第212話 Another View 「母の心」
お風呂から上がると脱衣所に置いていたスマホが着信音を鳴らしていた。私は急いでタオルを身体に巻き付けてスマホを手に取る。ディスプレイには『パパ』の表示。
『も、もしもし?』
『あっ! やっと出た! 未来! お前、今どこで何してんだ?』
『どこって、『かえでの湯』だけど?』
『家族湯? 友達と一緒なのか?』
『うん。でもどうしてそんなことを聞くの? まだそんなに遅くないでしょ?』
まだ日は暮れ切っていない。ギリギリ二十歳になっていないとはいえ、大学生の娘が外にいて怒られるような時間ではないだろう。
『まあそれはいいんだがな。それよりお前、
『えっ!』
ギクッとしたことは言うまでもない。これはお説教ルートかなぁ……。いや、お説教で済むならマシか。家族の輪を乱すようなことをしたんだから……。
私はふと浴場の方へ視線を向ける。未だあそこでゆったりと風呂に浸かっている彼? は私の苦悩なんて気にもしてないんだろうな。
『ごめんなさい……』
とにかく私は謝る。
『いい。とにかく、ワケを聞かせるんだ』
『パパ……』
『お前が悪意をもってそんなイタズラをするような子じゃないのは親である俺が一番よくわかってる。何かきっと事情があったんだろ?』
『…………うん」
しかしパパは叱らなかった。その優しさに、思わず泣きそうになる。
そっか。パパが聞いてくれるなら……。
『あのね、会ってほしい人がいるの』
『会ってほしい人!? ……まさか、彼氏か!?』
『ち、ちがうよぅ!』
『冗談だ……まあ、流れ的に義姉さんに湊の名前を語った女の子だろ?』
『もうっ! つまんない冗談はやめて!』
と言って、私がいつまでも怒ってちゃあ話が進まないか。
『まあ、会ってほしい人はその子であってるよ。もちろん不謹慎っていうのはわかってる。でも私はね、彼女と叔母さんは会うべきだって思ったから家に連れて行ったの。勿論それは叔父さんや、パパ、ママにも。だから彼女に会って、判断してほしい』
どういう形であれ、湊兄がこの世界にいるんだ。それを知らずに、というのはきっとヤダと思うから。
『そうか……わかった。お前を信じる』
『パパ、ありがとう……』
『おう。じゃあ、今から迎えに行くからな。一緒にいる友達ってのはその子の事だよな?』
『そうだよ。お願いね』
パパとの通話が終わった後、私は大きくため息を吐いた。
よかったぁ……少なくともパパは私の話を聞いてくれる。
「あれ? 未来、まだ服着てなかったのかよ。折角出るタイミングずらしたのに」
湊兄が赤い顔して風呂からあがってきた。コイツ、本当私の苦労も知らないで……。
「電話してたのっ!」
「電話? だれ?」
「パパ。今から迎えに来るってさ」
「にーちゃんが!?」
「うん。話、聞いてくれるって」
「そうか……にーちゃんが……」
湊兄は何とも言えない表情を作った。
生前はパパの事を兄のように慕っていたっけ。彼がいかがわしいゲームをするようになったのもパパの影響だ。そのパパはママからその趣味を睨まれているんだけどね。
「ところで湊兄」
「ん? なんだ?」
「目線」
タオル越しにじっと身体を見られている。
「あ、いや、すまん」
「えろすけ」
「……ごめんて」
おい、お風呂での紳士ぶりはどうした。
「待たせたな」
お風呂屋さんの前で待つこと10分。家のミニバンが到着する。運転席のパパは私を見て、パワーウインドウ越しに乗れと合図を出す。私はそれに従って、助手席へと乗り込む。
「湊兄は後ろに」
「あ、うん」
これまで何度も乗ったであろう車。でも、彼の顔はどこか強張っている。
「あっ……えっと……」
全員が車へと乗った。ということで、いよいよパパと湊兄の対面となるが、その湊兄はパパへどう声をかけていいのかわからないようでずっとモジモジとしている。きっと先ほどの叔母さんの反応が心に残っているのだろう。
「パパ」
「あ、ああ……」
ここはパパの方から動いてもらうしかないと、私はパパへ対応を促した。
「えっと、娘が世話に──って、あれ?」
運転席のパパが後部座席へと首を回す。そして湊兄──いや、リアちゃんの顔をまじまじと見つめる。
「パパ?」
「あ、すまん。えっと、君……」
「リアちゃんだよ。えっと、ヴィアーリア……だっけ?」
「ヴィアーリア? いやいや……」
何が引っかかったのかはわからない。ただ、パパはリアちゃんの名前を聞いて、苦笑いを浮かべた。
「あの、にーちゃん……」
「えっ」
そこで湊兄がようやくパパのことを呼んだ。間延びした言い方が昔の彼そっくりで少し懐かしい気持ちになる。
一方、驚きに驚きを重ねたパパは考えるように額に手を当てていた。
パパも私のように、彼女にどこか感じるところがあったのかもしれない。
「えっと、マジで湊なのか?」
パパは湊兄へと問いかけた。
私はまだパパに何も言っていない。それでもパパは、事前情報や彼女のその仕草からそう思い至ったようだ。
「そうだよ! にーちゃん……信じてくれるか?」
「いや、信じるというかな……そうとしか思えないんだ。仕草とか俺を呼ぶ感じとかな」
「マジか。流石にーちゃんだぜ! 俺の事すぐ分かってくれるなんて」
「そういうお調子者なところもアイツそっくりだ」
うん、やっぱりわかるよねぇ?
