は利用する目的で兄弟に近付いたわけではないだろう。そもそもその出会いは偶然だったのだから。


 だが、彼女の外見的特徴や現在の状況から推測される事柄。今後、どう彼女と関わっていくか、頭を悩ませるリアムだった。


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