爪と牙とは羊の毛皮のその下に 私は街に独り棲む狼

「爪と牙はコートの下に 我は独り冬の底を行く白き狼」



早くも根多に詰まり、

「何かないか…」と、かろうじて家に残っていた、学生時分のノートやら教科書やらを漁るうちに、

学生手帳の一ページに書き込まれていた、如何にも「厨二臭」漂う一首を見つけた。


紛れもなく、当時の私の筆跡なので、

恐らく通学の電車の車内ででも、暇に飽かせて書き付けたのだろう。



今では

(少なくとも外見上からは)そうとは見えないかも知れないけれども、


学生の時分の私は、常に匕首を懐に忍ばせて歩いているような学生だった。



別に、いわゆる「不良学生」だった訳でない。(←なる度胸がなかったし、別になりたくもなかった)

ただ、常に意味なく気が立っていた気がする。




「そんな、苦虫何十匹かまとめて噛み潰したみたいな顔してないで、もっと笑った方が良いよ、『女は愛嬌』だよ」

と、(主に、母や親類の女性達に)言われる度に、


「んんー…」と、表面上は困ったような表情を浮かべながらも


(笑顔だの愛嬌だの、無理なもんは無理。できないもんはできない。

そもそも、別に面白可笑しくもないのに笑えない。無茶言わないで!)

…と、内心では反発しまくっていた。



高校の卒業アルバムなど、

クラスの皆(特に女子)の個人写真は、一様に笑顔のものが並ぶ中、

私の分だけは、明ら様に仏頂面の、…いわゆる「殺し屋の眼をした」制服の女の子が写っている。


確か撮影時に、何度かリテイクとして

「もう少し笑ってみよう」と言われ、

無理矢理、「ぎこぎこ…」と歯車の軋む音を立てそうな笑顔を作った覚えはあるが、

恐らく、あまりに不自然過ぎて没になったのだろう。


今思えば、写真屋さんも、卒業アルバムの編集の人も、さぞ困ったことだろうと思う。



それからおよそ四半世紀が経過した現在では、

仮にも人間社会の中で暮らす以上、

相手に対して害意が無いのを示すため、


また、人間関係を円滑にするための

笑顔やら愛嬌やらの必要性というものは、

私もさすがに理解している。



ただ、本性が、元々の狼からあっさり羊に変わることはないと思うし、

そもそもそんなことは無理だろう。



……だから、せめて羊の毛皮を纏い、

爪と牙とをその下に隠して、滅多なことでは使うことを考えない…というところからはじめてみようと思う。


そうすれば、いつか、本当に羊として生きられるようになって、

穏やかに生を全うできるかも知れない。



(2023. 6. 29.)

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