「よかった! これなら俺が大学に入ったばかりの夏休み、様子を見に行くって名目でわざわざ東京の下宿先まで来てくれたにーちゃんが、実は
「ちょっ!?」
え、何今の話?
「わ、わかった! お前は確かに湊だよ! それはもうわかったから次の話題にな! なっ!?」
怪しい。私は湿っぽい視線をパパへと送った。これは後でママに相談だな。
「にーちゃん、これから俺はどうすればいいんだ?」
「どうするって、家に帰るんだよ」
「いやいや、流石に家はまずいだろ。俺、かーちゃん怒らせちゃったし……」
「そこは謝るしかない。俺も未来も一緒に頭下げるから、もう一度義姉さんと顔を合わせるんだ」
パパがそう言うと、湊兄は躊躇いつつも「わかった」と答えた。
皆もこの湊兄に会うべき、という私の気持ちをパパは汲んでくれた。いや、もしかしたらパパも直接湊兄に会って、同じ気持ちになったのかもしれない。
そんなわけで改めて湊兄を乗せた車は自宅へと走り出した。時間にすれば10分もかからない距離だけど、先ほどのことが頭に残ってる身としては数十分にも感じるほど気が重い。しかし湊兄の為、自分の為、頑張って叔母さんに立ち向かおう。
「ついたぞ」
ついに家の車庫に到着した。パパが車のエンジンを切る。
「湊、俺たちの後についてくるんだぞ」
「ああ」
私たちは自分の身体で湊兄を隠しつつ、玄関から家に入る。
「あっ」
恐る恐る家の中を歩く、といった感じだったけれど、居間に行こうとしてすぐに隣接するダイニングのところで叔母さんと鉢合わせた。
彼女は私の顔じっと見ている。ひぃぃ。
「ね、義姉さん……」
「未来ちゃん」
「は、はい」
パパの方へは振り向きもせずじっと私だけに視線を向けていた。
「あ、あの……叔母さん。さっきはごめんなさい」
「未来ちゃん、さっきのあの子は何だったの? ああいう悪戯は感心しないわ」
1度目の訪問はまさに怒り狂ったといった様子だったけれど、今はかなり落ち着いているようだ。
「ごめんなさい。でも、決して悪戯とかじゃないの」
「またそんなことを……」
「説明するから。その為に、また彼女を連れてきたんだ」
「その子は……!」
そう言って私は後ろに隠れていた湊兄の姿を彼女の元に晒す。
「えっと、彼女はリアちゃんって言うの」
「ど、どうも」
「…………」
叔母さんはリアちゃんの顔を見て一瞬驚いた表情になるも、それからは警戒して一切口を開かなかった。
「と、とにかく未来の話を聞いてやってくれないか? ちょうど兄さんも帰ってるし、家族皆にこの子のことを紹介するよ」
「……わかったわ。でも、次ふざけたことを言ったら、夜だろうと追い出すから」
「う、うん……」
パパの口添えもあって、ようやく対話のチャンスが貰えた。次こそは上手くやる。その為にどうすればいいか、案は考えてきた。
夕食を前に、私たち家族は一度居間へと集まることになった。叔母さんに叔父さん、パパとママ、そしてリアちゃんも含めて家族で大きなテーブルを囲む。
仕事から帰ってきたばかりで事のあらましを聞かされていなった叔父さんはただ困惑した視線を私の隣に座る湊兄へと送っていた。
すると、その湊兄からチョンチョンと服の袖を引っ張られる。
「なに?」
「未来、ヤバい。足しびれた」
この人は……本当、緊張感がないなぁ。
「さっき座ったばっかじゃん。もうちょっと我慢して!」
「いや、だって向こうではこんな地べたに座るなんてなかったしさぁ」
ウチが純日本家屋だから私は地べた生活にも慣れてるけど、縁のない人にはとことん辛いらしいね……って、そんなことはどうでもいい!
