5年前
過去 5年前
*
その夜、松下はいつも通りビールを3缶飲み、中華屋でテイクアウトの炒飯を食べた。
深酔して眠るのは、いつも通り。
ただ、それでも、時折あの光景がフラッシュバックして夢に現れるのは、変わらない。
あの時の自分。
あの時のあいつ。
あの時の出来事。
ああ……きっと、これが
*
2017年7月8日午後3時。助手席でパトカーの外を眺めながら、松下亮介は大きくため息をつく。この日は、焼けるような灼熱だった。昨日から続く猛暑で地面が照りついている。外に出るだけでげんなりしそうだ。
「そこ曲がります?」
運転席の吉原里佳が、今日もハキハキした声を響かせる。
「知らんよ。新宿御苑の住宅街なんて、まるっきり縁がない。ナビ見ろ、ナビ」
都内の一等地だけあって、並んでいる建物は、どれも立派な佇まいだ。あいにく、そんな所に知り合いなんていない。
「わかりました。じゃあ曲がりますよ」
吉原は勝手にそう判断して、ハンドルを右に回す。少し走ると、8丁目という標識が見えた。どうやら、新人の直感は合っていたようだ。
目的地はすぐにわかった。見えてきた一軒家の前に、テレビカメラが2台と記者が6人待機していたからだ。ヤジ馬もチラホラ集まってる。
「まずいな。どこから漏れたんだろう……一旦通り過ぎます?」
「いや、もう遅いよ。ひけ」
「係長の指示だって言いますよ?」
「嘘嘘。停めて、すぐ手前に停めてください」
冗談を脅しで返された松下は、苦笑いを浮かべながらスマホを手に取る。
「北島課長ですか? 情報が漏れて、マスコミがいます。連行した後、すぐにパトカーに乗り込むんで応援をください」
「わかった。何人だ?」
「そうですね……7人ください」
「多いな。2人でいいだろう?」
「未成年の逮捕ですよ。万が一にも、顔が割れると大問題です。5人ください」
「わかった。4人よこす」
答えられっぱなしで、通話が途切れた。
「何人でした?」
「4人。でも、いいよ。あの人の性格は織り込み済みだ」
すでに車は停車していた。すると、カメラマンと記者たちがグルッと周囲を取り囲む。中には顔なじみが2人。愛想笑いを浮かべたおっさんと、神妙な面持ちをした女性記者。どっちも暑苦しいことには変わりはない。
「あー、出たくね」
松下は天井を仰いでつぶやく。
「だったら、私がやりましょうか?」
「いや、行く。気をつけろよ。ただのガキじゃない」
「わかってますよ」
「わかってないよ。用心の用心をしろ」
松下はそう釘を刺し、パトカーの外に出た。地面に靴をつけただけで、アスファルトの熱気を感じる。触れただけで火傷しそうな暑さに、松下はげんなりした表情を浮かべるが、そんな余裕も暇もないくらいに、汗だくの記者たちが群がってくる。
「物証はあるんですか?」
「ノーコメント。後でプレスリリースするから。見世物にするな」
まず、矢継ぎ早に質問をぶつけてくる、神妙な面持ちの女性記者――三上玲子を威喝で潰す。そして、愛想を浮かべたおっさん――篠塚陽一の肩を組んで、少し離れた場所に移動する。一方で、他の記者やカメラマンは吉原の方に群がる。最初の威嚇で、女の方が与しやすいと思ったのか、もともと分担を決めていたのか。
どちらにしろ、そっちのが手強いぞ――松下は心の中でつぶやく。
「篠塚。なんで記者たちがここにいる?」
「そりゃいますがな。こんな大スクープ見逃すようじゃ記者は務まりません」
「……」
エセ関西弁がいちいちカンに触る男だ。だが、融通の効かない三上より、交渉次第で口を割るのはこっちだ。
「なんでわかった? どこからの情報だ?」
この事件は極秘案件だ。内部から漏れたのはわかるが、それが誰なのか思い浮かばない。
「情報元は教えられませんなぁ。秘匿義務は表現の自由の根幹でっせ」
「……」
駄目だこれは。すぐさま、松下は判断した。交渉の余地がないことは、初めの一言でほぼ決まる。こっちは多少の情報も準備していたが、あちらにその気がないなら仕方がない。
「吉原、行くぞ」
「は、はい」
鋼鉄の心臓を持つ新人でも、さすがにメディアスクラムは応えるらしい。汗だくになりながら、後ろをついてくる。
「物証はあるんですか? なきゃ、大問題ですよ」
三上が懲りずに、粘る。彼女は美人だ。普段なら少しは話すのだが、今回の案件に関してはそんな余裕はない。
「捜査情報は教えられない」
「硬いこといいなさんな。ねー、玲ちゃん」
篠塚が相づちを打つ。
「どうせ、あることないこと書くんだから適当に書いとけ」
「わかりました。じゃあ、そうさせてもらいます。『未成年の逮捕。物証なし。冤罪の可能性あり』ってね」
篠塚は大声で叫ぶ。
「……松下さん、いいんですか?」
「挑発だ。どうせ、なにも書けないんだから相手にするな」
信憑性のない記事は、キッパリと否定すればいい。いくら3流ゴシップでも、後で恥を書くのががわかっていて書くバカはいない。松下はその声に目を向けることなく扉へと向った。
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