第7話 被害者宅(2)
リビングに戻ると、松下は美幸の遺影が祀られている位牌の前に座り、拝む。それから、線香を取り出してライターで火をつける。
「あー、つかないな」
松下はそうつぶやいて、もう一本線香を取り出してライターで火をつけ、拝む。
礼儀もなにもない。むしろ、死者に対して失礼ですらある。
――全然、つくじゃない。
交代で位牌の前に座った相沢は、一発で線香に火をつけ、拝んだ。
「あの、犯人の手がかりはつかめましたか?」
「いえ。まだ。いただきます」
松下はそう答えながら、カップに口をつける。
「そうですか」
「現時点でわかってる情報だけ言いますね。殺害された日時なんですけど、7月6日と言うことなんですよ」
「……いえ。その日は、妻も家にいました」
「ああ、そうですか。ちなみに、6日なんですけど、奥さんが行方不明になったのは?」
「それは、夜に入ってですけど。昼間は会社でしたし」
「では、夜からいなかった? 何時頃からですか?」
「20時頃ですかね。たまたま、友達の家に遊びに行くと言っていたので」
「その友達はどなたか聞いてましたか?」
「いえ」
昨今は、携帯電話があれば、追跡も可能だ。しかし、それも見当たらなかった。恐らく犯人によって隠されたか、破壊されたのだろう。
「そうですか。そこから、行方不明ということですね。なら、犯行時刻は、6日の20時から0時にかけてか」
「……あの」
「はい?」
「7日に殺されたという可能性はないんですか?」
「まあ、ないですね。死亡時刻の特定は済んでますので」
「多少、前後するとも聞いたことがありますけど」
「そうですね。ただ、今回は6日でしょう。夜から未明にいなかったんですから、友人の家に行く途中に殺された。この線が濃厚でしょう」
「……」
強めに断定する松下に、相沢は少し首を傾げた。
「あと、この事件で難しいのは凶器ですよ。刃渡りが一般的なもので特定が非常に難しい」
「はぁ」
「包丁とかであれば、ある程度は絞り込めるんですけど。あとは、鑑識の結果待ちってとこですね」
「メーカーとかが特定できるんですか?」
「市販だったらまず無理ですね。オーダーメイドならなんとかって感じです」
「そうですか」
英昌は視線を下に落とす。
「あの、一つお願い。いいですか?」
松下が神妙な面持ちを浮かべる。
「なんですか?」
「競馬」
「はっ?」
英昌が聞き直す。
「はっ?」
相沢も聞き直す。
「いや、今日新潟3歳ステークスで、少し賭けてまして。それだけ、見せてもらってもいいですか?」
「松下さん!」
さすがに相沢が悲鳴を上げる。非常識にもほどがある。被害者の家に行って、テレビを――しかも、競馬を見せてもらおうだなんて。家族の苦しみを蔑ろにするような行為だ。
「いえ。構いませんよ。どうぞ」
英昌の表情に不快の色は現れなかった。相沢はホッと胸をなで下ろしながらも、ヒヤヒヤしながら松下を睨みつける。
「ありがとうございます。助かります」
冷ややかな視線を気にもせずに、リモコンのボタンを押して、テレビをつける。
「ボリューム小さいな」
「……」
頼むから、お前が黙ってくれと思った。それから、一通り競馬の着順を確認して、テレビを切った。「負けた」とつぶやいたが、もう一生、こいつには当たらないようにと相沢は切に願う。
そして、そんな願いは届かずに、松下はテレビ下のデッキから冊子を取り出す。
「これ、アルバムですか?」
「ちょっと、松下さん」
「すいませんね、職業柄、目ぼしいものがあると目についちゃうんですよ。拝見しても?」
「……どうぞ」
青色のアルバム。分厚い冊子が2冊。松下はペラペラと無造作にめくっていく。相沢も隣でのぞき見るが、めくる速度がもの凄く早い。本当に確認しているかどうかも疑わしい。
そんな中、松下の指が止まった。
「奥様と本当に仲がよさそうですね」
「……自慢の妻でした」
「あっ、これそこのキッチンの写真ですか?」
松下は料理している女性を指さす。
「あー、それは下長さんから頂いた秋さんまを捌いてる写真ですね」
「下長さん? お知り合いですか?」
「ええ。ずいぶんと仲が良かったみたいですね。よく、あちらの家に泊まりに行ったりしてましたよ」
「では、奥様が泊まりに行ったのがそこである可能性は?」
「……なくはないです。ここから、比較的近所だから、歩いて行けるだろうし」
「ウチの捜査員にはその情報を?」
「いえ。なんせ、妻は交友関係が広がったもので。さすがにすべての人は。申し訳ない」
英昌は深々と頭を下げる。
「いや、責めてないんです。でも、それは収穫だったな。住所わかりますか?」
「えーっと、はい。調べれば」
「では、ぜひ」
「少し時間がかかりますので、後日でもいいですか? 古い資料を探さないといけないかも」
「よければ待ちますけど。お恥ずかしながら、今は犯人の手がかりすらつかめずに難航してる状態で」
そう答えると、英昌の表情が曇る。
「……そうしたいのは山々なんですが、これから少し用事があって」
「あっ、そうなんですか? お邪魔して大変申し訳ないです」
「いえ。こちらこそ申し訳ありません。絶対に犯人は捕まえて欲しいんですが、なんせ、生活全般を妻に任せきりにしてまして」
「いえ。わかります。奥様がいなくなっても……いえ、いなくなったからこそ日常が忙しくなってしまうことも多いでしょう。犯人逮捕も重要ですが、なによりも英昌さんが心穏やかに過ごせるのが一番なんです」
「ありがとうございます」
「では、報告を手早く済ませた方がいいですね。先ほど言った凶器ですが、犯人は心臓を背中から一突きにしてますね。あー、現物があった方がいいかな。包丁借りられます?」
松下が立ち上がると、英昌が困ったように立ち塞がる。
「あの、あまり時間がないので、そういうのは結構です」
「ああ、ごめんなさい。じゃ、寝室だけ。見せてもらえます?」
「わかりました。あの、案内します」
英昌は席を立って先導する。相変わらず、松下は忙しなく瞳を動かしていて、行動に一貫性と落ち着きがない。まるで、子どもだ。その捜査方法には、知性も洗練さもなく、遠慮も、配慮も、深慮もまるで感じられない。吉原がなぜ、この男を買っているのか、相沢にはまるで意味がわからない。
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