相沢凪


           *


 栞子の後をついて行きながら、相沢凪は、半ば白目を向いてフラフラしていた。ここから、逃げたい。今すぐに、ビール飲みたい。ストロングチューハイ浴びるほど飲んで、現実逃避したい。

「松下さん。被害者の死体……あるんですよね?」

 相沢が耳打ちする。

 内藤皐月の行方不明から、3年も経過している。まず、腐敗が進んで臭いがエラいことになるはずだし。白骨化させてとか、その類でと言うことだろうか。

 だが、目の前の栞子は、自信を持って歩みを進めている。本当に内藤皐月の死体があれば、案内なんて、死んでもしないはずだ。

 ますます、相沢の心に不安がのしかかる。

「き、聞いてます? 松下さん、本当に大丈夫なんですよね」

「任せておけ。俺を信じろ」

「……っ」

 めちゃくちゃ、嘘くさーい(完全白目)。

 栞子が、備品室の扉を開けた。いの一番に相沢が入って、探す。ロッカーの中、道具入れの中。ベッドの下……いない……いない……いない……

 いない。

「松下さん、いないっす! どこにも、影も形もありません! どうします? どうします? どうしますどうしますどうします?」

「……そうだな」

「……っ」

 あっ、コイツコーロソ。

「これが、海斗君の傘です」

 栞子が、大切そうに保管されていた黒い傘を持ってくる。その表情は、どことなく勝ち誇っているように見えた。

「ああ、なるほど……」

 だが松下は傘のことなど、あまり気にせず、キョロキョロと周囲を見渡す。しかも、絶対に人なんていないだろうと言う場所を。

 やがて、新堂に羽交締めされていた中里が到着する。

「おい! クソ松下! あったのかよ! 死体は、ここにあるって言ったよな!」

「……これ、本物ですよね?」

 松下が大きめのハンマーを拾い、栞子に尋ねる。

「それがどうかしたんですか? まさか、それが凶器だとでも? いや、壁でも壊したら白骨死体でもありますか? お試しになってみては?」

 栞子が余裕の表情を浮かべる。

「……っ」

 ダメだ。もう、完全にクビだ。相沢がそう思い、天井を見上げた時。

 バキッ。

「えっ?」

 松下が、突然、ハンマーで端の備品を破壊し始めた。

「……っ」

 何やってるの、この人!?

 唖然とする相沢、中里、栞子を尻目に、松下は、次々とハンマーで備品を破壊していく。何が起こってるか、理解が追いつかない。

 紛れもなく犯罪行為。

 器物破損。

 ……いや、下手すれば傷害未遂。

 クビどころの騒ぎじゃない。いや、絶対に自分もクビ。これ、吉原係長のクビまで飛ぶ。相沢は思わず気絶しそうになった。

「新堂、離せ! 松下、お前とうとう狂ったか! 離せ離せ新堂! 大変なことになるぞ!」

 中里がそう言って暴れるが、新堂はガッチリとホールドしたまま、微動だにしない。

 やがて。

「……っ」

 松下が、奥の備品の方に向けて、ハンマーをかざすと、栞子が急に走り出して、身を呈して立ちはだかる。

「何するんですか! これは、劇団の物ですよ! あなた、なんてことを……」

「相沢! 栞子さんをどかせ!」

「えっ……どっ、えっ……」

「いいから、早く! !」

「な、なにが……」

 いや、そんなとこに、絶対にいない。

 なんなら、人の入る隙間なんて、全然ない。壁もない。そんな所に、何が……

 でも。

「ごっ……ごめんなさいいいいいいいいっ!」

 相沢は意を決して、タックルした。以前、ソフト部でキャッチャーをぶっ飛ばし、サヨナラホームインを決めたバリのタックルで、栞子をホールドする。

 あるんですよね!?

 と言うか、異常者松下さんの前にいたら、危ないっす、栞子さん。

 やはり、女優だから身体は軽かった。高校部活をガッツリこなし、体育会系の警察組織に揉まれた相沢の敵ではなかった。

「は、離しなさい! 離して!」

「離すな! いいか……刑事なら、絶対に離すなよ」

 松下はそう言いながら。

 栞子が立ちはだかった、用具入れの中を探り、取り出した。

 そして。

「なるほど、

 松下が、手にしていたのは、人形マネキンの腕だった。相沢が栞子の方を見ると、青ざめたような表情を浮かべている。

「これ、海斗さんの腕の模型ですよね?」

 松下が持っているのは、腕の模型だった。肌感や色合いが、かなり精緻に作られている。

「すいませんね。探してたの死体じゃなくて、この証拠なんです」

「……お前、何を言ってるんだ?」

 中里が唖然としながら、尋ねる。

「……そうですよ、何を言ってるんですか、松下さん?」

 栞子も尋ねる。

「あれ? でも、なーんか、顔色悪くないですか?」

「……」

 松下が、漆黒の瞳で覗き込む。

「これですよね? あなたが、隠したかったものは?」

「違いますよ、何を言ってるんですか?」

「あれ、違いました? なら、壊していいですか?」

「やめてください! 1つ1つが、思い出のある道具です」

「でも、他の小道具は止めなかったですよね? なんで、これだけ、そんなに拒絶するんですか?」

「……」

「わかりますよ、栞子さん。あなたの、感じてること、ぜーんぶ」

「……」

 松下は彼女を見下ろしながら、笑顔を浮かべる。

「ま、松下さん。私、何がなんだか」

「離すなよ、相沢。根性入れろ。隙、狙ってるぞ」

「……はい」

 相沢はギュッと栞子の身体を抱きしめる。今度は、半信半疑じゃない。さっきから、彼女の表情が尋常じゃない。

「栞子さん、腕ですよね?」

「……腕?」

 相沢が尋ねる。


「ああ。遠藤栞子さんは、腕に異常な性的嗜好(セクシヤリズム)を持ってるんだ」


 

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