一年前(2)


 それから、30秒ほどして、やっと松下が外に出て来た。確かに、外見は5年前と大きく変化はない。

 あの時、松下は27歳。で、今が31歳。

 吉原は2年目だったので23歳。気づけば27歳。

 いつの間にか、当時の松下に追いついてしまったことに、変に落ち着かない気持ちにもなる。そして……当時の幻影を裏切るように、松下はこちらに迷惑そうな視線を送る。

「で? 前かかってきた時の電話も切ったし、スマホにもでなかったろ? こっちの意志は伝えてあったつもりだったんだが」

「一課に戻ってきてください。今度、猟奇犯罪特化の係を立ち上げるんです」

「立ち上げる? キャリアの管理官に、そんな権限ないだろう?」

「捜査一課課長とガッツリ組みました、今の状況を打破するためです」

 そう言って誇らしげに胸を張る。この係を作るために、努力という言葉じゃ生ぬるいほど苛烈に働いた。年齢、性別、学歴、忖度、キャリア、ノンキャリ、関係ない。実力と努力でつかみ取った。

「そうか。まあ、お前はできるヤツだったから不思議じゃないけどな」

 不意にそんな言葉が飛んできて、吉原は思わず睨みつける。

「……そんなこと、コンビ組んでた時は一言だって言ってくれてなかったじゃないですか」

「みんな言ってただろう。輪をかけて俺が言う必要はない」

「……」

 誰よりも松下に言って欲しかったという言葉を、吉原は慌ててしまった。いつまでも、後輩気分ではいられない。すでにキャリアの吉原は職位でも遙かに上だ。

「でも、あいにくだな。上がそんなこと許さないよ。許される訳がない」

 松下が答えると、吉原の心がズキッと痛んだ。

 あの後、責任を取らされたのは3人。現行犯の狭間は、当然、懲戒免職。課長の北島は降格されて、所轄に左遷。係長の松下は人事預かりとなって、いわく付きの部署を、たらい回しにされた。

 捜査一課の面汚し。辞めた狭間の代わりに、周囲からの憎悪と侮蔑を一身に浴びたのは現場責任者の松下だった。

 加えて、当時、応援業務についた中里、折原、新見は、自分たちに非がないとアピールするため、ことあるごとに松下の無能を言いふらす始末。

 吉原は同じく責任を取ると言い張ったが、新人に取れる責任など、どこにもありはしなかった。最終的には、北島と松下に説得されて、傍観者のポジションを取った。

 ――その時、堕ちていく松下を、見ていることしかできなかった。

 でも。だからこそ勝ち取った任命権。ここで使わなければ、いつ使う。断られるだろうと予測はしていた。でも、多少の抵抗では一歩たりともひく気がない。

「根回しは済んでるに決まってるじゃないですか。課長の了解も、新宿署署長の了解も取り付けてます」

これには少し誇張もある。新宿署署長はともかく、室長の有田には『全部任せる』という言質を取って、まだ報告をしてない。最終決済直前で工作も間に合わなくなった時に、松下をねじ込む算段だ。

「俺が戻ると思うか?」

「こんなとこでスマホいじって国民の血税ドブに捨てるよりマシでしょ?」

「いいんだよ。『何もするな』ってのが業務命令なんだから」

「じゃ、業務命令だったら従うってことですよね」

「嫌だよ、もう。あんたとこ」

「……なんでですか? 松下さんの能力が必要とされてるんですよ。他に誰もできない。悔しいけど、私にだってできなかった」

 松下の洞察力と心理分析能力――いわゆるプロファイリング能力はずば抜けていた。容疑者の行動、周囲の状況を把握し、読み、誘導し、逮捕へと導いていく。それは、酷く直感的で荒々しい。

 それでも、結果と理由が後からついてくる。新人の吉原から見たら、まるで、超能力のようだった。ノンキャリである松下が、当時、捜査一課の誰よりも若く係長に抜擢されたのは、その能力の一点に尽きる。

「お前のプロファイリングはインチキだ。人事に千回清書させられたよ」

「……」

 無理もない。当時のアレは、失敗の規模が大きすぎた。とにかく、上が激怒した。上の上も。そのまた上も。当然だ。

 端から見れば、未成年の容疑者をただ連行するだけ。そんなことすらできないのは、なぜだ。その松下という捜査員に問題があるんじゃないのか。追求の先は、松下の過去の行いにまで遡った。

 そうしたら、出るわ出るわ。

 松下は追求してくれと言わんばかりの、ちゃらんぽらんな人生を歩んでいたことが判明した。

「日頃の図抜けさが出たんですよ。身から出た錆です。なんですか、あの経歴は?」

 心理学部プロファイリング学科。3流無名私立のご大層な名前の学科は、ほぼ誰も授業など聞いていないで有名だった。

 当時、バイト、サークル、合コンに勤しんでいた、ごく平凡な松下青年は、就職活動で全滅。途方に暮れていた時に、友達から警察官になろうと誘われ、試しに受けてみたらヤマが当たって筆記試験合格。

 警察官の面接時に、プロファイリング能力に自信があると吹聴し、当時面接官だった北島に、偶然拾われて鎌ケ谷所轄署の強行犯係に配属された。

 総じて、誰が見てもうさんくさい経歴。

 それも、飲みの席で全部自供してるのだから救いようがない。

「就活生だったら誰だってやってるって思ってたんだよ。盛っただろ? 面接の時」

「ゼロを、いくら盛ったところでゼロなんです。あれは、明らかな経歴詐称。実際には、プロファイリングのプの字も学んでないじゃないですか。当時の面接官が覚えてましたよ。心理的なウンチクをペラペラと。一夜漬けの知識ですよね?」

 松下のそれは、座学で学ぶそれとは異なり、天性のものだ。面接官の行動を直感的に言い当て、心理学的な説明を後付けしたのだろう。

「それに、よく提出できましたね。あんな卒論」

 他ならぬ吉原が徹底的に調べたのだ。松下をなんとか守りたくて。松下の過去を探りたくて。しかし、危うくそんな気も失せるくらいガバガバだった。論文は、ほぼインターネットのコピペ。松下の意志なんて、どこにも見当たらない。

「えっ、嘘。やらなかったか? ウィキペディアのコピペ」

「やりません。それに、単位もギリギリで答案用紙の裏に『単位くれないと留年してしまうので単位ください』って書いてたそうですね。くれるわけないじゃないですか。バカ通り越してますよ」

「……くれるって噂の教授だったんだよ。でも、噂は噂だったな。『そんなもん、気分が悪いから書くな!』って当時怒られたよ」

「はぁ……」

 さすがにため息しか出ない。弁明の余地がない。

 これらの一連の犯行は、東大法学部卒、真面目に課題をこなしてきたキャリアの、特にお上の逆鱗に触れた。松下が大学生に学んだというところは明らかな虚であると断じ、今までの逮捕はまぐれとかき消された。

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