幕間

三上玲子(1)

           *


「……今夜の報道エアラインは、ここまでです。では、また明日」

 三上玲子は丁寧にお辞儀をして、満面の笑みを浮かべる。

「はい、オッケーでーす。玲子さん、お疲れ様でしたー」

 アシスタントディレクターの中西徹が近づいてくる。彼は30歳の自分よりも7歳若い。細やかに動いて、元気もいい期待の若手だ。玲子は爽やかな笑顔を返しながらも、視線は明日の原稿に向く。

「お疲れ様……あっ、この事件。八芒星の。解決したのね」

 隣の資料を眺めながら、思わずつぶやく。その特異な現場状況から、報道でもかなり話題になった事件だ。

「ええ。捜査一課は最近調子いいみたいですね。立て続けに事件解決してってますからね」

「不甲斐ない5年前から、少しは成長したってことかしらね」

「いやぁ、それはどうすかね。古い体質はなかなか変えられないって言うし。でも、あの醜態ったらなかったですよ」

「中西君。彼らを悪く言うのはよくないわ。刑事はあくまで公私良俗のために力を尽くしてるのだから。ただ、権力はいつか腐敗する。私たちは、そのチェック機能として役割をまっとうするだけ」

「くぅ……やっぱ痺れますよ。玲子さんは別格。なんせ、気合いが違いますからね」

「気合いねぇ」

 女に向かって使う褒め言葉ではない気がして、玲子は思わず苦笑いを浮かべた。まあ、ほぼ男のような生活をしているのだから、あながち間違ってはいないのだが。

「……最近、現場に出てないからなまっちゃうわね」

「いや、視聴率トップのアンカーが現場最前線まで行くんですか? どんだけのバイタリティなんすか? ありえないですよ」

「なに? 人を怪物呼ばわりするの?」

「そりぁ、あの時の玲子さんの記者魂。俺らの間では、もはやレジェンドっすよ。レジェンド」

「はいはい。それだけ歳を取ったってことが言いたいのね」

 必要以上の賞賛を、おどけた言葉で返し、玲子はフロアを後にした。

「ふぅ……」

 あれから、5年の時が過ぎたのか。目まぐるしく起きる事件に、忙殺される毎日だったが、それでも誰よりも充実した日々を送れているという自負はある。

「先輩」

 エレベーターが開くと、2歳下の後輩、杉崎聖良が立っていた。彼女は、サブのキャスターで、主に中継を担当している。

「どうしたの?」

「あー、なんですか冷たい。近くまで寄ったんで、せっかく差し入れ持ってきたのに」

 聖良は手に持っていた抹茶オレを嬉しそうに掲げる。

「わっ、ありがとう。あれ、言ったっけ? 私が抹茶オレ好きなこと」

「先輩の好みは、私は全部知っているのです」

 彼女はそう言って、豊満な胸を突き出す。男でなくても触りたくなるそれを、一瞬、自分のものと比べて苦笑いする。

「はぁ……それ、魅力的な男性から聞きたかったわね」

「隙がなさ過ぎるんですよ、先輩は。みーんな狙ってるのに、ちっとも寄せつけてくれないんだから」

「そんなことないわよ」

「あるんです。みんな、言ってますよ」

「そう? じゃ、少し隙見せとく。少しね」

「前もそんなこと言ってましたけど、全然でしたからね。なんで、私が隙の指導役になんないといけないのか、意味わからないですけど」

「ふふ……」

 雑談をかわしながら入り口を出た時、テレビ局の大きな円柱に、もたれかかっている男がいた。自分と同年代くらいだろうか。若干影のある様子が気にかかり見ていると、目が合った。途端、玲子は心の鼓動が強く波打つ。

「ごめん、聖良。先に帰ってて。私、ちょっと用事があるから」

「えっ。先輩にも、もしかして。あの人が、そうなんですか?」

「違うって。じゃ」

 玲子は笑いながら手を振り、男の下へと近寄る。体型も、ファッションもあまり変わってない。まるで、5年前にタイムスリップしたかのような懐かしさを玲子は覚える。

「久しぶりですね、松下さん」

「……俺の名前、覚えてたのか?」

「忘れるわけ、ありませんよ」

 思えば、玲子の社会人の青春時代は松下という男とともにあった。事件が起きた時、最前線には常にこの刑事がいた。

「ラーメン。食べに行きません?」

 玲子は笑顔を浮かべて言う。

「変わったもんだ。前は、どれだけ誘っても来やしなかったのに」

「本気で誘われたら行ってましたよ。その気ないのわかってましたから」

「激しく勘違いだと思うが」

 大きくため息をついて、松下は歩き出す。玲子は、懐かしげなその背中を眺めながら、ついて行った。


 屋台のラーメン屋に座って。二人はそれぞれ注文する。

「ビールでいいですか?」

「ああ」

「大将、生二つ」

「あれ? カシスオレンジしか飲めないって、言ってなかったっけ?」

「今ではビールしか飲めません」

「大人になったもんだ」

 松下は苦笑いを浮かべながらビールの入ったジョッキを合わせた。玲子の喉に液体が流し込まれる。瞬間、スカッとした感触が身体中を支配する。

 この、一杯の充足感のために日々頑張っていると言っても過言ではない。今日も、全力で働いた。明日も。明後日も。

「大将、もう一杯」

「早っ! 大丈夫か?」

「平気です。もう三杯は軽くいけますよ」

「お前……言っとくが、歩いて帰れる程度にしとけよ」

「あれ? 送ってくれないんですか?」

玲子は、悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「週刊誌に載るのはごめんだ。今や人気絶頂の女性キャスター様だもんな」

「……運がよかったんですよ」

「じゃ、俺は運が悪かったのか」

「さあ。私は、あなたの5年間を知りませんから」

 出てきたラーメンのチャーシューを齧りながら答える。巡り合わせは悪かったんだとは、思う。刑事と報道記者。基本的には、ほぼ敵と味方。正義と悪ではない。それぞれの正義が違っているが故に、ぶつかり合う運命にあった。

「……東條敬吾」

「……」

 松下の言葉に、麺を掴んだ箸が止まる。

「その後は、追ったのか?」

「しばらくは。刑事たちが張り込むのを、防ぐ役割もありました」

「そうか」

 松下はグッとビールを飲み干した。

 有罪を立件する証拠がありながら、無罪。未成年容疑者暴行のニュースは瞬く間に、衝撃として駆け巡った。検察は担当責任者の松下の提出した証拠を、信頼足りうる物証とは見なさなかった。

「三上。一つ、聞いていいか?」

「はい。なんですか?」

「なんで、あの時、私有地に侵入した」

 松下は真っ直ぐに玲子を見つめた。すべてを見透かすような瞳。責めている様子ではなく、純粋に問いかけているのがわかった。

「どう言う意味ですか?」

「お前は優秀な記者だった。何度も話しているうちに、頑固だけど、骨があって、情熱があって」

「だった……ですか」

 玲子は皮肉めいた笑みを浮かべる。

「言葉のあやだ、気にするな。だから、あの暴走があった時、驚いた。とてもじゃないが、そんなことをするタイプには思えなかったからだ」

「……私、そんなに強くないですよ」

 麺をすべて食べ終え。鶏ガラの透き通ったスープ越しに、あの時の記憶が蘇ってきた。


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