南雲康一


           *


 松下と相沢は、捜査一課第六係のフロアに戻った。デスクを見ると、今朝に置いてあった膨大な書類が消え去り、新たな膨大な資料に置き換わっている。

 松下の話だと、常人の10倍以上の作業能率を叩き出す係長の仕業だと言う。吉原は相沢に気づくと、ひと息つき、悪魔なのに、天使のような笑顔を浮かべる。

「お疲れ様です。収穫はありましたか?」

「怪しいやつはいたな」

 松下は少し考えながら答える。

「えっ!? 容疑者の当たりがついたってことですか?」

 椅子に座って背伸びをしていた相沢が、びっくりして横やりを入れる。二人で当たった関係者は、恋人の遠藤栞子、母親の芦谷紗栄子、幼馴染の梶雄介、元恋人の秋本理佐、同じサークルだった中西徹と仁科圭子。相沢の見立てでは、まったくそんな気配は感じなかった。

「ある程度はな。南雲はまだ来れないのか?」

 松下は吉原に向かって尋ねる。

「今日には挨拶に来るはずですけど……どこほっつき歩いてるのかしら」

「何者ですか? その人」

「南雲康一。同じ第六で働く仲間よ」

 吉原が答えると、突如、新堂が立ち上がる。

「南雲って……あの、変人南雲ですか!?」

「な、なんですかその犯罪めいた二つ名の男は」

 相沢がげんなりした表情を浮かべ、吉原を見る。この人は第六に、これ以上キャラの濃い人材を入れようと言うのか。

「アリバイ崩しのスペシャリストよ。前、一課にいたこともあったけど、その名の通り性格的に難があって左遷されてる」

 吉原がなんとも言えない苦笑いを浮かべた。

「アリバイ崩しですか。そんな、推理小説の主人公みたいな」

 事件のセオリーとしては、まずアリバイの薄い関係者から洗い出して行く捜査が基本になる。密室殺人とか、トリックなどと言うのは、よほど特異な事件でない限りお目にかかったことがない。

「まあ、事件の性質もいろいろあるから。南雲君はその手の類の事件には滅法強いのよ。逆に、9割9分以上の地道な捜査には興味がなくて、手を抜きまくって、それがバレて網走の交番に飛ばされた」

「な、なんですかそのふざけた阿呆は」

「聞き捨てならないですね」

 後ろから声がして振り向くと、男が立っていた。痩せ型で顔の堀が深い。イケメンだが、その鋭いキツネ目で、全体として陰険なイメージが漂っている。

「誰ですか?」

 相沢が尋ねると、痩せた男は大きくため息をついて、フッと笑みを浮かべる。

「捜査一課は、また質が落ちましたね。まず、自分から名乗ると言う礼儀も知らない小娘が、のうのうと座っているのだから」

「……えっ、吉原係長。なんなんですか、この人?」

 相沢がキレ気味に振り返る。

「ほら、今、話していた南雲康一君よ。南雲君、こちらは相沢凪さん」

「よろしく」

 南雲が笑顔を浮かべる。

「……えっ、吉原係長。マジですか?」

「うん」

 途端に相沢がガクッと首を下に傾けた。なんだって第六にはこんなヤツしかいないのか。常人が自分しか存在していないではないか。(相沢が思うに)

「それより、相沢さん。さっきの言葉は取り消して欲しいな。適材適所。僕以外にできる捜査は僕以外に、任せればいい。北島さんはそこを理解して僕をうまく使っていた。あの人が左遷されて、単調でつまらない事件ばかり任せられるようになったから、それだったら仕事の少ない部署で、推理小説を読む時間に当てたい。むしろ、こっちから異動を願い出たんだよ」

「つ、つまらない事件!? 事件につまるもつまらないもないでしょ!?」

 思わず相沢が立ち上がると、南雲が如実に不快な表情を浮かべる。

「……松下さん。この熱苦しい女、大丈夫なんですか?」

「な、なんですって!?」

「落ち着け、相沢。はい、バナナ」

「さ、サル扱いしないでくださいよ」

 と言いつつ、怒りでバナナを剥き、リスのように頬張る。そんなヒステリック新人をよそに、松下は南雲に資料のコピーを手渡す。

「崩してもらいたいアリバイがある」

「ほぉ。さすが、松下さん。わかってるじゃないですか」

 受け取った南雲はニヤリと笑い、それを受け取って熟読を始める。相沢が横からそれを見ようとすると、サッと隠して睨みつけてきた。

「なんだ? これは、僕のものだぞ」

「ぼ、僕のものって。事件はみんなで解決するものでしょ?」

「事件? 僕はアリバイ崩しを指示されたのであって、事件の解決を指示されたのではない。そんなことは君たちで勝手にやってくれ」

「……は?」

 相沢が本日3回目のキレ声を出す。

「聞こえなかったのか? 頭だけじゃなくて、耳も悪いのか? 松下さん、この小娘、本当に大丈夫なんですか?」

「……っ」

 思わず殴りかかろうとした所を、松下にはがい締めされる。

「落ち着け、吉原。こいつの口と性格の悪さは折り紙つきだ。我慢しろ。南雲、こいつは期待の新人だ。ほどほどにしといてくれ」

 そう言われて、なんとか感情が落ち着いてきた。フン、とこれみよがしに聞こえるような声を出して、そっぽを向く。

「松下さん、誰の資料を渡したんですか?」

「教えない」

「な、なんでですか!?」

「まだ、お前の立てた犯人の目星を聞いてない」

「……松下さんが立てたんだからいいじゃないですか」

「よくない。いいか、現時点でのお前の実力には全然期待してない」

「ひ、酷い」

「だが、未来のお前の実力には少しだけ期待している」

「……」

「だから、相沢。お前はお前なりに犯人に当たりをつけろ」

「事件はゲームじゃありませんよ」

「ゲームだよ」

 松下はそう言い切って、相沢の瞳を見つめる。

「……」

「事件は、ゲームだ。ゲームなんだよ。少なくとも俺は、そう認識して結果を出してきた。否定したいか?」

「……はい」

「だったら、磨け。実力を磨いて、お前の主張を通せるくらいに」

「うー、わかりましたよ。わかりました、やればいいんでしょやれば」

「じゃ、早速コーヒー買ってこい」

「そんなこと言っておいて、いきなり雑用ですか!?」

「新人だろ? 当たり前だ」

「くっ……じゃ、先輩らしく奢ってくださいよ」

「あいにく、俺は役に立つヤツにしか奢らないと決めている」

「な、なんて自分勝手な決意」

「相沢さん、申し訳ないけど、これで買ってきて」

 吉原が千円札を出して、手渡す。

「さっすが。どっかのケチな誰かさんとは違いますね」

「俺、微糖な、微糖」

「はい、ブラックですね。わかりましたー」

 と嬉しそうに相沢が走っていく。その後ろ姿を南雲はチラッと眺めて、松下の方を向く。

「役に立つんですか、アイツ?」

「もう少ししたらな。きっと俺なんかよりも大きく育つよ」

「松下さんより? ちょっと考えられないな」

「目と直感がいいんだよ、アイツは。自分じゃ気づいてないけど。まあ、あとは実戦を100回ほどこなせば、立派な戦力になる」

「……そんなもんですか。そんな体育会系な育て方、今どき流行らないと思いますけど」

「野生の獣は、座学じゃ育たないんだよ。それより、新堂君。ちょっと、これ調べてくれ」

 松下はそう言って資料を手渡した。


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