3ヶ月前(3)


 でも。それでも、過去は過去。吉原はそう確信している。


 松下自身、それを認めていたからこそ、飲みの席で盛り上げるためにでも言っていたのだろう。


「でも、もう錆は落ちました。休養だって十分でしょ? これからは、一課でバリバリ働いてください」


 松下の能力は本物だ。そう吉原は確信している。


「怖くなった」

「……」

「俺自身もわからなくなったんだ。自分が逮捕してきた容疑者たちが、もしかしたら――」

「それ以上は言わないでくださいよ。あなたを、軽蔑してしまいそうです」


 吉原はキッと松下を睨む。いくら、人事預かりの憂き目にあっても。離れ小島のような場所でハブにされても。松下が捜査一課に戻ろうと、戻るまいと。


 一度、地獄の業火にたたき落とした者を、救う方法などありはしないのだから。


 やがて、松下は真っ直ぐに吉原の瞳を見つめた。


 ――あれ、なんか。


 以前、どこかで見たような瞳だった。


「狭間孝弘。あいつがあの後、どうなったか、知ってるか?」

「知るわけないじゃないですか。警察官という立場じゃなかったら、マウント取ってタコ殴りにしてますよ」


 吉原は柔道、剣道の段持ちだ。時折大会にも出て、男どもを倒すのが趣味だという。


「こわっ。女の発言じゃないな」

「当たり前じゃないですか!」

「……死んだよ」

「えっ?」

「自殺した。ちょうど2ヶ月くらい前だったかな」

「……」


 とてもじゃないが、同情する気にはなれなかった。ただ、その事実には驚いた。


「アイツはな……児童ポルノ愛好家だった。送られてきた手紙でそれを知ったよ」

「はぁ? なんですかそれ?」


 吉原は怪訝な表情を浮かべる。


「あの時、東城敬吾にそれを見透かされて、理性を失ったんだよ。狭間は」

「そんなこと、あの人、言わなかったじゃないですか」

「言えるか。いや、墓場まで持っていくはずの秘密だったはずだ。だから、理由を問われても言わなかった。でも、なにかを言わなくてはいけない。だから、周囲にも納得できるような、理由を言ったんだ」

「それが、あなたへの嫉妬ですか」

「ああ。あの時、狭間がもつコンプレックスを東城に利用された。そして、当時の俺はそれを助長するような行動を取った。自分は尋問したが、他の捜査員には言葉すら聞かせようとしなかった」

「……」


 皮肉にも。事件を思い出しながら話す時の松下は、当時の幻影と一致していた。


「現場の責任者判断ですよね? 間違ってませんよ」


 仮に吉原が松下の立場でも、そうする。いや、実際に狭間が狂わされたのだ。その判断は妥当だったと言える。


「間違ってる間違ってないの問題じゃない。それは、暗に俺が他を無能と見下していると捉えられる……いや、捉えさせられたと言うのが正しいのか。あの時、周囲がそれに気づくよう、東城は仕向けたんだ」

「意図は理解しました。でも、その感情は、私にはよくわからないです」

「後輩だからだろ。それに、お前とは性別も年齢も違う。身近で、同期、もしくは年上。学歴はあっちが遙かに上。なのに、ノンキャリの俺が係長で他は一般の捜査員。嫉妬しない訳がない」

「そう言う根性の持ち主だから、出世しない。追い抜かれたら、抜き返せばいいじゃないですか」

「手厳し過ぎるだろ。みんな、お前みたいに強くない。俺も含めて」


 松下は思わず苦笑いを浮かべる。


「だが、俺も吉原と同じだよ。その時は、そう思ったんだ。捜査一課員にそんなことで影響する者などいないって。実際、そう判断した。それ自体が誤りだった。東城にとっては、それはほんの少しの歯車を狂わせる程度の疑似餌だったんだ」

「どういうことですか?」

「代償行動だよ。目の前の少年を、異常に警戒し、怯える俺。それに対する当てつけのつもりだったんだろう。それを、あの中で一番嫉妬を買ってるヤツが行動した。イタズラ心をかきたてたんだ」

「狭間がそうやって行動するよう仕組んだって言うんですか? まさか」


 そうしなかったらどうするのか。むしろ、そんな可能性の方が高いような気がする。


「もしかしたら、他の誰でもよかったのかもしれないが。狙いはむしろ、中里の方だったかもしれない。たまたま、ひっかかったのが狭間だったという可能性もある。俺はわかってなかった。『絶対に』という言葉の連呼はある種誘惑的な反作用を持つ。自分だけが東城との接触を許可していた。それをある種の特権、助長と捉えさせられたんだ」

「……」


 そうだ。あの瞳だ。5年前のあの時に見た、華奢な男の子がすべてを見透かすような光。思えばあの時。初めて松下の命令に逆らったかもしれない。怖い物見たさに、興味半分見た、澄んだ深い漆黒。


 松下は、あの少年と同じ瞳なのだ。


「でも、あくまでそれは松下さんの嫉妬に対しての行動ですよね? 狭間の性癖までは暴けるわけがない」 

「考え得る可能性は2つ。東城が変な声出したろ? あの時見せた狭間の反応が過敏だった。それで、瞬時に狭間の性癖を見抜いた」

「あの数秒で? だとしたら、松下さんみたいですね」

「いや、俺よりも遙かに鋭いよ。俺は狭間とは友達で、何度も飲んだが気づけなかった。もちろん、あの時にもな」

「あなたは身内には脇が甘いんですよ。それだけです」


 少なくともこの能力(スペック)において、松下があの少年に劣っていると吉原は思わない。松下は尖ってはいるが、根っからの常人、いや、今の状況を省みると常人以下だ。そうしなくては心のバランスが取れないのかもしれない。


「……話がそれたな。後者は、事前に捜査一課の内情を把握していた可能性」

「まさか。当時は13歳の子どもですよ?」

「怪物だよ。どんな想定だって驚きはしない」

「……」


 当時、捜査一課も、吉原も、室長の北島さえ認識していなかった。ただ、松下だけが何度もそう訴えていた。


 あの少年は危険だ、と。

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