side  アッシャー 2

「わかった、二人に手伝ってもらおうかな」


そう言われたアッシャーは驚き、立ち止まったまま動けずにいた。自分から頼んだものの、こんなに快く受け入れてもらえるとは思ってはいなかったのだ。安い労働力として雑に使われるか、あるいは少し困った顔をしながらも貧しい兄弟たちを案じ何か仕事を与えてくれる、そのどちらかだった。


 もちろん、後者の想いは二人にとってありがたいものであったが、決してその人達も生活に余裕があるわけではない事は幼い二人にもわかる。そのため、心苦しさも感じながら彼らの元を訪ねていたのだ。

 だが、この女性はにこやかに笑い二人を受け入れてくれた。店の様相や女性の服装から生活に余裕のある人なのだという事はわかっていたが…だからこそ冷たくあしらわれることのほうが経験上は多い。


 「ねぇ、こっちに来てくれる?」

 「…はい!」


 立ち尽くしていた二人に女性が声を掛ける。いけない、せっかく仕事をくれる女性に失礼があってはならない。小走りに駆け寄り、これから与えられるであろう仕事へと気を引き締める。仕事が与えられてもそれをやり遂げなければ当然の事だが食事は得られない。二人が働いても、その仕事ぶりに難癖をつけて何も与えず追い返されることも度々経験していた。

 女性からの指示を待つアッシャーに、彼女は優しい笑顔を向けた。


 「えっと、まず二人に渡す食事を先に作っちゃおうと思うの」

 「え…作ってくれるんですか?」


 どうやら女性はわざわざ二人のために調理してくれるつもりらしい。大抵は店には出せないような少し傷んだ野菜や古くなり、嚙み千切れないようなパンを渡されることが多いのだが。

こんなに高そうな店の女性が自ら腕を振るい、素性がわからない子どもに対し、前もって対価を自ら用意する。そんな都合の良い事があるのだろうかとアッシャーは少し不安になる。


 「そう、ダメかな?他の人みたいに何か食材のほうがいいかな」

 「あ…いえ!作ってくれるなんて嬉しいです!」

 「うん、きっとお母さん喜ぶね」


  アッシャー達の母は病気を患ってからというもの殆どの時間を寝て過ごす事が多い。普段貰える食料を分け合い、食べている兄弟は久しくきちんとした料理を食べてはいなかった。


 女性は可憐なエプロンを身に着けた。汚れのない真っ白なエプロンは市井で見られるものとは違い、ところどころにレースやフリルがあしらわれている。しなやかな黒髪にそのエプロンはよく映えていた。

異国の高位女性であろう方は身に着ける物からして庶民とは異なるのだろう。


 足元にいた魔獣を女性がたしなめると、それに魔獣は素直に従い窓際へと向かう。小さな魔獣がすぐ近くを通ると二人の体が強張った。

ねこ、というのがその魔獣の種族らしい。魔獣は嫌いかと恐ろしい質問を女性は投げかけてきたがアッシャーは否定した。いくら従魔とはいえ、魔獣を貶せばその怒りを買うかもしれないのだが。女性はおそらく完全に魔獣を従えられるだけの強い力を持っているのだ。


 「そういえば、まだ二人の名前を聞いていないよね。私はエマ、トーノエマっていうの。よろしくね」


 ニコリと微笑んでこちらに自ら名乗る女性にアッシャーは焦った。そもそもある程度身分のある者は庶民に名を名乗ることも名を尋ねる事もない。彼らにとってそれは当然の事で、アッシャー達などとるに足らない存在の名を知る必要がないのだ。

 慌てて、アッシャーはテオとともに頭を下げた。


 「オ…僕はアッシャーと言います。こっちは弟のテオです!」

 「テオです!すみませんでした」


 トーノエマと名乗る女性はこちらの非礼など気にならないかのように先程と変わらぬ様子で見つめている。そして、笑顔のまま二人に尋ねてきた。


 「二人は時間はどれくらいある?しょっぱいのと甘いのどっちがいいかな」

 「…甘い料理ですか?」


 働ける時間を知りたいのだろうか。時間なら十分にあるし、こんなきちんとした店の料理はアッシャー達がどれだけ働いても本来、口に出来るものではない。どんな料理でもこちらとしてはありがたいのだがとアッシャーは思った。


