3話 そして、恵真は気付く
兄弟は目の前に出された皿に乗ったものをじっと見つめ、互いに顔を見合わせた。テオが恐る恐る尋ねてくる。
「これって、ぼくたちが食べてもいいの?」
「うん、もちろん。そのために作ったんだもの」
「本当に、本当にいいんですか?お店に出せるくらい綺麗なのに」
二人は戸惑ったようでフォークに手を伸ばさずにいる。なんて謙虚な子ども達なのだろうと恵真はまた感心する。あり合わせの材料で作ったホットケーキを店で出せるくらい綺麗だと褒めてくれたこともあり、恵真はその可愛さに顔がにやけてしまう。
「冷めないうちに食べてくれたら嬉しいな」
「…はい」
「ありがとう!」
フォークを手に持ち、テオがホットケーキを食べようとして恵真は気が付く。もしかして食べにくいのではないだろうか。切り分けてあげればよかったのかもしれないと。
「あの、もし良かったら切り分けようか」
「あ、ありがとうございます」
少し恥ずかしそうにテオが皿を差し出した。恵真は放射線状に6等分して、テオにホットケーキを返し、隣のアッシャーにも尋ねた。
「じゃあ、アッシャーくんのも切り分けようか?」
「あ、オレは、えっと…」
困ったようにアッシャーは眉を下げ、恵真を見つめた。言うべきかどうか、迷っているような素振りだ。隣のテオは不思議そうにアッシャーを見つめたが、何かに気付いたのかフォークを持つ手を下した。まるで叱られたかのようにへにゃりと泣き出しそうな表情だ。
「ごめんなさい。ぼくだけ食べちゃって」
テオの言葉に恵真は驚く。このホットケーキは二人のために作った物だ。この子達が食べて問題は何もない。不思議に思いつつも、恵真は二人に話しかける。
「え、いいんだよ。二人に食べて貰おうと思って作ったんだから」
「そうだ。テオは食べていいんだよ」
「でも…」
先程まで二人は恵真が調理する姿を興味深そうに見て、焼き上がったホットケーキに目を輝かせ頬を染めていた。非常に和やかな空気だったのだがアッシャーは困ったような表情で弟を見つめ、テオの薄い青色の瞳は涙で潤んでいる。
一体何が問題だったのだろうと恵真は考えて一つの可能性に気付く。
(テオ『は』っていう事はアッシャー君は食べないつもりなのかな)
先程アッシャーは「テオは食べていい」と答えた。それは自らは食べないという事ではないだろうか。
恵真はまず二人に渡す食事を先に作る事を伝えた。そのあとで二人に空腹かの確認をしたところ、アッシャーは否定した。それは遠慮でおそらくは空腹であろうと思い、恵真はホットケーキを焼いた。二人に持たせる食事とは別のつもりだったのだが。
(二人はこれを手伝いのお礼だと思ってるんだよね、きっと)
そのため自分だけホットケーキに手を付けようとしたことでテオは自身を責め、アッシャーは自分は食べずに家族に持ち帰ろうと考えているのだろう。
アッシャーはじっとホットケーキの皿を見つめ、膝に置かれた手はぎゅっと拳を握っている。テオは瞳に涙を湛えながらも、じっと兄の横顔を見つめている。恵真の思った通り、兄弟達は優しい心根の子ども達のようだ。
そんな二人に恵真は微笑みながらゆっくりと説明する。
「これはね、二人に食べて貰おうと作ったから」
「…はい」
「だから、温かいうちに二人で食べてくれたら嬉しいな」
「……はい」
膝に置かれたアッシャーの手がゆっくり開きフォークに手が伸びる。そんな兄の様子を見ていたテオも再びフォークを握った。その様子を見た恵真はほっと溜息をつき、二人に話しかける。
「ちゃんと二人が持って帰る分も作るから大丈夫だよ」
「え…じゃあ、これは?」
「二人がお腹空いてるかと思ったから作ったの。ちゃんと作るときに説明すれば良かったね。ごめんね、余計な気を使わせちゃった。これは二人で食べていいんだよ」
「…あ、ありがとうございます!」
「凄いね、兄さん!」
家族に持ち帰るものがある事に安心したのか、今までの重い空気は吹き飛び、兄弟達は互いの顔を見て笑いあっている。そんな二人の様子に恵真も笑顔になる。
ホットケーキをフォークに刺し、口に運んだテオが驚きの声を上げる。
「ふわふわしてる!それにすっごく甘いよ!」
「そっか…凄い、凄いな」
そんなテオを見て、嬉しそうに微笑みアッシャーは恵真をじっと見つめた。恵真は首を傾げ、アッシャーを見つめ返す。するとアッシャーは照れたように頬を染め、俯いてしまった。その様子に、恵真はある事に気付く。
「そっか、アッシャーくんのも切り分けたほうが食べやすいよね。今、切るね」
「あ、ありがとうございます」
皿を受け取った恵真は二人に飲み物を渡してなかった事を思い出して尋ねた。
