第6話 結城

 部屋に入った途端、死体と目が合った。

 ふらつき、現一狼も木戸に手を当てる。


「どうした!」


 渥が押しのけるようにして入ってきた。

 現一狼は死体から強引に目をらし、扉を見る。

 座り込んだ錦の頭上に鍵がある。金属の棒は木戸に差し込まれたままだった。

 錦の顔色は悪い。見ると、左手の甲に切り傷がある。深くはない。


「兄さん、大丈夫か」


 錦がけだるそうにうなずいた。身体を前にかがめて立ち上がろうとし、びくりと肩をふるわせる。彼の目の前には、結城ゆうきの血に染まった傷口があった。

 ぐ、とつばを飲み込む音がした。刀から手を離し、片方の手を床に突く。余計に、結城の頭に錦の顔が近づく。


「……!」


 勢いを付けて立ち上がったものの、身体を支えきれずに木戸にぶつかり、反動で前に倒れる。渥がさっと腕を出し、錦の上体を起こす。錦は木戸に背を預け、しばらく姿勢を保っていたが、ずるずると床に沈んだ。


「兄さん!」

「僕に構うな、渥。大丈夫だ」

「……わかっているよ、兄さんだもんな」


 渥が気まずそうに視線をらした拍子に、現一狼と目が合った。


「ああ、あんたは大丈夫だな」


 まったく心配する気配がない。


「大丈夫じゃないです。教えてくれてもよかったのに」


 現一狼は苦笑して言い返す。

 

「何を」

「死体の状況ですよ。戸口をにらんで倒れているじゃないですか」


 喉の奥とこめかみに妙な寒気を感じる。現一狼は自身も青ざめているのに気づいた。


「……でも」


 渥が死体に目を遣り、腕を組んだ。

 

「死んでいるんだから怖くないだろ」


 真顔だ。

 現一狼は、渥の神経の丈夫さに呆れた。


 ――それにしても、こいつは?


 死体は二十五、六歳の男性だ。

 殺人者の匂いは、被害者自身からもしている。

 人と戦い、殺した相手の血を浴びた者特有の匂いだ。

 たいてい、殺した人数に正比例して匂いは濃くなる。

 被害者は、現一狼ほどではないものの、殺した相手が一人や二人ではない者の臭気を放っている。


 ――とはいえ、これはどう見たって。


 死体の側頭部に陥没があり、血溜まりができていた。血はその一カ所だけだ。血の着いた置き時計も転がっていた。これが凶器だろう。

 時計のどの部分で打ったのか確かめようと、現一狼は手を伸ばす。

 

「証拠品に触るな」


 渥が止めた。

 いちいちこざかしい、と思いながら、現一狼は振り返る。

 

「僕は時計を取りにきたんじゃありませんってば。大体、これ、部屋に置いてあったものでしょう?」

「そうだけど。あんたの指紋だとかついていたら困るだろう。家の者ではない人物の指紋は不自然だ」

「僕がいなければ、どうやって指紋を一致させるんですか? それなら、黙って逃げていますって」


 言いながら、死体を観察する。死後五時間程度。未明に殺された、と現一狼は判断した。

 室外に死者の血の匂いがなく、扉に鍵がかかっていた以上、現場はここなのだろう、と部屋を見回す。

 一つある大きな窓にも、内側から鍵が掛けられている。扉と窓以外に出入口はない。扉の上に大きな通気口があるが、格子がかかっているし、よしんば外れたとしても、人の出入りできる大きさではない。


 ――ただ、通気口にしては大きすぎる。

 

「あの」


 ひろ子が扉から顔をのぞかせた。救急箱を持っている。

 現一狼は錦に視線を戻す。

 彼は目を閉じ、肩で息をしていた。

 

「岩田さん、兄さんを運び出そう」


 渥が外に顔を出して呼びかけた。それから、現一狼に向き直る。


「手伝え。危ない木片を何とかしよう」


 破られた木戸のささくれを折りながら、渥は穴を広げていく。


「鍵を開けたらどうです?」


 問いかけると、意外な答えが返ってきた。


「余分な行動は、真相解明の邪魔になる」


 ――真相を解明していいのかな。


 現一狼は危惧したが、渥は言うことを聞いてくれそうにない。仕方なく木戸のささくれを一つ折る。木戸は、扉に相応しくない薄い板で作られていた。錦がたやすく破ってみせたのは、そのためらしい。


「扉、何かあって付け換えたんですか?」


 尋ねると、渥は怪訝けげんそうな顔をした。


「知らないよ。俺が知る限りずっとこれだ」


 嘘をついているようには見えなかった。扉の穴を整えると、渥は岩田と二人で機械的に錦を部屋から運ぶ。声は掛けなかった。弱っている家長を見てはならないという家風なのだろうか。


 ――自分も、「現一狼」となってからは似たようなものだ。

 

 現一狼は錦に同情を覚えた。

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