第5話 密室

「通気口からのぞいてみましょう。脚立、ありますか?」


 返事をしようとした錦の口元が、止まった。

 現一狼は、背後に軽い振動と気配を感じて振り向く。

 脚立があった。支えているのはあつみだ。彼に隠れるようにして、由希ゆきがこちらをうかがっている。


「使うのか?」


 渥が鋭い視線で見おろした。岩田が遠慮がちに、渥様、といさめた。


「ありがとう」


 現一狼は微笑ほほえんで受け取る。渥よりも怖いものなら、いくらでも知っていた。にらまれるくらい、かわいいものだ。

 渥の視線が柔らかくなり、目が細められる。

 

「おもしろい。俺が見てやるよ」


 脚立を扉の前に立てて、手を掛ける。


「不謹慎だぞ、渥」


 錦がとがめた。

 

「わかっているよ。おもしろいというのは取り消す」


 言うと、足音もしないほど軽やかに上り、通気口から中をのぞく。運動神経のよさそうなひのき家の中でも、渥は別格の神経を持っているようだ。


「おい、あんた」


 頭上から呼ばれて、現一狼は、はあ、と間の抜けた返事をする。

 渥は部屋の中を見下ろしていた。青ざめた顔色から、死体が見えたのだろう、と現一狼は予想する。

 

「ちょっと、詳しすぎやしねぇか」


 ゆっくりとこちらに向けた視線には疑いの色が濃い。

 闘争的な笑みが渥の口元に浮かんだ。

 

「まるで、あんたが殺したみたいだ」


 ――そう言うと思っていた。


 現一狼が、考えておいた言い訳を口にしようとした。

 

「失礼だぞ」


 錦が先に口を開いた。


「でもさ、兄さん。どうして人が死んでいるなんてわかったんだろうな。それに、犯人がこの人だとしたら、取りに戻らなければならないものが残っている」


 思わせぶりな口調だ。

 渥は相変わらず、微笑ほほえみをたたえている。

 錦は戸惑ったように現一狼を見た。

 

「兄さん。こいつは、最初何て言ったんだ?」

「……死体を、見せてほしいと」

「それで?」


 渥は錦に、門での様子を問いただした。錦は一通り話し、見上げる。


「いきなり死体の話をされて驚いたのは確かだけれど、犯人だとは」

「そうかな? こいつが何だか知らないが、まるで殺人現場を知っているように」


 嫌味な口調だ。

 現一狼は壁を思い切りこぶしで突く。

 渥が黙る。それを待って、現一狼は目を細めた。

 

「渥さん、あなたが僕を疑うのも、もっともです。僕は見てもいない死体のことを知っていた。しかも、それをわざわざ見に来た。……その上、結城さんが血を流して死んでいることまで知っているんですからね」


 毒気抜かれたように、渥が固まった。


「でも、僕は犯人じゃないですよ」


 家人かじんを見回し、現一狼は着物の襟に指を当て、シュッと伸ばす。

 自分が通報もされず、無事に役目を果たすためには、言葉を間違えてはならない、そう思うと緊張の汗が手のひらににじむ。

 

「いいですか。もし僕が犯人なら、もっと怪しまれない現れ方を考えます。いくら現場に戻るって鉄則があったって、もっと自然に戻ってきますよ。それに、余り僕を挑発しない方がいい。僕が警察にここに死体があると伝えれば、どのみちひのき家は大騒ぎです」


「それは困ります」


 真っ先に岩田が答えた。

 話が通った、と現一狼はホッとする。


「私は、亡くなった旦那様から錦様と渥様をお預かりしているつもりでおります。お二人の将来に汚点を残すようなことは許しません。それに、今までの事件についても、世間に知られかねません」


 ――今まで。


 現一狼は部屋の扉を見つめる。この部屋は確かに血の匂いに満ちている。今回ばかりではなく、以前のものも。


 ――この部屋で以前に殺人があって、それをひのき家は隠している?

 

「ともかく。結城さんが亡くなっているんですね」

「だったらどうする」

「中を見るだけです。扉を壊していいですか」


 現一狼の役目として、殺人鬼の匂いの出所を確かめておかなければならなかった。


「扉か。そうですね」


 錦が言って、さやごと刀を持って腰を低く取り、木製の扉の前で構えた。


「ええっ、ちょっと、錦さん」


 ――素人がやったら、扉ではなく体が壊れる。


 現一狼が狼狽うろたえていると、渥がささやいた。

 

「兄さんは刀の扱いだとか、体の使い方はわかっているぞ。ひのき家の家長だからな」


 ――何だよ、その当然みたいな言い方は。


 錦を止めるのが先か、渥に事情を問うのが先か迷っているうちに、錦が扉に体当たりした。衝撃とともに木戸が破れ、錦が中に転がり込む。


「えっ、大丈夫ですか」


 現一狼が木戸の破れ目に顔を突っ込もうとしたときだった。

 ドン、と、内側から扉に当たる音がした。


「どうしました、錦様!」


 岩田が慌てて取っ手を引くと、木戸の一部が欠けて廊下に飛んだ。内側の鍵はかかったままだ。


「怪我をしているかもしれません。傷薬を用意して」


 現一狼は渥に言って、木戸の破れ目をくぐった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る