5年前(4)


 その間、少年はズッと狭間の方を見つめている。視線が気になるのか、狭間は大分落ち着きのない仕草をしている。


「狭間。目を合わすなよ」

「わかってる」

「……」


 なぜ、狭間を見ている? この行動には意味があるのか。ないのか。しかし、現に狭間はいつものとは様子が違う。落ち着きがないのは、なぜだ。怯え? 


「狭間さん……だっけ? わかってるよ?」

「……っ」


 狭間が明らかに苦悶の表情を浮かべ、少年の方を向こうとした。松下はその前に、少年の頭を掴んで、視線を松下の方に向かせる。


「狭間、言っただろう? この少年と目を合わせるな」

「……ああ」

「東城敬吾……君はなにを考えている?」

「……」


 この少年と長時間目を合わせるのは危険だ。それは、わかっている。だが、明らかに狭間の様子がおかしい。何かを……握っているのか? 内通者が狭間? いや、そんなわけはない。こいつは応援としてここに来たんだ。捜査の内情を知っているはずもない。


「……」

「……」

「……」

「……」

「……ぁめろ」


 反応したのは、少年でも松下でもなく、狭間だった。強引に松下の手を掴んで、少年と引き剥がそうとする。


「おい、狭間っ! お前、なにやってんだ」


 松下が初めて視線をそらして、狭間の表情をしっかりと見た。顔面は死体のように蒼白だった。そのくせ、目が異常なほど開き、激しく血走っている。完全に取り乱している。


「やめろと言っている! 読むな……読まないでくれ」

「落ち着け! いいか、落ち着いてくれ。思うつぼだ」

「なにやってんだ! もう3分経ってんだろ……ったく、行くぞ」

「ちょ、中里さん! まだ――」


 松下がそう制止する間もなく、ドアが開く。とっさに、吉原がスーツで少年の顔を隠した。機転と融通が利かなくなったジジイと利く新人。とりあえず、この件が片づいたらラーメンをおごってやろうと松下は心に決めた。


「吉原、絶対に離すなよ」

「はい!」

「狭間、話は後で聞く。そこから、5メートルもない。歩いて連れて行くだけだ」

「わかってる!」

「……」


 駄目だ。わかってない。明らかに敵意のある眼差しをこちらに向けている。完全に心を持って行かれてる。松下は大きく深呼吸をして、少年の腕を掴んだ。


「俺が連れてく」

「大丈夫だ。俺が連れてく」

「駄目だ。これは、命令だ。お前は待機。ここにいろ」


 冷徹に言い放ち、松下は少年の連れて、歩き出す。


「い、いた……いたいよぉ狭間さん」

「黙れ」


 聞くとは思わないが、念押しする。


「吉原。行くぞ」

「はい」


 息を合わせて外に出た。私有地に記者たちは入ることはできない。だからこそ、ギリギリで待機している――はずだった。


 予想に反して女性記者の三上玲子が中里の間を縫って、こっちに向かって突っ込んできた。松下も、これにはかなり動揺した。なんで、こんな日に限って予想の斜め上の事態が連発するのか。


「おい! ここは私有地だろう。メディアが侵入してきていいと思ってんのか?」

「お叱りは後で聞きます。だから、インタビューさせてください」

「お前……お叱りどころじゃねぇぞ。下手すりゃクビだぞこんなもん!」


 それどころか、公務執行妨害で即逮捕したかったが、あいにくそんな暇も余裕もない。


「構いません」

「ふざけんな。どけ」


 強引に腕を掴んで、相沢を強引にどかして進もうとした。


 あと、2メートル。

 その時。


 スーツ越しにでもわかった。

 少年は。

 狭間の方を向き。

 笑った。


 いや。実際には、吉原に顔を固定されてるので、首は動かせない。だが、少なくとも、松下と狭間には、確かに、そう見え――聞いた。


「ねえ、松下さん。吉原さん聞いてよ。狭間さん、ね」

「ぇめろ……やめろおおおおおおおおおおおっ!」


 後ろから狭間が突っ込んできて、そのまま少年を掴み倒す。そして、一発。二発。三発。思いきり、ぶん殴る。


「やめろ! やめろ! 狭間」


 瞬時に松下が止めに入った時。その場にいるカメラマンも、女性記者の相沢も、山里も、新見も、折原も、新人の吉原も、ヤジ馬ですらなにが起きたのかわからずその場で固まった。


