第22話「あーん合戦」
ロルフは困惑していた。レイラもルーシーもからかっているだけだと思う。多分。うん、きっとそう。そうでないと、色々大変というか。
ミアに殺されそう。
「ロルフ、はい、あーん」
考えることを諦め、右隣に座るレイラから差し出されたスプーンをパクっとくわえた。温かみのあるオニオンスープが染み渡るように胸に広がる。今の自分には、心にも沁みてくる。
料理は美味しい。だが、最後の晩餐になりたくない……。
だけど――
「ロルフ、私もー。はい、あーん」
今度は左からルーシーが、ちぎったパンを差し出す。さすがに手を取って食べようとするも、ひょいと避けられる。
「ルーシー?」
「なーに? ロルフ?」
にこにこと笑っているが、パンは目の前に差し出されたままだ。食べようすると――口に突っ込まれた。指は引っ込まない。仕方なくルーシーの指ごと食べる。というより、そうするしかない。
「あっ、ダメだよ。指も食べちゃー」
コイツ、絶対にわざとだろう。いい性格している。
新人のメイド二人に、食事を「あーん」してもらうという謎の状況。しかも、知り合いだ。
前世のロルフなら「なに、その羨ましい状況」と歓喜していただろう。無知とは恐ろしい。
この二人ときたら、料理を運んでくるなり、あっという間に両隣を占領したのだ。隣に座ろうとしたミアを弾いて。ギルド長も奥様――ミージアもいないとはいえ、いささかはっちゃけ過ぎだ。
目の前に座るミアの視線が痛い。
「……仲がいいわね、三人とも。ねえ、ロルフ」
「はは……。二人を止めて下さい、ミア」
「あら、私にその二人を止める権利はないわ。とっても楽しそうだもの、レイラもルーシーも」
この調子でなぜかミアは行為を咎めなかった。その割には、彼女の背後に気炎が見える。魔法なのか。紫色の炎みたいなのが見えるんだけど……。あんな魔法見たことない。
「だ、そうですよ。はい、ロルフ」
「ミアもすればいいのにー。餌付けみたいで面白いよっ!」
天然なのかわざとなのか、ルーシー曰く、餌付けが進む。
「……そうね。私もしてあげるわ。餌付け」
ミアはもりっとパンをちぎり、身を乗り出してこちらに差し出す。
「食べなさい」
「わぁ、恐ろしいですね」
「怖いなぁ」
「うるさいわね。駄狼、駄竜」
口々に囁く二人を黙らせ、ミアは命令口調で告げていた。……明らかに一口で食べられる量ではない。口が塞がってしまう。
「なに? これじゃ足りないの? じゃあ――」
「いや、足ります。食べさせて下さい」
「そう? じゃ、はい、あーん」
ロルフは差し出されたパンに向かって大口を開ける。口いっぱいに頬張り、はみ出している分をどうにか支える。それにも関わらず、ミアはぐいっと押し込んできた。
それはまずい。窒息する。
味は美味しいのに、呼吸の方が心配になる。
「んぐっ」
ミアの手からどうにか離れ、パンを齧りとった。咀嚼し、近くにあった水で流し込んむ。「……んぐっ、んぐっ。はぁ……」美味しいが、少々キツイ。
「もうちょっと、味わいなさいよ。もったいない」
「ミアのせいですよ。息詰まりそうでしたよ」
「ロルフが勝手に食べたんでしょ。私の貴重なあーんなんだから、ちゃんと食べないとダメよ」
「あー、はいはい、食べます。食べますよ」
ミアは澄ました顔で要求してくる。耳を真っ赤にしているあたり、照れ隠しなのかもしれない。できれば、食べ切れる量でお願いしたいが。
「なんですかねー、これー」
「なんだろうねー」
一連のやり取りをそばで伺っていたレイラとルーシーが顔を見合わせ、次いでミアをじっと見る。二人とも視線に含みがある。
「な、なによ。二人とも文句あるの」
「文句はないですよ。面白いだけです」
「私も同じかなー」
「……む、ぐぐ。知らないわよ」
