遠藤栞子(1)


          *


 松下と相沢の2人は、遠藤栞子の部屋まで行った。ドアホンを鳴らしていたが、いなかった。


「住む家は3年前から変わってないみたいだな」


 松下は資料を見ながらつぶやく。


「海斗君のアパートからは徒歩30分。自転車で10分てどこですか」

「不便ちゃ不便だな」

「愛があれば乗り越えられる距離です」

「……相沢」

「はい?」

「お前、彼氏できたことねーだろ?」

「ありますよ。バリバリあります」


 ないけど。


「ちなみに、なんでそう思ったんですか……ありますけど」

「なんとなく」

「酷っ!」


 一番嫌な理由だった。


「松下さんこそ、30歳過ぎて独り身じゃないですか!?」


 本当は「チェリーじゃないんですか?」って言おうとしたが、本当にチェリーな可能性があり、かつ、無駄に傷つきそうだからやめておいた。


「悪い?」

「わ、悪くないですけど」

「じゃいーじゃん」

「じゃ私のも訂正してくださいよ。『彼氏いないだろ』って言ったの」

「いるならいーじゃん」

「いますよ! いっぱいいますけど、訂正してください」


 いないけど。


「っと、帰ってきたぞ」


 松下が指をさすと、そこには栞子がいた。


「ちょっと、相沢。下がって」

「な、なんでですか」


 意味不明に松下の後ろに下がらされる。


「……喋るな」

「……」


 そして、結構強めの指示が来たので、チャック全開で口を閉じる。


 トントントンと階段の音がする。


「松下……さん?」


 先に栞子の声がする。姿はまだ見えない。


「よくわかりましたね」

「ええ。手が見えましたから」

「そうですか」


 松下は笑顔で答える。


「今日はどうしたんですか?」

「もう一度海斗君のお話を聞きたくて」

「ええ。もちろんです。でも、今日は中里さんは?」

「非番です」

「そうですか。あっ、どうぞ。お茶入れますね」


 栞子は部屋のドアを開けて、案内する。間取りは1DK。部屋は綺麗に整頓されていて、割と女の子らしい小物などもあった。


「お邪魔しまーす」

「いやー。女子の部屋って感じですねー」

「……」


 心なしか、松下がウキウキしているのが、なんとなく気に食わない。


「あっ、冷蔵庫見ていいですか?」

「ま、松下さん! 失礼です」

「別にいいですけど」

「聞いたか? 普段からちゃんとしてる女性は恥ずかしくないんだよ」

「し、失礼な。ちゃんとしてますよ私だって」


 ちゃんとしてないけど。


「わー。綺麗に整頓されてますね……味噌汁用の味噌に、牛乳。納豆。肉じゃが。素晴らしいですな」

「……食べます?」

「いいんですか? なんか、悪いなぁ」

「……」


 絶対に確信犯だ。もしかしたら、この男、ただ美人と飯が食いたくてここに来たのではないか。


「白味噌なんですね」

「ええ。実家が関西で」

「俺、赤味噌派なんですよね。関東生まれ、関東育ちで」

「……」


 知らねーよ、と相沢は心の中で思う。


「うん。ご飯も美味い。こっちは固めで俺好みです」

「ありがとうございます」

「海斗さんにもよく作ったんですか?」

「ええ。美味しい美味しいって食べてくれました」

「ご飯もいい感じに柔らかめですね。相沢、わかるか? これだよこれ」

「知ってますけど。と言うか、よく作りますけど」


 作らないけど。


 と言うか、なんでわかるんだこの男は。


「……不思議ですよね。彼と一緒に食べるご飯の方が美味しかった気がするのは、なんでなんですかね」

「……わかる気がします」


 相沢はそう答えたのだが、松下が『嘘つくなよ』みたいな目で見てきて、不快だった。


「これ写真ですか?」


 一方で松下は、ご馳走様も言わずに、パソコンの横に置いてあった写真立てを見て尋ねる。相変わらず、目についたものを尋ねなければ気が済まない性格のようだ。


「……ええ。まだ、捨てられないんですよね」


 栞子は切なげな視線を、写真に向けて送る。


「いつの写真ですか?」

「動物園に行った時です。6月27日の確か10時頃に撮った時だったかなと思います」

「そうですか」


 松下は、ジッとその写真を見つめる。


「スマホに他の写真もありますか?」

「……いえ。アルバムにして保管してます」

「へぇ……今の若者はスマホで気軽に使えるじゃないですか、データで保管してるのが普通だって思ってました」

「少しだけ、前に進みたいなって思って。思い切ってアルバムだけにしたんです。じゃなきゃ……」

「確かにそうですね。失礼しました」


 そう謝りながらも悪びれもなく、落ち着かなく周囲を見渡す。


「っと、結構パソコン使われてますよね。結構ハイスペックですよね。何か作業されるんですか?」

「ええ。劇団なんで、ポスターの作成や、小道具の製作なんかも私がやってます」

「へー。女優もやってるのに、凄いですね。では、小道具なんかの管理もやってるんですか?」

「基本的には私が全部やってますね」

「なるほど。主演とかもやられてるのに」

「弱小の劇団なんで。私がそう言ったことを好きなのもありますけど」

「わかりました……あっ、これがアルバムですか? 見てもいいですかね?」

「どうぞ。海斗との写真はあまり多くないですけど」

「……」


 松下はペラペラとアルバムをめくる。


「私が映るのあまり好きじゃなかったんですよね。その、自分の容姿があまり好きじゃなくて」

「ええ。そんなにお綺麗なのに?」


 相沢が驚く。


「そう言って頂けるのは嬉しいんですけど、コンプレックスの塊で。足だってマッチみたいに細いし」

「羨ましいですけどね」


 体育会系女子からしてみたら。


「まあ、人それぞれですよね。マッチがいいか大根がいいかは」

「くっ」


 誰が大根だ失礼な。一日18時間立ちっぱなしの時だってあるんだ。歩きっぱなしの時だって。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る