シャー芯が折れる日に2

_翌日_/


朝、まだ寝ている母親が作り置きしていた料理を温め、食べながら服を着替えて学校へ行く準備をしていた。手元の机にはシャーペンを置いている。


昨日起こった出来事が未だに信じられない。本当にこんなシャーペン一本で願いを叶える事ができるのだろうか。


今日は学校で大学の模擬試験が行われる。受験まで後1か月。A判定(合格率80%以上)を取りたいというのが僕の願いだ。試運転としては丁度いいだろう。


服を着替え終わったと同時に朝ご飯も食べ終わり、食器はキッチンのシンクに置いて水で浸けておく。


ふと時間を見ると、いつも家を出る時間より遅れていた為、僕は急いで歯磨きを済ませ、マフラーを首に巻いて家を出た。


昨日自殺を考えていた人間が、いつもと同じような時間に追われる生活をしている。


自殺と言う一線を越えるまで、僕はまだ昨日の自分と同じ。


その事に気付かされながら、徒歩で学校へと向かった。


──学校は家から10分圏内の場所にある。学校に友人は居ないのでいつも一人で通っていた。


学校の校門で生徒の雑踏に紛れ込みながら、自分の教室へと向かう。


下駄箱で運動靴から上靴に履き替え、マフラーもそこで脱いでバックへと詰める。


3年1組の教室は階段を上がって直ぐ。


教室に着くと、僕は最後尾にある自分の席へと座り、鞄を机の横のフックに掛ける。


そして鞄の中から参考書を取り出して、机に広げた。此処まででクラスの誰とも目を合していない。


外界から遮断した生活は慣れている。勉強に友人は必要ない。


そうやって自分を言い聞かせながら参考書のページをめくっていると、前の席の生徒が僕に話し掛けてきた。


「今どんな勉強してるの? 」と声を掛けてきたのは、名を前園 梓まえぞのあずさという。


身長が160cmくらいの女子生徒で、髪型は頭頂部から編み込まれたサイドテール、目はぱっちりとしていて、とても社交的な人である。


梓さんはこんな僕でも頻繁に話し掛けてくれる唯一の人で、3年間同じクラスだったという事もあり、仲良くしてくれている。


「数Ⅲだよ」


「数Ⅲか。私数学苦手~」


彼女は後ろ向きで椅子に跨る形で、僕が勉強している姿を見ている。


最近勉強ばかりしている僕にとって、彼女と話している時が唯一の癒しであった。


彼女は僕の初恋の人でもある。内向的な僕に3年間話し掛けてくれて、言葉を交わしていく内次第に彼女へ惹かれていった。


勿論告白する勇気なんてない。今こうやって話しているだけで、僕は十分幸せなんだ。


「最近、絵は描いてるの? 」


彼女から突然、意識外の質問が飛んできたので僕は少し狼狽える。


確かに一年生の初めから二年生の終わりまで、授業の合間を縫って人物画を描いていた。


元々絵を描く事は好きで、友人ができず手持ち無沙汰だった僕が気を紛らわす為に始めた趣味だった。


専用の道具はなかったが、シャーペンのみで絵を描き続け、一度だけ絵のコンクールに入選する程には上手くなっていた。結局親のせいで自由に描けなくなったのだが。


「今は……受験勉強中だから、描いてないかな」


「そっか、残念。君の絵好きだったんだけどなあ」


「だったら一枚だけ──」


此処でタイミングよく、始業のチャイムがクラスに鳴った。


「何か今言った? 」


「いいや、何でもない」


クラスの隅に散らばっていた生徒が続々と席に着き始める。


模試は1時間目。ホームルームが終わったら直ぐだ。


── ホームルームの後10分間の休憩を挟み、1時間目のチャイムが鳴ると、休み時間立ち歩いていた生徒が再び席へと戻る。


先生が教壇に立ち、礼を済ませると、机に冊子とマーク用紙が前列から順番に配られていった。


僕はポケットから、昨日死神から貰ったシャーペンを一本取り出す。


最初に叶えてもらう願いは国語、数学、外国語、地歴公、理科の全ての科目で100点を取る事。


正直自分の実力だけでは取れて平均60点が限度だ。


もし願いが叶わなかった場合も考慮して、気休め程度に考えておこう。


「そろそろ始めるぞー」


僕は机に出していた参考書を鞄に仕舞う。先生は不正行為は無いよう、テストについての諸注意を述べた。