「今真剣な場面だからね? わかってる?」
そうだ。ここで叔母さんたちの心証を悪くしては話を聞いてもらえなくなる。焦る私だったが……
「湊、姿勢」
「あっ、はい」
叔母さんの指摘で湊兄は崩した足をそのままに背中だけピシッと伸ばす。
……ん? あれ?
「わ、私……どうして……」
何故か口にした叔母さん自身が困惑していた。無意識だったのかな。本屋で思わずリアちゃんを声をかけた私みたいに。
「叔母さん、私がこの子を家に連れてきた理由分かってくれた?」
そう、これだ。私やパパが、このリアちゃんに抱いた謎の既視感。彼女と話した今だからこそ言えるのだが、この現象はこの子の中に湊兄の魂が入っているからという全く説得力のない答えで説明できる。
「ええ……何だか湊がすぐそこにいるような……不思議な気分だわ」
「うん。だよね。私もパパもそう感じたから、皆にこの子と話してみてほしいって思ったの」
私の言葉に叔母さんはただ頷きで応える。それから私は湊兄の肩を軽く小突く。
「え、えっと、俺喋ってもいい感じ?」
きっとこの遠慮のない感じはわざとなんだろう。私が頷くと彼は小さく咳払いしてから話始めた。
「えー、敢えてさっき……か、かーちゃんに言ったのと同じことを言わせてもらうよ。俺は湊だ。いや、正確に言うなら湊の記憶がある他人? みたいな? 証拠は思い出話を聞かせるくらいしかできないけど……話してもいいかな?」
その問いかけには誰も答えず、沈黙を肯定と取った湊兄はそのまま彼自身の思い出を手あたり次第語りだす。中には本人の口からしか出ないようなものもあり、またその語り口からその場にいる者は皆その少女の姿に湊兄の幻を見て驚愕の表情を作った。
「──と、いうわけで、落ち込む俺に、にーちゃんはお古の携帯ゲーム機と一本のソフトをプレゼントしてくれたんだ。それが俺の初ギャルゲーで、名作『夜明け前には。』だった。泣けるシナリオと魅力的なヒロインが売りで、にーちゃんはいつかR18版も貸してやるって──」
「あなた?」
「ちょ、おまっ! そんなことまで話すな!?」
あの、家庭の不和を生み出すのはやめてよ?
「まあそういうことで、皆が認めなくても、俺には間地湊としての記憶があるから」
えらく雑な着地だったけれど、湊兄は言いたいことを全部言えたようだ。その後、皆しばらく己の中で考えをまとめているのか沈黙の時間が続く。
「よくわからんことばかりだが、俺は……この湊の言う事を信じようと思う」
数分後、それをはじめに破ったのは叔父さん、つまり湊兄のお父さんだった。
「とーちゃん……」
「勿論、全く同じ人間としてなんて見れるはずないけどな。アイツとは性別すら違うわけだし、そもそも俺たちは皆アイツの骨上げをやってるんだよ」
「……まあ、それはそうだ。記憶があるだけで、この身体はリアのものだから」
「おう。ただ、その記憶のおかげで息子として認識できることは確かだ。死んじまったアイツとまた話せるのはなんだか不思議な感覚だが、こう……複雑な気持ちを全部取っ払ってシンプルに考えると、やっぱ俺はお前とまた敢えて嬉しいと思う」
「と、とーちゃん!」
叔父さんが受け入れてくれたことで感極まった湊兄は、しびれた足でよろよろと父の元へと近づいていく。そして、感動の再会、と言わんばかりにその身体に抱き着いた。
「お、おお……」
ただ叔父さんは突然抱き着いてきた見知らぬ女の子の背中を撫でていいのか分からず、所在なさげに両手をあげていた。
「み、湊……俺はもういいから、今度は母さんと話を付けなさい」
「とーちゃん、わかった。ありがとう」
そして、次はいよいよ叔母さんとの和解だ。
「あの、えっと……」
「あなたは本当に湊なのね?」
「うん。何度も言うけど、記憶だけが証拠かな」
「そうね。でも、話を聞けば聞くほどあなたは湊で、今では私もそうとしか思えないの」
「そっか」
今度は叔母さんの方から湊兄のことを抱き寄せていた。
「さっきは怒鳴ってごめんなさいね」
「いやいや、あんなの怒って当然だし。でも今度は受け入れてくれた。かーちゃん、ありがとう」
「うっ……うぅ、湊……湊……」
「かーちゃん……」
ふたりの嗚咽の声だけが居間に響いていた。よかった……こういう形に落ち着いて。
親子はしばらく抱き合ったまま動かなかった。そして、溜めに溜めた涙を放出し終わった後、また言葉を交わす。
「湊……私ね、もしかしたら今も夢を見てるんじゃないかって……いや夢どころか、もしかしたら私も死んじゃってて、だからまたあなたに会えたのかもって……」
「おいおい……」
その時のリアちゃんの顔は申し訳ないけど、少し面白かった。
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