 「ううん、甘いお菓子とか。私、お菓子作るのも好きなの」

 「え…そんな!えっとなんでも構いません!頂けるだけで嬉しいので!」


 しかし女性からは予想外の答えが返ってきてアッシャーは慌てる。いや、軽い冗談のつもりだったのかもしれない。貴族や裕福な商人くらいしか甘い菓子なんて食べることはないのだから。一般の庶民なら年に何度か口にする機会が巡ってくるのかもしれないが、アッシャー達が口にする事はまずない。

 身分の高い女性相手に上手い返しも出来ず、素直に言葉を返す事した。空腹かとの質問も即否定した。そんなアッシャーの答えは特に失礼もなかったのか、女性はそのまま調理を始めた。


 「…水だ…!」


 女性が持ち手をひねるとそこから綺麗な水が流れる。通常はこのあたりの人は皆、井戸水を汲み上げ甕に溜めて使うのだが、これは魔道具の一種だろうか。貴族など裕福な者たちは魔術師や魔道具師を雇うことがあるという。それともこの美しい女性が 魔術師か魔道具師なのかもしれない。

 女性は手際良く調理を進めていく。女性が用意している食材はどれも雪のように真っ白だ。


 「粉が真っ白だったね」

 「あぁ。砂糖も白いし、たくさん入ってたな」


 白い粉のほうが高価だと 街で働いたときアッシャーは耳にした記憶がある。それに砂糖は色が付いたものでも非常に貴重だ。それをこんなにふんだんに使えるなんて、やはり異国の大貴族か高名な魔術師なのではないかとアッシャーは女性の様子を窺う。黒い瞳を優しく細めながら、どこか楽しそうに調理をしていた。


 「凄い…綺麗だね」

 「あぁ…」


 そう、アッシャーは綺麗だと思った。異国の高位であろう女性が突然訪れた、身分が低い素性がわからない子どもの話を聞き、不躾なこちらの頼みを快く引き受けてくれた。追い出されてもおかしくはないのに、この女性は価値のある素材を惜しげもなく使い自ら調理してくれている。

 しなやかな長い黒髪と長い睫毛に彩られた黒い瞳を持つ、異国の高位な女性トーノエマは上質な衣服を身に纏う美しい人だった。

 何より、アッシャー達を温かく迎えてくれたその心が何よりも美しく思えた。


 (トーノエマ様…)


 心の中で静かにアッシャーはその名前を呼んだ。



*****



  夕暮れ時を、楽しそうに道を駆けていく幼い兄弟の姿があった。兄らしき少年の腕の中には大事そうに抱えられた箱がある。画家が描いた愛くるしい絵入りの箱の中には先程、トーノ様に頂いた「ほっとけーき」と氷が入っている。なんと 彼女は甘い菓子を二人に与えただけでなく綺麗な水と魔道具か魔術で作られたであろう氷も用意してくれたのだ。


  アッシャーは「ほっとけーき」を自分の分には手を付けず母に持って帰るつもりだったが、どうやら彼女は初めから持たせるものは別に用意してくれる予定だったらしい。こちらが出来る事に対して頂けるものが多すぎ、恐縮する二人にまたこちらに尋ねても構わないと手紙を添えてくれた。

 残念ながら二人には読めないが、わざわざ淡い美しい紙に書いてくれたことも特別な計らいだと感じる。

 こちらを思い遣る彼女の優しさにアッシャーは口元が緩む。


 「兄さん、お母さんきっと喜ぶね!」

 「あぁ、きっとびっくりするぞ」


 幼いテオはまだ気付いてはいないが、アッシャーは母が二人を働かせていることを心苦しく思っていることを知っていた。アッシャー達が持ってくる僅かな食事も二人の努力や我慢によって得られているものだ。母が深夜、自らの不甲斐なさを嘆き、声を出さず泣く様子をアッシャーは見ていたのだから。


 今日はきっと喜びの涙を流してくれるだろう。そんな予感に足取りも軽く帰途を急ぐのだった。




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