6話 可愛い二人と朝ごはん
口にした恵真は自分の言葉が不審者みたいだと思い、少し後悔する。いや無論、決してやましいことなどないのだが。
「突然、訪ねてしまったのにいいんですか?」
「いいの?」
「うん、ここにいるとなんだか皆が見てくるし…」
そんな恵真の言葉にアッシャーがハッとした表情で辺りを見回す。その視線にこちらを見ていた人々は気まずそうに眼を逸らした。
「わかりました。失礼します」
「失礼します!」
「うん、どうぞ入って」
二人を部屋に招き入れ、恵真はドアを閉めた。先程の発言も含め、現代日本の感覚を持つ恵真には自分自身の発言がなんだか不審者に思えて心が苦しい。重ねて言うが、決してやましいことなどはない。だが今まで築いてきた自身の中の感覚や倫理で罪悪感に苛まれるのだ。
そう感じる恵真は極めて真面目で常識的とも言える。
二人を見るとなぜかキョロキョロしている。そこで恵真はハッと気付く。部屋がなんだか雑然としている…そう、昨日の籠城の名残が所々に置かれたままだった。
「ごめんね、ちょっと散らかってて…今、何か飲み物入れるね」
「え…あ、オレらまだ言ってないことがあって…うわ!」
クロが近付いてきてアッシャーが驚きの声を上げる。その様子に恵真は思い出す。昨日二人は猫が苦手だと言っていたではないか。恵真はアッシャーから預かった箱をテーブルの上に乗せて、クロを持ち上げ腕に抱いた。
「言ってないこと?他にも何か用事があったの?」
「はい!その、俺たちに何か手伝えることはないですか?」
アッシャーは姿勢を正してこちらをキリっとした表情で見つめる。隣のテオも爪先までピシッと伸ばしこちらを見ている。
クロを抱えたまま、首を傾げた恵真は昨日の会話を思い出していた。
(そうだ、昨日確か…)
『私、ここに来たばかりなの。まだまだ周りに知ってる人が少ないから寂しくて。だからもし二人とお母さんが良かったらまた私の手伝いをしてくれると嬉しいな』
『ほんとうに?』
『ありがとうございます!オレ達、今度はもっと頑張ります!』
そう、昨日恵真が近所の子が手伝いに来てくれたものと思って伝えた事だ。
だが『ここに来たばかり』で『知り合いが少ない』女性がわからないことを、この兄弟に聞いてもそんなに不自然ではないかと恵真は思った。どうやらここに来ることは親御さんも知っているようだ。
それなら二人に『この世界の事を知ることを手伝って貰う』のはどうだろう。この世界の金銭を恵真は持っていない(と思う)ので、どんな対価をあげれば良いのかは相談する必要があるが、昨日のように食事をお礼として渡すことなら出来る。
「ありがとう!私、まだこっちに来たばかりで分からないことがたくさんあって…もし二人が良ければ今日はここの事を色々教えて貰っていいかな」
「はい!俺たちで良ければ」
「うん、なんでも聞いていいよ」
こうして恵真は二人の可愛い協力者を得たのだった。
少し散らかっているが二人にはメインテーブルに座って貰った。テーブルの上で置かれたペットボトル飲料や缶詰を興味深そうに二人は見ている。おまけに朝食まで置かれた状態だ。
「えっと…ごめんね。昨日、色々あってちょっと散らかってて…」
部屋の片隅には季節外れの扇風機、一人掛け用のソファー、その上には米が入った袋と本が何冊も置かれている。カーテンには様々なストールを掛けたままだ。恵真としては裏庭のドアが異世界に繋がるという非常事態だったわけだが、それを彼らに伝えるわけにもいかない。
(とりあえず、テーブルの上だけでも片付けなきゃ)
そこで恵真はふと、兄弟の視線に気付く。
(ごはん見てる?あ、もしかしたら朝ごはんはまだなのかも)
「朝、食べてきた?」
「いえ!朝は食べないので」
「朝は食べないの…そっか」
こちらの世界がそうなのか、彼らの家計の事情でそうなっているのかは恵真にはわからない。だが現代日本の常識が恵真の中で騒ぎ出す。子どもはしっかりご飯を食べなければ、と。
自分が食べるつもりの物だったがまだ箸は付けていない。こちらの文化にまだ明るくはない恵真だが、ならばアレンジして出すのはそんなに失礼ではないと判断する。
抱えているクロを窓際のソファーまで連れていった恵真は、念のためエプロンに粘着性のクリーナーを丁寧に掛ける。クロはその様子をどこか不服そうに見て、兄弟は不思議そうに見ている。
「ちょっと座って待っててね」
「はい」
二人は揃って返事をする。
恵真はペットボトルと缶詰を抱えてキッチンへと向かう。とりあえず後でこちらを片付けよう。メインテーブルに戻ってワンプレートの朝食を持ってくる。先程、パンを2枚焼いた。朝から食欲旺盛な5分前の自分を褒めながら、そのパンにバターを塗る。キャベツの千切りを載せ、スクランブルエッグ、ベーコンを載せ、上にケチャップとマヨネーズをかけて出来上がりだ。
もう1枚同じ皿を用意して作った片方を乗せ、二人の前に運んだ。
「これ、簡単なものなんだけど良かったら食べて」
すると、アッシャーは眉を下げてこちらを申し訳なさそうに見つめている。何か苦手なものでもあっただろうかと恵真は首を傾げる。
「え…でも…困ります。だって俺たち今日は何もしていないし…」
「うん、昨日簡単なことしかしてないのに、おいしいご飯もらったから。今日はその分も働きにきたんだよ。ね、兄さん」
「え…そうだったの?」
「はい、ですからその…」
さっそく文化の違いにぶつかってしまった。恵真としては手伝いのお礼として食事を渡すのはそこまで不平等に感じられないのだが。こういった感覚の違いは今後も出てくるのかもしれない。
やはり、二人にここの常識を教えて貰う必要がある。そう思った恵真はそんな自分の考えに驚いた。
今後もこの裏庭のドアの世界と自分は関わっていくつもりなのだろうか。
(いや、このドアを塞いで誰も来られないようにすればそれでいいのかもしれない。そうしたら今まで通りの生活が続くだけなんだし…)
そう、あくまで現状の安全のために向こうの世界を知ろうとしているだけだ、きっと。俯き考えていた恵真にアッシャーが声を掛ける。
「あの…トーノさま?」
「ん、遠野さま?そんな呼び方しなくていいんだよ」
「あ、いえ、失礼に当たるので…」
再び文化の違いだ。恵真としてはこんな幼い子に様付けで呼ばれるほうがずっと辛いのだが。恵真は笑って二人に提案した。
「名前で呼んでいいよ。呼びにくかったら苗字でもいいし。うーん、恵真さんとか?」
「え…」
「それに料理も食べてくれたら、私は嬉しいな。二人が迷惑じゃなかったらだけどね」
「迷惑じゃないよ。ありがとうエマさん」
「ありがとうテオくん。アッシャーくんも良かったら、ね?」
「ありがとうございます…エマさん」
二人が皿に手を伸ばして食べ始めたのを見た恵真は安心した。こちらが良かれと思ってしたことも相手の負担になってしまっては意味がない。たとえ同じ世界に住んでいてもすれ違うことがある。恵真はそれを痛感して仕事を辞めたのだから。
パンを美味しそうに頬張る二人、テオが顔にケチャップを付けたのをアッシャーが指で拭っている。そんな二人の様子を見ていると不思議と幸福な気持ちになる恵真だった。
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