第7話 殺人

 一人になって改めて部屋を見回すと、違和感があった。

 部屋の真ん中には太い柱が立っている。天井にはフックだ。正面の窓の上には大きな通気口がある。

 振り向くと、破れた木戸の上にも通気口がある。窓と扉は直線上に取りつけられている。そのラインの上にフックもある。


 ――通気口を使えば、鍵は閉められるだろうか。

 

 扉の鍵を確かめる。木戸に開いた穴に金属の棒を差し込んである。棒は金具で支えてあった。ストロー状の金具には溝がくりぬかれ、棒に取りつけられた突起が通るようになっていた。

 鍵を掛けるときには突起を溝に沿って押し出し、棒を穴に差す。その後、突起を縦に走った溝に沿って下に回し、棒を固定するようになっている。現在、棒は鍵が掛けられた状態で固定されている。

 

 ――糸を突起に引っかければ、閉まるだろうか。


 しかし、ちょっとした鍵の突起に、糸が引っかけられるとは思えなかった。糸を貼りつけるための粘着テープのあともない。


 ――じゃあ、長い針金を使う? 

 

 鍵の周りを確かめる。針金でつけられたような傷はない。

 

 ――あとは、磁石か。


 鍵がくっつくのならば、外から引きつけて使うこともできる。

 

 ――試してみるか。


 見回すと、ホワイトボードにマグネットがあった。手を伸ばしかけて、ためらう。真相解明の邪魔になるから、ではなかった。

 マグネットには少年の写真が貼りつけられていた。上半身は裸で、長い髪が胸元にかかっている。少女のような顔を男だと断定できたのは、胸が見えていたからではなかった。

 現一狼が、知っている人物だったからだ。

 写真の男は、普段はこんな姿をさらすような奴ではない。結城が希望しても無理だっただろう。当たり前だ。

 写真の主は現一狼が探している殺人鬼、暗殺組織「りゅう」の頭領、つまりリーダーだ。


 ――あいつ、まだ、こんなことを。


 苦い気分になりながら、写真に焦点を合わせないようにしてマグネットを外し、鍵に近づける。

 鍵は反応しなかった。マグネットを乗せてみると、張りつくことなく床に落ちる。


 これでは、外から鍵を掛けるのは不可能だ。


「参ったな」


 マグネットをたもとに突っ込んだとき、背筋を悪寒が走った。

 ピアスのきんさつがこすれ、ピインと音を立てる。


 ――匂いが、消えた?


 神経を研ぎ澄ます。死体の匂いが、しない。

 逆に、生きている殺人犯から漂う、血の匂いが濃くなった。


 ――まさか。


 おそるおそる振り返る。

 途端、現一狼は飛び退いた。

 頭から血を流した結城が、背後に迫っていた。

 現一狼は、錦が部屋に置いていった刀を手に取る。

 結城の焦点は合っていない。片方の目は血にまみれ、真っ赤だ。見えているのかわからないのに、まっすぐ、現一狼に向かってくる。


 ――匂いのせいか。


 一度、死者の匂いをさせていたのに生き返るような猛者は、「龍」の構成員くらいだろう。もしそうならば、殺した人数は十をくだらない。十人も殺した人間ならば、同じような罪を犯した者の匂いがわかる。間違いなく、目が見えなくても現一狼の居場所は正確にわかっている。おそらく、指先までくっきりと。


 ――こっちも三十人、殺しているからな。


 現一狼は結城をにらみ、策を練る。

 渥も岩田も、錦を運ぶために一時的にこの場を離れただけだろう。戻ってくるまでに、結城を倒さなければ彼らが危ない。理性を失い、暴れる結城に何をされるかわからない。かといって、結城の身体に目立つ傷をつけるわけにもいかない。説明が面倒だ。

 説明できたとしても、自分も「龍」も社会の表側に受け入れられる立場ではない。関係各所にのっぴきならない迷惑をかけるわけにはいかない。


「おまえは、何をしにきた」


 小声で結城に話しかける。結城の瞳が一瞬、現一狼を捕らえたように見えた。

 結城は大きな口を開けて笑み、ジャケットの内側に手を突っ込み、ダガーナイフを取り出し、振り下ろす。

 瞬間を狙って、現一狼はさやに収まったままの刀を、結城の腹部に打ち込む。

 結城が発見されたときと同じように仰向けに倒れ、動かなくなる。血色が戻っていた顔から、どんどん血の気が抜け、命が失われていく。

 床に落ちたダガーナイフには、小さな刻印があった。「龍」の頭領、青龍の紋だった。


「あいつ、なんでこんな」


 拾い上げ、懐にしまう。

 もし、結城の遺体が警察に運ばれて、これが見つかったらどうするつもりだったのか。

 

 ――それ以前に、僕が見つけると計算していたってわけか。

 

 行動を読まれていたことに気づき、現一狼はこぶしに力を込める。握っていた刀のつばが指先に当たった。

 錦の刀だったことを思い出し、傷がついていないか確認しようと、顔に近づける。さやはきれいだ。いったん、刀を抜き、刀身を確認する。こちらも傷一つない。

 

「よし」


 つぶやいて、鞘に収めたときだった。

 刀のつばが目に入った。

 ハチが向かい合った形だ。

 現一狼にはそのハチが、スズメバチだとわかった。

 この紋は、現一狼が所属する武術の流派のものだ。頭領である現一狼の羽織紐にも同じ紋がつけられている。


 ――なぜ、この紋章のついたものが檜家にあるんだ?


 考えようとし、何も考えられなくなっているのに気づく。

 このままでは、渥たちと顔を合わせられそうになかった。いや、そうでなくとも、検死で結城が頭の傷で死んだのではないと知られる前に、逃げ出さなければならない。


 気分を落ち着けようと、刀を元の場所に置き、窓辺に寄る。冷たい冬の空気でも吸おうと、窓を開けた。

 途端、びた匂いが鼻孔びこうを抜けて口に回り込み、舌に苦みを感じさせる。

 目の前には黒いかわらの屋根が低い山のそばまで続いていた。古い平屋の建物だ。大きな建物だけで二棟ある。渡り廊下でつながれた建物からは、びた匂いが立ち上っている。

 現一狼は慌てて窓を閉める。


「なんだ、これ」


 殺人者の匂い、だ。だが、一人や二人のものではない。そして、その殺人者たちが殺した人数も、現一狼の比ではない。


 ――何人もが、ここで殺人を犯した、としか。


 他に匂いの理由をつけられない。現一狼は急に吐き気を覚え、扉の破れ目をくぐると、部屋を出た。

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