中里武

           *


 捜査一課第四係、中里の日課は、斜め前にある第六係(仮称:特殊犯罪係)のデスクを睨みつけることだった。そこに座っているのは、右も左もわからぬ新人小娘。そして、嘘っぱちプロファイリングのペテン刑事。この2人がくだらないやり取りを交わしている。


 いつもなら、綺麗すぎる笑顔が逆に怖いと評判の副課長が黙らせるのだが、今日はいない。


 しかし、代わりに目を惹くのは、ムッツリ顔で腕を組んでいる男。元機動隊第三係の新堂龍司だ。


 副室長の吉原と同じ28歳。機動隊はチームプレーを重視する仕事柄で年功序列も厳しい。おかげで、まだ係長になれてはいないが、誰もが認める有能な男である。


「なんで、機動隊のエースがこんな係に……」


 中里は思わず下唇を噛む。松下なんかがいるようないわくつきの係を、なんだって機動隊の有望株が配属されるのか。


「狙撃の腕もオリンピック級って聞いたことありますよ。噂だと、五輪の候補にも選ばれたって」


 後輩の三木谷が資料を眺めながらつぶやく。


「はっ、吉原の色香にやられたか?」


 少し大きな声で、あえて第六係に聞こえように言った。


「……」


 新堂がおもむろに立ち上がる。その瞬間、中里の顔に緊張が走る。身長190センチ越え。ベンチプレスは、100キロを悠々持ち上げるほど。そんな巨大な筋肉の塊に襲い掛かられれば、一瞬で入院の憂き目に遭うだろう。


 しかし、そんな本能的な心配をよそに、新堂は中里の横を雄大に通り過ぎた。なんだ、トイレか。中年の小太り刑事は、安堵のため息をつく。そして、再び第六係へと視線がいく。


 松下の表情は変わらなかったが、小さく唇が動き、思わず中里の顔が真っ赤になる。江戸っ子気質な小太り中年は、すぐさま、立ち上がって松下の席へと詰め寄る。


「お前、今、ダサって言ったよな?」

「なんのことですか? 知りませんよ」

「嘘つくな。見逃さなかったぞ、ペテン師が。お前のような捜査一課の面汚しは、いや、お前ら第六のようなヤツらは、ここには必要ない」


 中里は、松下配属初日から、第六係設立当初から溜まっていた鬱憤を、吐き出す。


「……それ、課長から言われりゃ、まあわかりますけどね」


 面倒くさそうに、松下は頭に両手を当てる。


「なんだと?」

「いや、だって。こっちは、辞令受けてここにいるのに」

「副課長以外の全員を代弁したしただけだ!」


机に両手を叩きつけて威嚇する。


「どうしたんですか?」


 その時、新堂が戻ってきた。


「聞いてくれよ。この人、第六に文句があるんだって」

「なんですか?」

「……っ」


 頑強な上背の男が、ひとまわり小さい太った中年と対峙する。あまりの迫力に、数歩後ずさりたくなるが、中里はなんとか堪えて新堂を睨む。


「だ、だいたいお前、機動隊からなんで捜査一課に来るんだよ。ルートが違うだろうが、ルートが」

「上の判断です」

「上の判断だったら、なんだって従うのかよお前は」

「可能な限りは」

「なんでも、じゃないのか? 警察犬みたいによ」

「……犬?」

「……っ」


 しまった言い過ぎたと、中里は一瞬頬を青ざめる。しかし、もう周囲の注目を十分に集めてしまっている。ここで、新参者になめられるわけにはいかない。


「申し訳ないですが、配属に文句があるのなら、係長か課長にお願いします」

「はっ、逃げんのかよ」

「それか、柔道……」

「はっ?」

「個人的に文句があるんだったらいつでも買いますよ。柔道、やりましょうよ」


 新堂はニコッと笑みを浮かべながら言う。


「なんだ、得意の暴力でなんとかしようってか? さすが、元機動隊は野蛮だな」

「……それか、これからトイレ……来るか?」


 耳元でボソッと。中里に近づいてつぶやく。


「……っ」

「3秒で地べたなめさせてやっから。犬みたいに」

「……」


 瞬間、中里のシャツに油汗が広く滲み始めた。こいつ、危ない。規律の中に、明らかに凶暴な一面を備えている。下手に挑発したら、すれ違いざま、脇腹に膝入れられたり、トイレ中に背中に肘を入れたりする輩だ。絶対に、コイツはそう言う類の危険人物だ。


 中里は、それ以上なにも言わずにそこから撤退を始める。そして、一連の流れを黙って見守っていた松下は、嬉しそうに、新堂の背中をバンバンと叩く。


「いや、さすが。元暴走族の総長はいいね。肝が据わってる」

「……やめてくださいよ」

「お世辞じゃない。本当に使えるよ。栗羊羹食べる?」

「それって、私が使えない新人ってことですか?」


 隣で聞いていた相沢が、すかさず口を挟む。


「他に誰がいる?」

「ひどっ! その栗羊羹は私が差し入れたんですよ。文句言うなら、食べないでくださいよ」

「ちっ」


 ワイワイしている姿にイラつき、中里は逃げるように部屋を出た。


「……クソったれ」


 自販機で、ブラックコーヒーのボタンに拳を見舞う。


「お疲れ様です。大丈夫ですか?」


 同じ係の折原が、出てきた缶を取り出して渡す。


「松下の野郎。調子に乗りやがって。だいたい、あいつのせいでどれだけ大変だったか」

「もう、気にしないことですよ。あんな、当てずっぽうのエセプロファイリング。前みたいに、すぐメッキが剥がれるに決まってるんだ」

「……ああ。っと、こんな時間か。じゃ、俺は捜査行ってくるわ」

「また、あの事件ですか?」

「このヤマだけは、絶対に俺がこの手で、犯人を捕まえて見せる』

「ならほど。刑事(デカ)魂ってヤツですね。やっぱり、中里さんみたいな刑事が、The・捜査一課ですよ」

「へっ。そんなんじゃねーよ」


 と否定しつつも、中里は満更でもない。昨今はどれだけの数の事件を解決したかと言う点数で評価されがちである。吉原なんかは、その代表だ。


 しかし、昔は違った、足を動かして、何度も通って、聞き込みをして、悩んで。地道な捜査こそが、事件解決の糸口なんだ。


 彼は尊敬する先輩からそう教わった。一軒、一軒、腰を据えて地道に解決をしていくのだと。古い価値観だなんだと言われようと、中里はそのやり方に誇りを持っているし、今更変える気など毛頭なかった。小太り中年は、強めに空き缶をゴミ箱に叩きつけた後、大股で歩き出した。

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