第13話 検分
渥の言った通り、結城は病死とされ、頭部の傷を縫われて、
出かける直前、渥の態度は更に硬化していた。石で石を打つように厳しい。
寺で葬式まで過ごす一家の代わりに、現一狼は家の留守番を頼まれた。
独りになると、屋敷の広さが強く感じられる。
手持ちぶさたになって、遺体があった客室に行ってみる。血溜まりは、すでにきれいに拭き取られていた。結城を運び出した後、渥の反対を押し切って岩田と中野が片づけたのだ。
――それにしても、僕ならここには泊まらないだろうな。
部屋を見回しながら思う。薄い木戸と通気口、天井のフックに部屋の中央に立つ柱。家具も机とベッドだけ。
結城の私物を確認すると、机の上の教材や英語の本と、ボストンバッグが一つあるだけだ。バッグを開けてみると、着替えが入っているだけだった。
荷物が少ないのも、たいしたものを持っていないのも、「龍」らしかった。
――何かあれば、逃げる用意はできていたのに、殺された、か。
不意打ちするにしても、スピードがなければ結城に反撃されるだろう。その隙を与えないくらい速く、時計で頭を殴った、ということになる。
――焦ってなければ、もっと普通に殺せそうなんだよな。
上を向き、通気口を眺める。
通気口から拳銃で狙えば、この部屋にいる人間を確実に撃ち殺すことができるだろう。そうでなくても、フックと通気口に紐を通しておいて、重い物を
悪く言えば、ここは、客室という名の
――殺人のために用意された部屋、なのかもな。ほかの匂いもするし。
記録を見ようか、と現一狼は考える。代々この部屋を使ってきたとは思えなかった。建物が新しいからだ。ここは、裏の建物を閉ざすときに、代用として作られたのだろうか。
――しかし、この部屋のことを知るためだけに記録を見るというのも。
現一狼は髪をぐしゃりとつかむ。
ただ、気分が落ち着いてから部屋に入ってみて、気になることはあった。
――ほんとうに、四十年前の事件と「龍」は関係あるのか?
そう思った理由は二つ。
一つは、部屋に残った「龍」の匂いだ。新しく、決して四十年前の匂いではない。
もう一つは殺人者の匂い。
血が出るような殺し方をした場合、返り血を浴びた加害者にも血の匂いがつく。
匂いからすれば、この家で殺人経験者は一人だ。最初は二人だったが、結城がよみがえったことで消えた。
そして、もう一人は匂いが古い。もし、
ただ、今回の事件に「龍」が関係あるのは明らかだ。結城からしていたのは「龍」の構成員が持つ、複数の人間を殺したことのある陰惨な匂いだったし、例の不愉快なマグネットもある。
単に、結城が
現一狼は頭を振る。
もう一つ、解せないのは密室だ。
結城が内側から鍵を掛けた様子はない。外から鍵を掛ける方法はない。
そもそも、結城を殴った者にとっても、密室にするメリットがあるだろうか。
思い当たらない。
事故死に見せかけるなら、凶器の位置をずらして、つまずいて倒れたときに頭を打ったように見せかけるのが先だろう。頭に重たいものを打ちつけて自殺するなんて話は聞いたことがない。
「まあ、考えてみるか、密室」
つぶやいて、
次に、セロハンテープを糸につけ、突起に貼った。木戸と壁の隙間から糸を外に出し、木戸を閉めてから糸を引く。
数回は空振りだった。セロハンテープごと外れるか、まったく動かないか。しかし、粘り強く続けるうちに、鍵をかけることができた。糸は強く引くと外れた。
「意外と単純じゃないか」
じゃあ、密室にするメリットを考え直してみればいいんだ、と、ホッとして手元を見る。糸の先のセロハンテープがなかった。内側で
「やれやれ」
中に戻ると、鍵にセロハンテープがついていた。取ると、糸を固定しようとこすったせいか、べたべたしたものが残った。もともと、そんなふうにはなっていなかった。
――違う方法、か。
今度は窓を調べることにする。
ガラスは分厚い一枚板だ。鍵も、よくあるクレセント錠で、何の痕もない。
窓を開けて、外に顔を出し、外壁を懐中電灯で照らしてみたが、足場をつけた痕跡もない。足場がなければ、降りることも登ることも難しいまっすぐな壁だ。
次は、物置から脚立を持ってきて、扉の上の通気口を
「よし」
かけ声を掛けて、通気口に頭を突っ込む。通った。が、すぐに
現一狼でこれなら、男性はおろか、女性でも体を通すことは無理だろう。よほど幼い子どもはぎりぎり通るだろうが、いずれにせよ、格子を元通りにすることも、内側に残る脚立などの足場を外に出すこともできない。
そもそも、発見当時、扉の前には結城が倒れていた。椅子も、脚立もなかった。
「違うな」
頭を抜こうとして、後頭部を打った。痛みに耐えながら格子をはめ直す。脚立から降りると、木戸を閉めたまま、錦が破った穴を通って外に出る。
木戸に仕掛けがないか調べる。
よく見ると、一カ所、木戸が欠けているのが見つかった。
「何だ、これは」
言ってから思い出して、
――難なく説明がつくな。
最後に、部屋の中に戻って抜け穴や隠し扉がないか探す。床も壁も異常がなかった。
――ほんとうに、結城が自分でかけたとしか考えられないじゃないか。
だが、理由がない。犯人の攻撃から逃れるためか。
あり得ない。血は一カ所に溜まっていた。
傷を負って倒れてから、一歩も動いていないのだ。
すっかり考えが行き詰まってしまった。
「ああ、もう」
両手で髪の毛を
「ったく、
声に出してしまっていたことに気づいて、現一狼は慌てて辺りを見回す。
青龍。
それは、「龍」の頭領の名前だ。現一狼にとって誰の名前より特別な名前。いちばん恐れている名前だ。
「冗談じゃない」
青龍が密室にするよう命じたのだろうか。結城の死亡後、誰か部下を差し向けて、わざわざ密室にする意味があったのだろうか。考えてみるが、合理的な理由が思い浮かばない。
――大体、どうして
「記録を見るしかないか」
つぶやいて応接間に戻る。
押入に隠しておいた紙束を取り出して、江戸時代から始まる殺人の記録を読む。母屋の裏にある建物で行われた殺人が中心だ。昔の建物だから、密室にできるような扉もないようだった。殺された人物の罪状、殺され方、墓の場所など、記録も簡潔だ。
明治維新後も密室殺人はないものの、少し手の込んだ殺害方法になる。戸籍ができたせいだろう。病死にする、というのはこの頃からの手法のようだ。
被害者の名前ははっきり書かれているが、犯人の名前は一度も出てこない。個々の記録の冒頭に、当時の家長の名前が書かれるのみだ。
――家長の命令で殺人が行われた、とも読めるな。
現一狼は和紙のつづりをめくる。
第二次世界大戦前の記録の次に、四十年前の事件が記されていた。記録の冒頭にある家長の名は、惣時郎だ。現場は、結城の死んでいた客室だった。内容は岩田が言った通りだ。先代現一狼が死体の匂いを
その後、先代現一狼は少しく
――少しく滞在した、か。すぐに追いかけなかったんだ。
現一狼は目をつむる。
やはり、「龍」など関係なかったのだ。先代は
――そんな
現一狼は天井を見上げ、先代のしかめ面を思い描いた。
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