亜人と純人
第213話 PROLOGUE 1-2①
「ふわぁぁ~~」
いつも通りの朝、というにはまだ心の準備が終わりきっていない春の日。楽し気に走り去っていく少年少女たちを横目に、僕は大きな欠伸をひとつ吐く。
朝、苦手だな。
颯爽と過ぎ去っていく時間に追い立てられる感覚が僕には厳しい。当たり前のことを熟すだけで精一杯な人間としては、毎朝こうやって遅れずに待ち合わせの場所に立っているだけで≪黄昏≫級の大仕事だったりする。
「今日も眠そうだねぇ……また遅くまで復習頑張ってたんだ」
「どうだろう。机には向かっていたけど、あんま集中出来なかったし──って、
普通に会話が成立しちゃったじゃないか。
「ごめんごめん、ユーマ。うふふ」
僕が苦言を呈すると、蘭華は翡翠色の瞳を楽し気に細める。
「こっちは怒ってるのに、なにが可笑しいのさ」
「いやーだってあんな大きな欠伸見せられちゃねー。こっちの気が抜けちゃうよ」
ニシシと鋭い犬歯を覗かせる。
「そっちだって今朝も待ち合わせに遅れたじゃないか。また寝坊?」
「えへへ、ごめんね」
「蘭華ってセリアンスロープのくせにほんっと朝弱いよな」
「ウチ、おばあちゃんはヒューマンだし」
なんて言い訳を何度聞いただろうか。そもそも早起きはセリアンスロープの種族的な特徴だ。ヒューマン混血を便利に使いすぎである。
「ってぇ、そんなことより、もうトラムきちゃうよー」
「えっ!? マジか!」
ポケットに忍び込ませた懐中時計を見る。いつも乗っているトラムの発着時刻まであと3分を切っている。
「やっばい! 走るよ!」
「おうともさー」
なんとも気の抜けた蘭華のセリフに突っ込みを入れる余裕もなく、僕は駅までの通学路を走り出した。
「これ間に合うかな? 朝から魔力が勿体ないけど、いざとなれば身体強化で……!」
「ならワタシに任せなさーい!」
「うわっ!」
ふわっと、突然身体が浮いた。
「えっ、ちょっ!」
「大人しくするー舌を噛むよ?」
いや、大人しくしろと言われても……こんな女の子に抱きかかえられて街中を移動するなんて……!
「うりゃあー」
気の抜ける声を出すくせに、恐ろしい速さで蘭華は街を颯爽と走る。自分よりも体の大きな男子を抱いて……。
「ふひゅー間に合ったぁー」
「いや、間に合ってないよ」
結局トラムの時間には間に合わなかった。
しかし遅刻確定かと思われたところで蘭華はそのまま学園まで走っていくことを選択したのだった。
「でもこの時間なら遅刻はしないでしょ?」
「……まあね。そこは助かった」
「えへん。身体強化魔法は得意技だからね」
その言葉の通り、蘭華は身体強化魔法に限って言えば、新入生でありながら既に学園でも有数の実力者と言われている。身体・魔力テストを期にその才能はすぐに評価され、入学からそう日も経っていない内からいくつもの運動部が彼女の力を手に入れようと日々勧誘に力を入れているらしい。しかし今のところ彼女はそれらをすべて「興味ない」の一言で捻じ伏せている。
「うん? なぁに?」
「いや……お前は毎日楽しそうだよなぁって」
「むっ、そりゃあ楽しいけどー、なんだかそこはかとなくバカにされた気がするーこのこの」
「気のせい気のせい」
バカになんてするはずがない。自由でいいなーとは思うけど。
「それよりはやく教室行こう」
僕は誤魔化すように先を急ぐのであった。
この王立ヴァーミリオン魔法学園の敷地は広い。教室やグラウンドは勿論、魔法の実演場に劇場まであって、学問やスポーツなど多岐にわたる分野で若者が青春の汗を流す場となっている。
でも僕みたいな新入生で尚且つ部活に入ろうとも思っていない灰色の人間にとってはそれが逆に学園の利便性を下げているような気がする。つまるところ、いちいち教室が遠い!