開始のチャイムが鳴る。


「──始め」


先生の合図と共に、生徒が一斉に冊子を捲り始めた。


筆記音が教室に充満していく中、僕はシャーペンに全集中力を注いでいた。


死神からはシャーペンの大まかな使い方しか教えてもらっていない。


取り敢えず芯を出して折ろうとしても、折れないのだ。かなり力を入れているのに。


ここで普通のシャーペンではない事が確認できた。


後はどうやって折るのか。幾つかの仮説の中で、僕は試しに強く願いを頭に浮かべて、芯を折ってみる事にした。


「「模試で全科目100点を取りたい」」と頭に浮かべながら、少し伸ばしたシャー芯を摘んで力を込める。


するとその読みは当たり、今まで一切折れなかったシャー芯が最も簡単に折れたのだ。


折れたシャー芯は1cmくらいの長さで、地面に落下して直ぐ、まるでホログラムだったかのように消滅した。


消滅したシャー芯は黒鉛の粒を宙に撒き散らす。


その粉塵までもが宙で消滅した後、突然、僕の頭の中に数字の羅列が浮かび上がった。


もしかしたら。僕は机に置いてある冊子を2枚開き、最初の問題を解いてみる。


最初は古文の問題。古文は昔から苦手で前の模試でも点数が芳しくなかった。


それなのに、今は答えが手に取るように分かる。国語はそのお陰で、一瞬にし大問1のマークシートを埋める事が出来た。


この状態のまま模試は進んでいき、残り時間30分を残してマークシートを全て埋める事ができた。


結果はいつも1ヶ月後くらいに返ってくるのだが、この時既に全問正解している手応えがあった。


これは凄い物を貰ったのかも知れない。


僕は満点であろう用紙を眺めながら、解き直しているフリとかをして残りの30分、暇な時間を過ごした。


「──止め」


先生の合図と共に、マークシートが後ろから回収される。


前にマークシートを渡す時、梓は『全然ダメだった』と微笑み気味に小声で言ってきた。


嘘つけ。前回全教科クラスで一番だったくせに。


──その後も休憩を挟みつつそれぞれの教科の模試を解いていき、その全て確かな手応えがあった。


これは本当に凄い。直ちに次の願い事を考えなければ。


今日の時間割は模試だけだったので、模試が終わればホームルーム無しでそのまま帰っていいとの事だった。


続々と教室を出ていく生徒達に対して、僕は左下に顔を向け、腕を組みながら次の願い事を考えていた。


いざ本気で願い事を考えようとしても、意外に出てこない。こんなに素晴らしい能力なんだ。どうせなら大きい事に、取るに足らない事には使いたくない。


そんな風に考え込んでいた僕に、突然梓が顔を覗かせてきた。


「っ……」


集中して考えていた僕はふいを突かれたように声を漏らす。


「どうしたの? そんな考え事をして」


梓は僕の事を不思議そうに見つめている。


僕は閃いた。自分なら絶対に実行出来ない願い。


シャー芯を摘み、僕は願う。


「「梓とデートしたい! 」」


シャー芯は折れ、地面に落ちて一回バウンドした後、黒鉛の粒を撒き散らして消滅する。折れたシャー芯の長さは模試の時と同じ、1cm程度。


一度見た光景なのに、それでも目を引くものがあった。


「あのさ、」


シャー芯が消滅して直ぐ、彼女が話を切り出す。


「突然なんだけど、今度遊園地行かない? 」


僕は驚いた表情を見せる。願いが叶ったのだ。


「行きたい! 」


「よかった〜。じゃあ今週の土曜とか、予定空いてる? 」


「空いてるよ」


「分かった。じゃあ時間帯とかは追って連絡するね! 」


「了解です」


彼女はそう言って、いつも一緒に帰っている女友達の方へ向かっていった。


彼女の友達は「何話してたの? 」と問い掛けていたが、彼女は「何でもないよ」と誤魔化しながら教室を出ていった。


好きだった人とデート……能力に頼っている為、少し罪悪感はあるが、それを掻き消す程の嬉しさがそこにある。


今は受験生だが、このシャーペンさえあれば問題はない。


僕は上機嫌のまま、彼女を追うようにして教室を出た。

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