第9話 運転
パトカーに乗り込んで、松下はすぐにスマホをいじり始める。その様子を眺めながら相沢は不機嫌さをアピールしながらエンジンキーを回す。
「で、これからどうします? 下長さんのとこ行きます?」
「任せる」
「はい?」
耳を疑った。
「相沢が思うところ、行っていいよ」
「そ、そんなの無責任じゃないですか?」
「なんで?」
「なんでって……」
「俺が来たかったとこは、全部来たから。もう、今日はいいや。あとは、お前に任せる」
「いや、でも。私、新人ですよ?」
「鎌ケ谷署でも、強行犯係やってたんだろう? まあ、同じようなもんだよ」
「松下さんの行動見ると、全然違いましたけど」
ただ、もう振り回されずに済むので、それもありかと相沢はパトカーを走らせる。もう、こんな刑事はアテにもならない。自分がしっかりして、自分が犯人を逮捕して。吉原管理官に堂々と松下の無能を進言してやるんだと意気込んだ。
信号待ちの最中、思い出したように松下はつぶやく。
「……北島さんはどうだった?」
「北島さん? あの、おじいちゃんですか?」
「ああ」
北島浩志。鎌ケ谷署の強行犯係の係長だ。後数年で定年だとか言っていた。とにかく、デタラメで、適当で、無茶苦茶なジジイだった。
ただ、現場の刑事の誰よりも現場の刑事らしかった。
相沢は、その記憶を回顧して、ふと笑みを浮かべる。
「……足ですね」
「足?」
「ずっと、私を連れて気になったところを片っ端から調べてくんですよ。それこそ、1日10キロじゃきかないくらい。とにかく、歩いて事件関係者に話を聞いて」
そんな毎日をずっと過ごしていた。主に、聞き込みも、裏どりも、全部やらされて、別に太ってもなかったが、5キロは痩せた。日焼け止めも月に2本を超えた。
「そりゃ大変だったな」
「違くて。逆なんです」
「ん?」
「楽しかったです、私。それまでは、主にお茶汲み要因だったんで。まともに捜査になんて、参加させて貰えなかった。北島さんが来て。あの人、誰からも相手にされなくて暇で。でも、全然気にしないんです。なら、勝手に動くって、私を連れてずっと二人で捜査してました」
だから、捜査一課に異動を言い渡された時は、嫌だった。自分では、あんなにいいコンビだと思ってたのに。
「……そうか」
松下はスマホを眺めながらつぶやく。
「知り合いなんですか?」
「元上司」
「えっ? でも、松下さんって捜査一課の係長って言ってませんでしたっけ?」
「そうだよ。元捜査一課課長、北島浩志」
「う、嘘ぉ!? あのお爺ちゃんが?」
「知らなかったの?」
「北島さん、浮いてましたし。私も、まあ、浮いてました」
「空気読めないもんな、お前」
「……っ」
この男に言われたら、もう、死ぬしかないと思った。
「でも、北島さんは、松下さんと全然違いましたよ。とにかく、捜査は足だからって。事件の関係者を何人も見て、とにかく話を聞いて。すべてを洗い出しして」
その3年間は自分にとっては賭け替えのない経験だ。実績もでた。その年も、その次の年も、次の次の年も、逮捕率トップ。
それがあるからこそ、自分は刑事としての誇りを持つことができた。捜査一課にも、それで呼ばれたんだと思う。それは、こんなヤサグレ刑事には絶対に否定されたくない。
「間違ってないよ」
「なら。私たちも、足動かしましょうよ」
「でも、正解でもない」
「はぁ?」
「片っ端から調べるなんて、いつかは犯人に辿り着けるかもしれない。でも、それじゃ遅い」
「遅いって。でも、足を使う以外にやりようなくないですか?」
「だから、やりたいようにやれよ。俺も、やりたいようにやるから。どっちが、早く犯人に辿り着けるか、競争な?」
「きょ、競争って。もういいです。じゃ、とにかく下長って人を当たりますよ?」
「ああ」
なんて適当な人なんだと、相沢は憤慨しながらパトカーのアクセルを踏みこむ。
「……俺もさ」
「はい?」
「北島さんには、お世話になった」
「本当ですか?」
「なんで?」
「全然違いますもん、やり方。捜査一課の頃は違ったんですか?」
「いや。同じだよ。当時、延々と歩かされた。それこそ、何十足もスニーカー履き潰した」
「それですよ! 刑事の基本は、やっぱり足ですよ」
「だから、違うって」
「な、なにがですか?」
「刑事の基本。北島さんは……お前にそれを叩き込んだんだな」
「言ってる意味がわからないです」
北島は、相沢に教えるという行為をしなかった。ただ、その現場に行って、どう感じるか。どう見えるか。どう思ったか。そんなことを、ただ聞かれた。
「わからないか?」
「わかりません」
松下は、ため息をついて答える。そして、相沢の瞳をジッと覗き込んだ。その瞬間、鳥肌が全身から噴き出した。
なんだろう。心の奥を覗かれているようなこの感覚は。
「目だよ」
「……目?」
「ああ。刑事にとって、一番大事なのは目だ」
「それ……どういう意味ですか?」
「そのまま」
「それが、わからないって言ってるんですけど」
「わからなければ、それはそれでいい」
「ぜ、全然よくないんですけど」
「いいから。信号。もう、青だろう?」
「あっ」
そう言いながら、相沢は慌ててアクセルを踏む。気がつくと、ハンドルを握る手に汗がジトッと湿る。ほんの数秒、松下の目を見ただけで、感じたことがないような寒気を覚えた。
「……っと。相沢。そこの、コンビニに入れ」
「な、なんですか急に?」
「予定変更。思ったよりも、早かったな」
「いったい、なにがですか?」
「いいから。早くしてくれ。ここからは、俺が運転するから」
「ええっ! さっき、私の好きにしていいって」
「年功序列。悔しかったら、年を取れ」
「年取ったって、松下さんだって取るんだから、永遠に変わらないじゃないですか!」
「まあまあ」
「くっ」
雑な問答の雑な答えに納得がいかないまま。相沢は最寄りのコンビニの駐車場で、松下と運転を交代した。
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