南雲康一


 松下と相沢は、捜査一課第六係のフロアに戻った。デスクを見ると、今朝に置いてあった膨大な書類が消え去り、新たな膨大な資料に置き換わっている。


 松下の話だと、常人の10倍以上の作業能率を叩き出す副課長の仕業だと言う。吉原は相沢に気づくと、ひと息つき、悪魔なのに、天使のような笑顔を浮かべる。


「お疲れ様です。収穫はありましたか?」

「怪しいやつはいたな」


 松下は少し考えながら答える。


「えっ!? 容疑者の当たりがついたってことですか?」


 椅子に座って背伸びをしていた相沢が、びっくりして横やりを入れる。二人で当たった関係者は、恋人の遠藤栞子、母親の芦谷紗栄子、幼馴染の梶雄介、元恋人の秋本理佐、同じサークルだった中西徹と仁科圭子。相沢の見立てでは、まったくそんな気配は感じなかった。


「ある程度はな。南雲はまだ来れないのか?」


 松下は吉原に向かって尋ねる。


「今日には挨拶に来るはずですけど……どこほっつき歩いてるのかしら」

「何者ですか? その人」

「南雲康一。同じ第六で働く仲間よ」


 吉原が答えると、突如、新堂が立ち上がる。


「南雲って……あの、変人南雲ですか!?」

「な、なんですかその犯罪めいた二つ名の男は」


 相沢がげんなりした表情を浮かべ、吉原を見る。この人は第六に、これ以上キャラの濃い人材を入れようと言うのか。


「アリバイ崩しのスペシャリストよ。前、一課にいたこともあったけど、その名の通り性格的に難があって左遷されてる」


 吉原がなんとも言えない苦笑いを浮かべた。


「アリバイ崩しですか。そんな、推理小説の主人公みたいな」


 事件のセオリーとしては、まずアリバイの薄い関係者から洗い出して行く捜査が基本になる。密室殺人とか、トリックなどと言うのは、よほど特異な事件でない限りお目にかかったことがない。


「まあ、事件の性質もいろいろあるから。南雲君はその手の類の事件には滅法強いのよ。逆に、9割5分以上の地道な捜査には興味がなくて、手を抜きまくって、それがバレて網走の交番に飛ばされた」

「な、なんですかそのふざけた阿呆は」

「聞き捨てならないですね」


 後ろから声がして振り向くと、男が立っていた。痩せ型で顔の堀が深い。イケメンだが、その鋭いキツネ目で、全体として陰険なイメージが漂っている。


「誰ですか?」


 相沢が尋ねると、痩せた男は大きくため息をついて、フッと笑みを浮かべる。


「捜査一課は、また質が落ちましたね。まず、自分から名乗ると言う礼儀も知らない小娘が、のうのうと座っているのだから」

「……えっ、吉原副課長。なんなんですか、この人?」


 相沢がキレ気味に振り返る。


「ほら、今、話していた南雲康一君よ。南雲君、こちらは相沢凪さん」

「よろしく」


 南雲が笑顔を浮かべる。


「……えっ、吉原副課長。マジですか?」

「うん」


 途端に相沢がガクッと首を下に傾けた。なんだって第六にはこんなヤツしかいないのか。常人が自分しか存在していないではないか。(相沢が思うに)


「それより、相沢さん。さっきの言葉は取り消して欲しいな。適材適所。僕以外にできる捜査は僕以外に、任せればいい。北島さんはそこを理解して僕をうまく使っていた。あの人が左遷されて、単調でつまらない事件ばかり任せられるようになったから、それだったら仕事の少ない部署で、推理小説を読む時間に当てたい。むしろ、こっちから異動を願い出たんだよ」

「つ、つまらない事件!? 事件につまらないも面白いもないでしょ!?」


 思わず相沢が立ち上がると、南雲が如実に不快な表情を浮かべる。


「……松下さん。この熱苦しい女、大丈夫なんですか?」

「な、なんですって!?」

「落ち着け、相沢。はい、バナナ」

「さ、サル扱いしないでくださいよ」


 と言いつつ、怒りでバナナを剥き、リスのように頬張る。そんなヒステリック新人をよそに、松下は南雲に資料のコピーを手渡す。


「崩してもらいたいアリバイがある」

「ほぉ。さすが、松下さん。わかってるじゃないですか」


 受け取った南雲はニヤリと笑い、それを受け取って熟読を始める。相沢が横からそれを見ようとすると、サッと隠して睨みつけてきた。

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