 ただ。


 三流ゴシップ記者が手に持つカメラのシャッター音だけと狭間が狂ったように唸る声だけが生々しく響いていた。


 しかし、それも1秒にも満たない時間だった。最初に動き出したのは吉原。カメラマンのテープの押収をすぐさま始める。折原がこれに続き、中里と新見はまだ放心したままだ。


 しかし。


 少年は血まみれの顔で涙を流しながら、女性記者の三上に向かって手を伸ばす。


「記者さん。僕はやってない……やってないんだ」

「……っ」


 『黙れ』と思わず叫びたくなるのを抑える。ここで叫んだら、思うつぼだ。が、他に言葉が思い浮かばない。次の対処が追いつかない。その間、三上は自分のスマートホンを掲げながら、自撮りを始める。


「ご覧ください! 信じられるでしょうか? 未成年の容疑者をこの警察官が殴り飛ばしました。この未成年は――顔は映せませんが、血まみれです。大人が、この捜査一課の警察官が13歳の少年を殴り飛ばしたのです」

「……新見さん、中里さん! そこの記者のスマホ! 押収して!」

「……」


 駄目だ。動かない。いざという時に、我関せずを決め込むパターンのヤツか。


「離して!」


 テープを押収し終えた吉原がすぐさま三上のスマホをぶんどろうとする。


「離しなさい! 公務執行妨害で逮捕するわよ」

「逮捕? してみなさいよ!」


 まずい。あっちも、無駄にガッツがありすぎる。三上も負けじとスマホを頑なに離さない。


 ――どうやって収集するのこれ?


 他人事決め込みたくなるのを、松下は必死に抑えた。あまりにも、混沌としすぎている。状況が掴めない。とにかく、なにをすればいいのかもわからない。どうすればいい? どうすればことを丸く収められる? 

 いや、切り替えろ。もう、収まらない。最低限の被害にするように対処しなくては。ゼロコンマ数秒の思考で松下はせぐりくる動揺を抑え込んで、少年の方を見る。


「僕は……僕はやってない。やってないんだ……」

「……っ」


 こいつ――誰に向かって。松下が視線の方を仰ぐと、そこにはヤジ馬がスマホを片手に動画を撮っていた。


 まずい。


「撮るな! 未成年だぞ!」

「いい。いいから……だって、僕はやってないんだから」

「……っ」


 許可された。ヤジ馬たちにそう思わせるには十分な言葉(えさ)だった。そして、彼らは次々とスマホを取り出して自撮りを始める。困惑の表情が狂喜に変わった。もう、警察の圧力も通じない。正義という名の下に。彼らは断固としてその動画を拡散し続けるだろう。


「……吉原、そいつ連れて、引き上げろ」


 松下は思わず天を仰いだ。


「でも。もう車は塞がれてます」

「家だ。戻れ。そこで、応援を待とう」

「……はい」


 未成年動画の拡散。容疑者への暴行。しかも、マスコミの前で。絶対にしてはいけないことだった。


 これから起こることなんて、もう想像したくもない。課長、次長、いや。場合によっては警視総監にも事が及ぶ可能性がある。後は、気の遠くなるほどの敗残処理しか待ってはいない。


「離してくれ……離せ松下」

「狭間……もう終わったんだ。頼むから大人しくしてくれ」


 まだ、狂ったように暴れている狭間の首をへし折りたい衝動に駆られる。それとも、いっそのこと、手を離して好きにさせてやろうか。そんな衝動にも駆られた。


 しかし、辛うじて残った絞りかすのような使命感でをかき集めながら、なんとかその手を離さずにいると、


「ああ。一人のガキの逮捕もできないとはねぇ」


 中里の声がこれみよがしに響く。ああ、もうそっち側にいるのか。松下は思わず自嘲気味に笑った。


 それは、こっちの台詞だ。お前みたいな無能が来るんなら、応援なんて呼ばなきゃよかった。


 その時。


「刑事さん」


 少年はこちらを見て。


 笑い。


 言った。


















「また、遊ぼうよ」







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