5年前(3)
RRRRRRRRR……
その時、インターホンが鳴った。松下はホッと胸をなで下ろす。これ以上、心を覗かれるれるのは危険だ。後は、取調室で、じっくりと落とす。松下は逃走防止のため、少年の腕を掴んだ。
「吉原、出て。応援だったら、中に入れろ」
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。逃げたりなんかしないよ」
「あいにくだけど、容疑者の言葉は信じないようにしてるんだ」
そう言いながら、数回呼吸を入れる。心を閉じれば、なんてことはない。松下は自身に何度も言い聞かせる。
それから少し経って、部屋の扉が開いた。第4係の中里に、第2係の新見、折原――
「狭間。お前も来てくれたのか」
確か、今日は非番だったはずだ。狭間とは同期の仲で、よく飲みにも行く。応援で明らかな味方がいるのは心強い。
「室長直々の要請とあっちゃな」
「助かる」
とりあえず、今日一番安堵した瞬間だった。他は新見が普通で、折原はそのそこ優秀。この2人も悪くないが、狭間の優秀さは群を抜いている。中里は少ししか絡んだことはないが、微妙。
松下は、早速連行までの段取りの説明を始める。
「中里さんと新見さんは玄関を出てマスコミがこないように抑えて。折原さんは走ってドアを開ける、俺がこの少年を連れて、吉原が少年にスーツを掛けて車に乗り込む。狭間は周囲を見て、違和感があればそれを潰してくれ」
「なんだ。お前たちだけで行けるじゃないか。せめて、1人か2人だろう?」
中里がすかさず口を挟む。
「未成年なんで、万が一でも顔を写すわけにはいかないんですよ」
「そんなもん流さないだろう、今のマスコミは」
なかなか納得してもらえないことに、松下の不安が募る。ベテランの中里は経験値が多いが、それに依存しすぎる性質がある。ハッキリ言って相性の悪い先輩だ。
しかし、この少年の危険性をゆっくりと説明する時間も今はない。
「なにがあるかわかりませんから。念には念を入れてです」
「念? こっちは他の仕事ほっぽり出してきてるんだぞ? この人数集めた理屈を言え」
「……」
そう言うヤツかと松下は心の中で舌打ちする。理屈があろうとなかろうと、こっちはここを任されてるから判断してる。そう怒鳴り散らしたい衝動に駆られたが、なんとか抑える。
年上を相手するのは苦手だ。
いや、いつもよりも遙かに神経が過敏になってる。させられている。松下は何度も心の中で落ち着けとつぶやく。
「……」
松下はそんな中でも少年から目を離さない。こちらを嘲ったように笑いもせず、呆れもせず、黙ってみている。本当はこんな内情を聞かれたくないが、1秒足りともこの少年に目を離したくはない。
そんな中、狭間が2人に割って入る。
「まあまあ。中里さん。簡単な仕事なんですから、ラッキーじゃないですか」
「お前だって、非番だったんだろう? こんなガキの小間使いさせられて、それで終わりでいいのかよ」
「用心ですよ。用心。火事ってのは起きる前に防止するのが基本でしょうが。それに俺たちは単なる捜査員。で、松下は係長。ここでの判断は誰がするか。わかりますよね?」
「まあ……そうだが」
「なにもなけりゃいいんですよ。楽な仕事であればそれに越したことは。そうでしょう?」
「……あー、もうわかったよ」
「ありがとうございます。今度、おごりますから」
中里はふてくされながらも納得した。松下はホッと胸をなで下ろして、心の中で狭間に感謝する。やはり、係長という立場は苦手だ。
「なんだ、この人の方ができるんだ」
少年はボソッとつぶやく。
「相手にするな」
松下は殊更冷静に言う。わかりきった挑発だ。下になめられていることを周囲に知らせて感情を揺さぶらせようとしている。あいにくだが、こちらはそんな自尊心は持ち合わせてはいない。