ミアは勢いよく食事を済ませ、立ち上がった。
「ロルフ、ルーシー、先に馬車に乗ってるわよっ!」
「あ、はい。ミア」
「はーい」
「ふんっ!」
そのまま部屋を出ていく。馬車に向かったのか。登校時間には少し早いと思うけど。都合が悪くなると逃げる癖があるよな、ミアって。
「ルーシー、前からあんな感じなの、ミアは」
「えー、どうだろう。……あ、でも最近可愛らしくなった気がするなぁ。雰囲気が柔らかいというか。特に誰かさんに」
「頼む二人とも。俺の前でその話をしないでくれ」
「ふふっ、聞かせてるのよ。ロルフ」
「そうそう。大事なミアのことだからねー」
おかしい。二人はここまで仲良くなかったはずなのに。朝、起こしに来る時といい、この屋敷がどんどん落ち着かない場所になっていく。
ロルフは原っぱで、狩人に追い込まれている獣が思い浮かんだ。
◆
ロルフは、ミアとルーシーを学園に送り届けた後、ギルドの仕事に入った。職場のデスクに着いて早々、噂好きの同僚が話し掛けてくる。まぁ、隣だからどうしようもない。
興奮気味の彼は、ギルドの仕事をしている時よりも、噂を話している方がイキイキしているという奴だ。
朝礼までの少しだけ暇な時間、同僚が口を開く。
「おい、聞いたか」
この口調で話してくるということは、またなにかの噂を聞いたのだろう。しかし、よくまぁ、情報が集まってくるな。なにか情報網を独自に持っているのだろうか。それとも、彼の友人が凄いのかもしれない。なんにせよ、貴重ではある。情報は。
「今度はなんだ」
「こないださー、竜が出ただろ。あれだよ、貴族街のやつ」
竜という単語に、体が震えそうになる。今さらなんだろうか? あれから特になにも起こっていないはずだが。ルーシーも竜化を一度もしていないはずだし。
「ああ。それがどうしたんだ?」
「それがさー、騎士のやつら、討伐隊を組んで森に行ったらしいんだよ。そこに竜が行ったかもしれないって」
「森に?」
なんだ、討伐隊の話か。完全に忘れていたな。まぁ、あそこに竜――ルーシーはいないのだから、空振りに終わったんだろう。
「迷いの森だよ。薄気味の悪い霧が覆っている。で、ここからが本題だ。結論から言えば、竜はいなかったらしい」
「そうなのか? じゃあ、良かったじゃないか」
「それがそうもいかないらしい」
なに? まだ、なんかあるのか。ロルフたちが行ったあと霧しか――あ。
「森の中に広場が出来上がっていたらしい。しかも、そこの木々は燃えていた。燃えカスが山になっていて、あたりには魔物の死体もあったみたいだ。おまけに、だ。戦った跡があるらしい。魔法反応を見つけたみたいだ」
ああー、完全に抜けていた。そうだ、後処理をしていなかった。あの場からルーシーを運び出すので精一杯だったんだよなー。
ロルフは過去に戻りたくてしょうがなくなった。過去に。あ? なぜか妙に腹立たしくなる。
「それだけか?」
「あー、俺が聞いたのはここまでだな。でも怖くないか。仮に竜がいて、戦った跡があるなんて。そんなことができるやつ聞いたことがない」
「まぁ、確かにな」
なんだったんだ、今の感じ。なにか――
「ロルフくん」
ぽんぽんと肩を叩かれて後ろを見ると、上司の女性がいた。
「ギルド長から呼び出し。君、なにしたの?」
「呼び出し、ですか? なにもしてないんですが……」
「早く行ってきなさい。……一応、用心した方がいいかも。君、お嬢様と仲が良いでしょ」
「縁起でもないこと言わないで下さい。ギルド長が相手では洒落にもなりませんよ」
「それはそうね、ふふっ」
意味深に微笑む上司に見送られながら、ロルフは最上階――ギルド長室へ向かった。
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