「あ、二人は何を飲む?お茶がいい?それともジュースがいいかな?」
そんな恵真に二人は戸惑い焦ったように大きく手を振る。
「大丈夫です!十分です」
「うん!ぼくらまだなにも働いてないのに食べてるんだもの」
まだ幼いというのに本当に慎み深い兄弟だと恵真は思いながら、二人が気に病まないように水を渡すことにした。子どもでも持ちやすいように六角形のグラスを選んだ恵真は冷凍庫から氷を出してそこに入れる。氷の入ったグラスにそのまま蛇口を捻り、水道水を入れた。祖母の家は浄水器などはないのだが、自然に囲まれたこの地域は安全で美味しい水が飲めるのだ。
カラカラと涼し気な音を立てる氷と入った水のグラスを、キッチンにあったレースのコースターを下に敷いて二人の前に置いた。レースのコースターは祖母が作ったものだろう。大胆な行動が目立つ祖母だがこういった細やかさもある。
二人は恐る恐るグラスを手に持つ。両手でグラスを持つその姿が恵真には可愛らしく見えた。こくりと一口飲むと二人は驚き、お互いの顔を見合わせた。
「冷たい!それにこのお水もきれいでおいしいね」
「…うん、そうだな。凄い、凄いことばかりだ」
そんなに特別な事ではないのだが…と恵真は思うが子どもは純粋なのだろう。ホットケーキを口に入れ、また美味しい美味しいと言いながら食べる二人は年相応の無邪気な顔をしていて恵真はその様子を見つめながら久しくなかった穏やかで優しい時間を過ごすのだった。
「本当にそれでいいの?」
「うん、これで…これがいいです」
「これすっごくおいしかったから、きっとお母さんも喜ぶね」
他の料理を作って渡そうと思っていた恵真だが、兄弟のために残りの生地を焼いていることを伝えるとそちらを食べずに持って帰りたいと二人が言ったのだ。そのうえ、弟のテオがグラスの中の氷も持ち帰ってよいかと尋ねたため、なぜかそちらも持たせることになった。
「きっとお母さんは喜んでくれる」そう言って笑うテオが可愛らしく思えた恵真は否定せずに持たせることにした。正直、この子達の家でも手に入るとは思うのだが、きっとこの子達の母ならば気持ちを汲み取り喜んでくれるだろう。
氷は解けても零れないようにジャムの空き瓶に入れ、ホットケーキは可愛らしいイラストの描かれたお菓子の空き箱に氷入りの瓶とともに入れた。恵真としては二人の自宅でも作れるような簡単なものを渡すのは気が引けたのだが、手渡すとアッシャーは大切そうにその箱を抱えた。
「ちょっと待ってね」
「はい」
恵真は小さな花柄のメモ帳を1枚とり、ペンを走らせた。兄弟の母に簡単なメッセージを添える事にしたのだ。全く知らない人物から手料理を渡されても不安に思うだろうし、簡単な自己紹介と少年達が手伝いをしてくれた感謝を綴った。
兄弟にはホットケーキのあと片付けを手伝って貰った。これではして貰った事との釣り合いがとれないと二人はなかなか納得してくれなかったのだが、恵真としては新生活での新しい出会いが嬉しかった。
沈みかけた気持ちを戻すため料理をするつもりだったが、自分のために作ってもこのように晴れやかな気持ちにはなれなかっただろう。家族を想う兄弟との時間は穏やかで柔らかだった。
「私、ここに来たばかりなの。まだまだ周りに知ってる人が少ないから寂しくて。だからもし二人とお母さんが良かったらまた私の手伝いをしてくれると嬉しいな」
「ほんとうに?」
「ありがとうございます!俺達、今度はもっと頑張ります!」
こちらを見て礼を述べたアッシャーは深くお辞儀をする。兄の様子をみてテオもぺこりと頭を下げた。そんな二人の礼儀正しさに恵真は笑みがこぼれた。
「それじゃ、失礼します」
「失礼します」
「うん、また来てね」
挨拶を終え、裏庭へと続くドアから2人は出ていく。そんな2人を見送った恵真は、ほぅとため息をつく。
「可愛いお客さんだったなぁ、…また遊びに来てくれるといいな」
「みゃ」
恵真の独り言に返事を返すように鳴いたクロは ソファーの上で寛いでいる。そんなクロの頭を恵真は優しく撫でた。
ふと、カウンターキッチン側のテーブルを見るとハンカチが置かれたままだ。
まだ間に合うだろうとハンカチを手に取った恵真は裏庭に続くドアを開けた。
「…何、これ」
そこは恵真の見知らぬ土地だった。街並み、そこを歩く人々、その服装、風の香りに湿度、全てがそこは異国なのだと恵真の五感に伝えていた。
「え…何が起きてるの?」
ハンカチを右手に持ったまま、恵真はしばらくそこに立ち尽くすのだった。
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