「いいか。聞いてくれ。この少年の目を見ちゃいけない。声もだ」
「声もって。耳栓でもしろってのか?」
中里が鼻で笑う。
「……」
そこまでは要求できないか。本当はここからスーツを掛けて連れて行きたい。しかし、そこまでやったら応援者に不信感を抱かれる。
さっきの話を蒸し返されば、話が前に進まない。同期の狭間を除けば、ここにいる3人は自分よりも年上だ。取り扱いには十分に注意をしなければいけない。
「あーあ、下手だなぁ」
少年はガッカリした様子でつぶやく。
「耳を貸すな。単なる音として処理してくれ」
「なんで? お兄さんとはあれだけ話したのに。ほら、物証が出たこととか。色々教えてくれたのに」
「……」
口に猿ぐつわでもつけてやりたいが、さすがにそれはできない。松下は一瞬考えて、少しでも早くパトカーに乗せるのが最善だと判断した。
「無視しろ。じゃあ、行こう」
「あっ、わかった。見下してるんだねこの人たちのこと。なにもできない無能だと思ってるんだ」
少年はこれ見よがしにポンと手を叩く。
松下は完全に無視をするが、周囲の反応が少し過敏だった。中里はこれ見よがしに顔をゆがめ、新見はこちらを睨みつけてきた。折原と狭間は少し顔が強ばった。しかし、こんな挑発で指揮系統が緩むほど捜査一課は甘くない。
松下は構わずにその腕を掴みながら持ち上げる。かなり軽い身体だ。今さらながらに、少年であると実感するほどに。
そんな中、狭間が松下と少年の間に立った。
「待て待て。係長様自ら連行しなくても、俺が連れてくよ。悪ガキの取り扱いにはなれてるんだ……よっと」
そう言いながら、狭間が腕を強く掴む。
「い、いたっ……痛く……しないで」
「……っ、気持ち悪い声出すな!」
「やめろ、狭間。落ち着け。俺がやる」
思わず腕をねじり上げようとする狭間の手を掴むが、その握力はこれ以上ないくらい強かった。確かに、これだと少年は痛いだろう。
動揺している? なぜ。この程度の抵抗や哀願には慣れているはずだ。さっきの話で少しだけ苛立っている? 職位なんて、あまり気にするタイプにも思えないが。
「いいから。任せろって。それとも、俺にはできないって思ってんのか?」
「……」
狭間は優秀な捜査員だ。この中を見渡すと、吉原が一番適任だが、次点ではこいつだ。確かに、周囲に気を配ってなにか対処できる者が一人は必要だ。しかし、その能力はむしろ松下ではなく狭間にあると見込んでの人選だったが。
松下は、少し考え、やがて、妥協案で行く決断をした。
「わかった。でも、約束してくれ。これ以上、この少年と目を合わすな。耳も貸すな。絶対にだ」
「わかってるって」
「あ、あん。い、痛い……痛いよ……」
「……」
なにを考えている? 急に声色を少し高くした。目を潤ませた。表情を歪ませた。頬を赤らめた。ここで弱々しく見せるのはなぜだ? 所詮は少年? 肉体的な痛さに怯えて? いや、あり得ない。松下はあたりを見渡すが、周囲にも変化はない。なにかを見落としている? 狭間の方も見るが、表面的な所には変化がない。冷静に、無表情に少年を見つめている。いや、むしろ――
「松下さん。どうしました?」
吉原に声をかけられて、松下は思考の沼からハッと目覚めた。考えさせることが、すでに罠にはまっている可能性がある。
「いや。いい。行こう」
松下は立ち上がり、玄関へと向かう。
「新見さん。外には何人いますか?」
「記者が6人とカメラマンが2人。後は、ヤジ馬が7、8名」
「わかった。先に行って、車をギリギリまで家に近づけて。それから、3分後に出て速攻で乗せる。合図は俺が出す」
本当はガレージにパトカーを入れて発進したいが、すでに埋まっている。ほぼゼロ距離まで近づいて記者たちの干渉を極力防ぐ。
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