中里武
夜8時。中里は、下北沢にある小劇場へと入った。簡易的な受付ブースでチケットを見せ、中へと入る。
「いいもんだ……」
そうつぶやいて、舞台の準備をイソイソとしている栞子を見つめる。最初は、事件の聞き込みのつもりだった。
でも。
いつしか、ここに来ることが日課になっている事に気づいた。栞子の健気な姿に、心が洗われている自分に気づいた。
恋人を殺されて。
どれだけ深く絶望を感じただろう。どれだけ重い十字架を背負っただろう。少しでも、それを軽くしてやりたいと思って、ここに通って報告をしていた。
「へっ……軽くなってたのは、こっちか」
劇が始まった。若い演者、若い脚本、拙い機材。青く未熟なそれを見せられていると、なんだかこちらも若く思えてくるのだから不思議だ。
その時、横に座ってきた客がいた。無遠慮に買ってきた唐揚げをガリガリと音を鳴らして食っている。
マナーの悪い客だ。
「おい、あんた……ちょっとーーっ」
「綺麗ですね、栞子さん」
「ま、松下! てめぇ、なんでここに……」
「シッ! 邪魔になるから、静かにして下さいよ」
「くっ……」
お前には言われたくないと怒鳴りたくなるが、確かにトーンが大きくなっているので、中里は怒りとともに声を潜める。
「何の用だ? 帰れ」
「そう言う訳にはいかないんですよね。一応、犯人がわかったんで、栞子さんに報告しに来たんですよ」
「な、なんだと! 誰だよ!」
「その前に劇。せっかくだから、見ましょうよ。金がもったいないですよ」
「……お前、本当にふざけたヤツだな」
中里のボルテージが再び上がっていく。
「隣に新堂君がいるんで、暴れても無駄ですよ」
「ちぃーっす」
「くっ」
いつの間に。周囲を見渡すと、相沢と南条も劇を見ていた。
そして。
「梶祐介……秋本理佐……」
「あっ、気づきました? 連れてきちゃいました」
「お前、いったい何を考えてるんだ!」
「大事なんですよ。犯人を追い詰めるために」
「……証拠はあるんだろうな?」
「さあ」
「もし、確証がなかったら、俺はお前を絶対に許さねえ」
中里が、ギロリと松下を睨みつける。
「……少し、昔話しませんか?」
「あ?」
「ほら、5年前。あの時のことです」
「ああ。お前がヘタこいて、未成年を取り逃がしたことがあったっけ」
「全部、俺のせいなんですね」
「当たり前だ。あの時の現場責任者はお前だった」
中里は鼻で笑う。
「応援に来たのが、あんたじゃなければ、もう少しマシに立ち回れたと思いますけど」
「言い訳か? ダッセェの」
「違いますよ。と言うか、聞きたいんです。なんで、あんただったのか」
「あん? そんなの指名されたからだろ」
「北島一課長にですか?」
「違ぇよ。あの人は、係長に出せって指示しただけだ」
「……誰ですか?」
「あん? そんなの、よく覚えてねぇな」
「思い出して下さいよ」
「そんな義理ねぇな。土下座したら、考えてやるよ」
「ええ。嫌だな、それは」
「じゃ、諦めるんだな」
「そこをなんとか。この事件の犯人捕まえたら、教えてくれません?」
「あ? ふざけんな、事件は遊びじゃねぇぞ!」
「いいじゃないですか。この前、捕まえたら土下座してくれるって言ってましたし。それ、チャラでいいですから」
「はん! お前なんかに捕まえられる訳がねえ」
「捕まえたら?」
「あり得ない」
「あり得ないなら、いいじゃないですか」
「……なら1つだけ条件がある」
「なんですか?」
「もし、捕えられなかったら、お前、警察官辞めろ」
中里はニヤけ顔でつぶやく。
「……」
「どうした? そんな覚悟もないのに、そんな大口叩いてたのか?」
「いいですけど、俺からも1つだけ条件があります」
「言ったな! お前、いいって、今、言ったよな!」
「条件があるって言いましたよ。それ、飲んでくれたら、いいですよ」
「おお、いいともよ。なーんでも、なーんでも、飲んでやる」
中里は自信満々に言い放つ。
「そうですか。じゃ、中里さん」
松下は笑顔を浮かべて言う。
「警察官やめてください」
「……お前」
「あれ? 自信がないんですか? 今まで3年間も、捜査しておいて、数日だけしか捜査してない俺に先越されるのが、怖いんですか?」
「……」
「情けないですね、中里さん。刑事人生賭けてるなんて、大層な言葉吐いておいて」
「もう、冗談じゃ効かねえぞ?」
「もちろん。ついでに、録音もしておきましたよ」
松下がレコーダーを中里に手渡す。
「……わかった。聞かせてもらおうじゃねぇか、お前のクソ推理を」
「いいですよ。そろそろ、劇も終りますし」
幕が降り、舞台の演者が一斉に出てきてお辞儀をする。
そんな中で。
中里が不敵な笑みを浮かべ。
松下が不敵な笑みを浮かべた。
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