第11話
悪霊になんかなりたくない。
でも、戻るという勇気もない。
生きる事について、私ももっと何か出来たんじゃないかと思うけれど、あれだけ存在を無視された日々を思い返すと、どうにもやってやろうという気力も勇気も沸いてこないのだ。
「はぁ~」
苔が生えた幻想的な森の中、私は盛大な溜息を吐いた。近くでのんびりしているヤクシカが可愛い。
あれから、夜が明ける頃に自然の中へ行きたいという私のリクエストで屋久島に送ってもらったのだ。勇さんとアキに関してはがっつり仕事をしている。
ちょこちょこと様子見に来るからね、と言いながら去って行った。
おかげでゆっくりと、日が差す自然の中で落ち着いていられるわけだけど……。
大きな杉を見上げ、その樹齢に思いをはせる。
どれだけの長い年月、生きてきたのか。人間なんて、昔は五十年だったんだ。今は百年時代とも言われているけれど、それでも到底この樹齢には追い付けないだろう。
気が遠くなるような長い長い年月だ。
戻りたくない
悪霊になりたくない
じゃあ、私に残されてる道は何だろう?
選べるとしたら何を選ぶ?
何を選びたい?
私はどうしたい?
何を選べる?
私は……
「勇さんと居たい」
自然と口に出た言葉に、時間差で赤面する。
うわっ!うわっ!と頭の中でパニックになるも、それが私の本心なのだろうと、冷静な心で把握する。
そうだ。私は勇さんに惹かれている。勇さんと一緒に居たい。だから戻りたくない。
「戻っても地獄」
「本当に?」
いつの間にか、木陰にアキが居てビクリと身体を揺らして驚く。
「え?え!?いつから!?」
「……勇と居たいって辺りから」
聞かれてた!!
思わず叫びだして逃げ出したくなる自分を抑えて、顔を俯かせて心を落ち着かせる。
一分……
五分……
十分……
時間だけが経過していくけれど、あれから何の言葉もかけられない事に疑問を抱きながら顔をあげると、まだそこにアキは居た。
……ただ居るだけのようだ。
何も言われない事に安心しながら、ヤクシマを見ながらフラフラと足を進めると、見守るかのようにアキが後ろに続いてきた。
言葉はないけれど、気心が知れた仲みたいに緊張感や窮屈感がないのが不思議に思える。
しばらく二人で散歩をしていると、ふいにアキが口を開いた。
「戻れよ」
その言葉に、足が止まる。
きっと、それは正しい答えだろう。
実際、今提示されてる二つの道――悪霊か、身体に戻るかを考えれば、身体に戻る方が良いに決まっている。
しかし……それでも……。
――今の私はどうなるのか
――私の想いはどうなるのか
記憶を無くすと分かっていて、それを選ぶなんて、こんなに心が痛むものなのだろうか。
選びたくないと、心が叫んでいるように痛む。
「戻りたくない」
「悪霊になるつもりか」
「記憶をなくしたくない」
「仕方ないだろ」
拗ねた子どものように、みっともない事を言っているのは理解できる。
そして、提示された言葉から、結局どちらかしか道がないのか、と落胆する。
「所詮、生きてる人間と死んだ人間の違いだ」
「――――っ!!」
突きつけられた壁。
命が終わった人間と、まだ終えてない人間の差。
命があるからこその壁だ。
だったら……要らない。要らない……要らない!!
「いっそ殺してくれれば良いのにっ!」
言ってはいけない。
いけないとは思っていても、思わず叫んでしまった。
記憶をなくしたくない。
悪霊になりたくもない。
ただ……ただ勇さんと一緒に居たい。
その望みが叶うならば、こんな命なんて……。
「出来るわけないだろう!!!」
アキが叫ぶ。
目深にかぶった帽子のせいで、その表情は分からないけれど、身体が小刻みに揺れているのは怒りか、それとも悲しみか。
未練を持った者の前で言う事ではない。
分かってはいる、分かっているけれど、私はきちんと理解なんて出来ていないからこそ、こんな事を口に出来たのだろう。
「……道はないの……?」
ハラハラと零れる涙を拭う事もせず、ただただ私は問いかけるかのように呟く。
やだ……。
いやだよ……。
私も死神になりたいのに……勇さんと一緒に居たいのに……。
そうはなれないという事実だけを突きつけられる。
一週間だけ……残された時間は、あと僅か。一緒に居られるのは、たったそれだけだ。
「え?何?どうしたの?」
いきなり現れた勇さんは、私とアキを交互に見つつ、涙を流している私に少し慌てた様子で言葉をかけてきた。
「私……戻るしか道はないのかなぁ……?」
「……っ」
私の言葉に、勇さんは眉間に皺を寄せつつも、真剣な表情でゆっくり頷いた。
「ちょっと、一緒に来てほしい」
勇さんはそう言って、私の手を取ると、いつもの空間を経由するのだろう、白い空間へ誘導した。
もう仕事は大丈夫なのだろうか、私の後ろからアキも着いてくる。
白い空間を経由して出た先に、私の鼓動は大きく跳ねる。そこは、家の近くにある大学病院だ。
ドクン、ドクンと、ないはずの心臓が強く脈打ち、呼吸を苦しくさせるような錯覚さえ起こしている。
――どうして、ここに
そんな思いから、予測出来る事は一つしかない。
勇さんは迷いなく真っすぐに、一つの窓に近づいて行く。行きたくないという心が足を一瞬止めたが、アキがスッと私の横に来て、無言で行くように示してきた為、勇さんの後に続く。
「奈美……ごめんね。ごめんね」
窓から聞こえてきた言葉、その声の主が私の名前を呼ばなくなって、どれだけの時が経ったのだろう。
久しぶりに呼ばれた名前は、悲しみに染まっていた。
「……少し休め」
そんな優しい声を聞いたのも、どれくらいぶりだろう。むしろ声自体、聞いたのも久しぶりだ。最後に聞いたのは怒声だった。
身体が震える。心が震える。
これは一体何なんだろう、だって……まさか……。
そんな思いを胸に、私は決死の覚悟で窓の中を覗いた。
ありえない。そんな気持ちと、あの日消し去ったと思っていたけれど、まだどこかにくすぶっていただろう期待している気持ちが、心の中でせめぎ合う。
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