第12話 殺意
そんな英昌の動揺を他所に、松下は説明を続ける。
「だから、犯人はまず、後頭部を殴打して奥さんを気絶させた。それから、廃屋へと運び、誕生日になった瞬間、グサッと」
「……」
合っている。
「でも、残念ながら日本の警察が杜撰だったから、死亡推定時刻が狂ってしまった。せっかく犯人が測った死亡時刻が中途半端になってしまった」
そうだ。せっかく、7月7日に合わせたのに、この男はしきりに6日と主張した。
「それって、あなたの推測ですよね? そもそも、死亡推定日時は7月6日では?」
「いや、7月7日ですよ」
「あなたが言ったんですよ? 殺害日時は6日の20時から24時の間だって」
「そうでしたっけ? じゃ、訂正します。殺害の日付は7月7日です。いや、死亡最低時刻も多少は前後するんでね」
「……っ」
こいつ、なんてふざけた刑事なんだ。
「だいたい、殺すなら誕生日でしょ? ハッピーバースデートゥーユー、グサっ……でしょ? どうせ、殺すならそうですよね?」
「……あんたが、そう言ったんでしょ? 7月6日だって、私は7月7日って言ったじゃないですか!?」
「えっ、言いましたっけ?」
「言いましたよ絶対! 妻とは6日は夜まで一緒にいたから。だから、7日じゃないかって!? それを否定したのが、あんたじゃないか!?」
「ああ。そうでしたっけ? じゃ、認識は一致しましたね。7月7日に、大山美幸さんは殺されたんです」
「っ、だいたい。あんたよくそんな軽口で妻の死を語れますね? そんなの、夫の僕に言いますか?」
「あっ、すいません。気分を害しましたか? では、もう話すのはやめても?」
その提案に、英昌は迷った。今、聞いたところで、ここではどうしようもない。
しかし。もう一つの可能性が浮上した。
この松下という刑事は、自分のことを疑っているのではないか。
「いえ。聞きます」
「この先は、もっと不快だと思いますけど。あんまり、興奮されるとこっちも話しにくいんでね」
こいつ。英昌は止めどない殺意を、松下に向ける。しかし、さすがにここで殺すことはできない。凶器はすべて押収され、女性とは言え、もう一人刑事がいる。
落ち着け。こんな無能にわかる訳がない。わかるはずがないんだ。英昌は数回深呼吸する。
「……大丈夫です」
「じゃ、続けますね。犯人は八芒星ではなく、円を書きたかったんです。その方がケーキに見えるでしょ? でも、できなかった」
「……なぜですか?」
合っている。この刑事は、自分が見た中で最も無能な人間だ。それが、なぜ、こうも自分の行動を言い当てられるのか。
「完全な円ってコンパスがないと難しいんですよ。ましてや、人の血でうまく円をかくのは、ハードルが高かった。血液はすぐに凝固しますからね。完璧さを求めるが故に、正方形を二つ重ねて書くのは比較的に簡単だから」
「……」
「まあ、でも犯人は切り替えました。自分だけに見える円。気づかない警察官。我々の無能を嘲笑うことができる。そんな所でしょうか?」
「異常ですね」
「そうでしょうか? これは、犯人の日常であるようにも感じるんです」
「……日常?」
「言ったでしょう? 犯人は、内弁慶タイプだって。日頃の行動にも、恐らくそう言った行動をしてるんですよ。本人が気づいてないだけで」
「どういうことですか?」
「犯人は、家庭内における地位も、職場における地位も低い。いてもいなくてもいい。そんな存在。だから、透明人間なんです」
「……私が聞いてるのは、そんなことじゃない。質問の答えになってないですよ? 質問にしっかりと答えてください」
「そうですか?」
「ああ、あなたにはわからなかったんですね。説明します。内弁慶だと言って、日常的にそう行動に現してると、あなた言いましたよね? それで、私は『どう言うことですか?』って聞きましたよ。だから、この回答としては、犯人の行動パターンをあなたは答えるべきなんです。でも、あなたは犯人のーー合っているかどうかは別として、地位に言及した。あなたの言いたいことじゃなく、私の質問に答えてください」
「ああ、なるほど。わかりました。怒ってます?」
「いえ、別に。でも、あまりにも、あなたがチグハグな受け答えをするもので」
苛立っているのは、お前がことごとく無能だから。無能、無能、無能、無能。英昌は心の中で、何度も何度も繰り返す。
「そうですか? これでも、警視庁捜査一課なんですけどね」
「でも、一般でしょ? あなたの歳頃くらいだったら、もう係長になってもいいような歳頃だ」
「ええ。まあ、そうですね」
「私は、そういうところだと思いますよ。あなたのその……いい加減で、当てずっぽうなところが、周囲から受け入れられないんじゃないですか?」
「なるほど。それで、俺はずっと一般な訳か。よく、わかりました」
「そうだと思いますよ。知りませんけど」
言いたいことを言えて、若干の優越を英昌は覚える。
「でね。恐らくは、犯人も一般、まあいわゆる平社員だと思うんです」
「……なぜ、そんなことがわかるんですか?」
お前になにがわかる。お前みたいな、無能に。
「俺とは真逆ですね。犯人は、几帳面で、物事もキチッとするタイプ。いや、キチッとし過ぎるタイプというのか」
「その方がいいでしょう。いや、むしろそんなタイプが出世していくんだと思いますよ?」
「じゃあ、なんでだと思います?」
松下は、英昌の瞳の奥を深くを、覗き込む。
「……」
「なんで、几帳面で、物事もキチッとしているのに、その人は社会のヒエラルキーの下の方にいると思います?」
「……」
ドクンと英昌の鼓動が波打つ。大の大人が頭を優しく優しくなでられているかのような、そんな屈辱が止めどなく押し寄せてくる。
「なんで、出世できてなくて、未だ一般の地位に甘んじてるんだと思います? 大山英昌さん? 身近にいませんか、几帳面で、計画性があるのに、なぜか、出世できない一般が?」
「……地位だけがすべてじゃないから」
「違う。言ったでしょ? 人一倍自己顕示欲が強いって」
「……同僚や上司にその能力を妬まれて」
「違う。几帳面で、物事もきちっとするのなら、むしろ職場では好かれますよ」
「……」
「わかりませんか? 言ったでしょ? 透明人間だって。犯人は、自分でやりもせずに一歩後ろで周囲を見下すタイプなんです。計画性はあっても実行はしない。実行しないから失敗はしない。そうやって、いつでも第三者目線で、物事を評価して、なにもやらずに、給料を貪り食っている。いてもいなくても、同じ。犯人が生きていようと、死んでいようと同じ。社会の歯車にすらなれない余計な部品。そんな日常を送っていたんじゃないですかね。当然、こんな者が社会から評価される訳がない。そんなところでしょうか?」
「……」
こいつ。殺す。殺す。殺してやる。次は、こいつだ。絶対に。必ず。
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