「悠君、つらそう。 大丈夫? 教室までだっこしたげようか?」
「やめろ。恥ずかしい」
僕は要介護者じゃないんだ。流石に学園の敷地をお姫様だっこは遠慮願いたいよ。
「大丈夫。歩いていくよ。ほら、校舎が見えてきた」
「あっ、ほんとだー今日も大きいねぇ、鳥さん」
「鳥じゃなくてドラゴンらしいよ。アレ」
魔法学園のメイン棟とも言うべき校舎の屋根にはその名もヴァーミリオンという翼竜を模した装飾がされている。いや、装飾というより……なんだろう全体的なシルエットを見ると校舎そのものが竜というか。まあとにかく、象徴として学園の名前をそのまま継承したそのドラゴンは学園の敷地ど真ん中に鎮座し、今日も僕らを迎えている。
さぁ、こうやって今日も始まっていく。頑張らなきゃ。
この竜を見る度にそう思わせるんだから、モチベーターとしてコイツはボクたちの役に立っているよ。
そんなことをぼぅっと考えつつ歩いていく。
すると、校舎の入り口近くでざわざわと騒がしい声がした。人垣を遠目に見て見ると、大勢の野次馬がひとりの少女を囲んでいるように思えた。
「なんだろうね」
「ああ、アレねー」
「え、蘭華は知ってるんだ」
「うん。
「知らない……」
いつも一緒に帰ってる蘭華が知っていて、どうして僕だけが?
「で、なんであんなことに?」
「んーまあ、行って聞いてみればわかるんじゃない?」
投げやりな態度で蘭華は僕に野次馬を勧めた。
「んじゃ、ちょっと」
僕は好奇心に負けて、少し様子を見に行った。
すると『見世物』は始まっていたようで……。
「ヴァーミリオンは動くわっ! わたしたちを『
件の羽衣羅・アルカードさんが叫んでいる。それはまるで皆へ警鐘を鳴らすかのようだった。しかし、周りはそれを見ているだけで誰も干渉しようとしない。
『またやってるよ』
ふとそんな声が耳に入る。蘭華が有名だといった通り、彼女は頻繁にこんなことをして騒いでるようだ。まあ、叫んでいる中身はよくわからないけど。
ヴァーミリオン。えっと、つまり、この学園? が動くだって? オリジン? なんのこっちゃい。
訳が分からないけれど、あんなに必死なんだからきっと意味はあるんだろうと思う。
『顔はいいのに。勿体ない』
野次馬の誰かが言った。改めて件の羽衣羅さんのご尊顔を拝見してみると、これが確かに相当な美人だった。真っ白な肌に赤い髪、灰色の瞳。まるで人形みたいで、その美しさに思わず背筋が凍りそう。
しかし、≪灰≫か。
≪灰≫の魔法位を持つ人種。彼らは魔族と呼ばれ、僕たちヒューマンや蘭華のようなセリアンスロープとは一線を画す特徴がある。それは魔力がないということ。いや、より正確に言うなら『魔力を生み出せない』かな。
魔族にも色々と種類があるが、彼らは皆、他の種族から魔力奪う方法を持っている。しかも奪った際にそれを数十倍にも増幅できるんだから凄いもんだ。僕みたいに≪藍≫という決まりきったキャパシティ以上はどう足掻いても運用できない凡人と違って、彼らには際限がない……らしい。
まあ実際のところはよく知らない。魔族の知り合いなんていないから。
なんて、考えていた瞬間だった。ふと、羽衣羅さんと目が合った。で、合ってそのまま……離れない。
「そこのあなた!」
そして、ご指名。
え、なに!? ちょっと胸おっきいなぁとか考えてたのバレた!? いや、流石に僕じゃないでしょ……だって、僕ら何の繋がりもないわけで。
だが彼女がこちらへ向けて指を刺したと同時に、近くにいた人たちが凄い勢いで捌けていき、それでも動かない彼女のまっすぐな視線が僕の脳を打ち抜いた。
「な、なにかな?」
羽衣羅さんの顔が近づいてくる。こうやって近くで見て見ると、本当に美人だな!
いやまあ、役得はいいんだけど、それ以上に悪目立ちしたくない。
「あなた、名前は?」
「……
「なるほど、ユーマね」
でも無視するなんてできなくて、僕は馬鹿正直に本名を答えていた。
「ねぇ、ユーマ。突然だけど、あなたは世界の真実について、知っている?」
「は……?」
その時、俺は今更ながら痛感した。今、自分がヤバい奴に絡まれていることを……。
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