side アッシャー 1
アッシャーは途方に暮れていた。
今日も街で仕事を探していたが、どこの店にも断られて街を歩き回っている。かれこれ3.4時間は経つだろう。腹も減り、足が痛む。
「兄さん、どうしよう」
弟のテオが不安気にこちらを見る。
今日の仕事が見つからなければ、夕食が手に入らない。
父は他界し、母は病弱で働けない。その生活を支えているのは兄弟達の労働だった。街で子どもでもできる雑用を行い、対価としてその日の食料を得る。それが兄弟達の生活だった。
「大丈夫、まだ時間はあるから探すぞ」
「うん!」
不安を隠しながらアッシャーは弟に言う。自分が弱気になれば、弟も不安になるだろう。そんな思いがアッシャーを支えていた。絶対に今日の仕事を見つけなければと。
「ねぇ、兄さん。あそこに新しいお店があるよ」
「え、本当だ…綺麗な店だな」
そこには新しい店があった。深い色をしたブラウンの壁と細工入りのドア、黒い縁取りの窓は上下に開く作りとなっておりガラスが入っている。透明度の高いグラスが入っているようだが、白いレースがかかり中の様子ははっきりとは見えない。手すりの付いた階段が数段あり、周りの建物より高い造りとなっている。
「どうする?兄さん」
「…そうだな」
周囲の店とは違う、上質な印象を与えるその店を見ながらアッシャーは考えた。
― おそらく断られるだろう
だがそう思いながらも足を店へと進めた。僅かな可能性にかけなければ彼らの生活は成り立たないのだから。
階段を上り、綺麗な細工入りのドアの前で立ち止まる。お前達は場違いだとその美しいドアが語っているかのようだ。この店に裏口があればそこから入ったのだが、店の両隣には空き店舗があり店の奥はこちらからはわからない。正面であろうこのドアを開くしかないのだ。
アッシャーは気持ちを奮い立たせた。
「よし、開けるぞ」
「うん」
*****
ドアを開けて一歩踏み出したアッシャーはそのまま圧倒され、立ち止まってしまった。そこは想像していたより広い空間だった。店構えで想像していた以上に高価そうな家具が置かれている。
―これは失敗したかもしれないとアッシャーは思った。
これだけの店だ、汚れた子ども達が店に入ったこと自体が気に入らず、追い払われるだけでなく暴力を振るわれる可能性だってある。まだ客も店員も見当たらない。今のうちに店を出て、他の店をまたあたろう。そう考えたアッシャーは弟のテオにシャツの裾を引っ張られた。
「兄さん、あれ!」
「え?…あ!」
店には小さな魔獣がいた。黒い美しい毛並みをした小柄なそれが魔獣であることは間違いない。その証拠が緑の瞳だ。
この世界で緑の瞳を持つ者は全て魔力を持っている。人でも動物でもそれは変わらない。緑の色が濃ければ濃いほどその魔力は高いといわれる。街の冒険者の中にもいるが、薄く淡い緑の瞳ばかりだ。それでも彼らは誇らし気である。それだけ魔法を使えるのは特別な事であった。
緑の瞳でなくとも魔力を持つ者や生き物はいるのだが極めて稀な存在になる。それは歴史上に名を残すほど偉大な魔法使いや魔獣ばかりなのだ。
今、二人の目の前にいる魔獣は今まで見たことがないくらい深い緑の瞳をしている。
アッシャーはテオを自分の後ろに隠した。すると、こちらを見つめた魔獣はひたひたとこちらに足を進めてくる。
「うわ!来るなよ!俺らなにもしないから!テオ!危ないから下がってろ!」
「兄さん!」
「みゃーお」
「ちょっと!クロ」
小柄な魔獣の名を呼び、抱え上げた女性は店員なのだろうか。魔獣と同じように深い黒の髪をした女性は瞳も黒い。異国の民なのかもしれない。
魔獣が抵抗せず、抱かれていることからするとこの女性の従魔なのだろうか。これだけの魔獣を従えられるなんて、兄弟は驚く。契約できる魔獣のランクはその人物の魔力や武力に寄ると聞く。強い魔獣と契約しているこの女性も高い能力があるはずだ。
「この近くの子?」
「いや…、いえ!街の外れに住んで…ます」
女性の服装は一目見てもわかるほどに仕立てが良い。手入れの行き届いた美しい黒髪、荒れもない手に綺麗に整えられた爪、細いネックレスは金であろうか。洗練された装いを見る限り、おそらくこの方は店主かその奥方だろう。
そう思ったアッシャーは咄嗟に慣れない敬語に切り替える。上手く話せているだろうか、不安がよぎる。
「どうしたの?ウチに何か用があるの?」
女性はそんなアッシャーの気持ちを汲み取ってくれたのだろうか、穏やかに微笑み尋ねた。
こんなに身分の高そうな女性が突然訪れた自分達を邪険にせず、きちんと向き合ってくれている。その事にアッシャーは驚いた。今まで訪ねた店では追い払われることも多かった。それは当然と言えば当然のことである。薄汚れた素性の分からない子どもが店に立ち寄ることをランクの高い店であればあるほど嫌う。庶民向けの店でも 金にもならない子どもの話を聞く大人は少ない。
そのため、二人がまともな食事にありつけることは少ない。善意で二人に何かしらの仕事を与えてくれる店もごく僅かだがある。だが大抵は頼み込んで雑用をさせて貰い、なんとか店には出せない古い食べ物を得て帰るのが少年達の日常であった。
「…あの!お願いがあってきました」
「オレたちに仕事をください!」
「お、お願いします!」
懸命にアッシャーは頭を下げた。横で弟のテオも頭を下げている。このようなランクの店で自分達が出来る事があるのかという不安もあるが、それでも自らの気持ちを誠心誠意伝える事しか今の二人には出来ない。
「仕事って言われても…」
頭の上で、困惑したような声がした。戸惑いはあるが、少年達の申し出を不快に思ったわけではなさそうだ。アッシャーはそんな女性の顔を見て、真剣に訴えた。
「なんでもやります!他の店でも働いたことあるんだ!掃除とか皿洗いとか…他にもなんでも!汚れるような雑用とかも、オレたち頑張るから!」
「お願いします!」
自分たちが出来ることを伝え、どんな雑用でもいいから使ってもらいたかった。弟のテオも必死に頼む。女性は黒い瞳を瞬かせ、自分達の話を聞いてくれている。
「えっと、他のところでもお手伝いしてるの?」
「うん、ウチの暮らしが大変なので」
「ぼくたち、いつも働いて食べるものを貰うんだ」
兄弟は正直に答えた。母や自分達のために働き、その日の食事を得る。貧しい生活をしている自分達を見下し、嫌う者たちも多い。身分が高ければ高いほどその傾向は強いのを二人は経験として学んだ。だが、その生活を変える手段を兄弟達は持たないのだ。ただ、自分達に出来る事を精一杯するだけだ。
そんな二人をじっと見つめた後、美しい黒髪の女性は笑った。
「わかった、二人にお手伝いをしてもらおうかな」
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