第211話 エルメルトンの憂鬱

「あったかいお湯は目が覚めるねー」

「ですねー」


 パシャパシャと水音が響く。私の大切なふたりは楽しそうにお湯を浴びていた。


 なぜか魔法位が急成長したアトリに、元々高いスティアも、どちらも既にお湯玉を作れるほど成長した。もう私が手伝ってあげる必要がないのだ。


 一方でお母さんはというと……。


「あら?」

「どうしたの? お母さん」

「魔法が……お湯を作るのってどうすればいいんだっけ……」


 両の掌を見つめながら小さく呟いた。


 ド忘れ……というわけではないだろう。魔封じの枷をつけられ、ずっと魔法を使えない状態となっていたのだ。その期間は少なく見積もっても4年。それだけブランクがあったら、ずっと使えていた魔法の腕も鈍るというもの。


「だ、大丈夫! すぐに思い出すと思うから……とにかく今は私が」


 そう言って、私はお母さんのすぐ側にお湯玉を浮かべた。こうやって近くで見せていれば、その内また使えるようになるでしょ。


「リアってば、お湯を作れるようになったのね」

「ふふん、凄いでしょ。魔法位さえ上がればこのくらい」

「……そうね。でも昔はいつも私やユノがあなたの為にお湯を沸かしていたから、その必要がないと思うと……ちょっとさみしいわね」


 低い魔法位のせいで魔法が使えなくていじけていた私。あの頃からの成長をお母さんには見せたいのに、彼女はなかなか喜んでくれない。それがちょっぴり悲しくて、私はお母さんの身体を洗うお湯の水流を少し強くした。


「どう? 気持ちいい?」

「ええ、とても」


 肯定……のはずなのに、お母さんの表情は晴れない。どころか……。


「お母さん?」

「なにも……ないわ……」


 すんすんと鼻をすする音が聞こえる。まただ。どうしてお母さんは泣いているのだろう。


「お母さん、どうしたの? 何か嫌なことあった?」

「…………」


 何も言わず、お母さんはただ涙を流している。ふと思った。なんでこんなことになっているのだろう。


 私たち折角また会えたのに。この広い世界を知って、それでも諦めきれずに旅を続けた。苦しいことも悲しいことも乗り越えて、それでようやく私たち親子は再会できたというのに……それなのにどうして。


「ぐぅ……」


 ネガティブな思考に支配されると、なんだか私まで泣けてきてしまった。


 いけない。アトリもスティアも心配そうに見てるじゃん。


「リア……」


 涙を流す私の肩を抱いたのは他でもないお母さんだった。


「お母さん……」

「リア、ごめんなさい。私が悪いの。あなたは家族の為にいっぱい頑張ってくれたのに……私ってば本当母親失格ね」


 私を抱くお母さんの力は増すばかりだ。そして、ついにはその涙の理由を語り始める。


「正直言うとね、家族が離れ離れなって、一番心配だったのはあなたよ」

「……うん」


 そうだろうな、と思った。魔法位も身体能力も一番虚弱なのは私だったから。


「だから私はいつもあなたを助け出すことばかりを考えてたの。ここから何とか逃げ出して、エナルプにでも化けてあなたを探す計画なんて立てたりね。まあ結局失敗して鞭打ちされたりとかそんなのばっかりだったけれど」


 その話に私は驚きを隠せない。奇しくも今の私が取っている方法と同じだったのだ。


 しかし結果は語る通り。なかなか調教が上手くいかないエルフとして、お母さんの身柄はかなりの期間、たらい回しにあっていたらしい。


「ああ、どうして私はこんなにも無力なんだろうって、思わない日はなかったわ。家族を奪われて、それなのに何もできずただ鎖に繋がれ、憎いエナルプたちから『媚びろ』と鞭を打たれる日々。もう本当に頭がおかしくなりそうだった」


 その言葉に私は絶句した。お母さんが経験したのはたらい回しどころの話じゃない、地獄のような日々。その一方で、ねーちゃんやみんなと出会い、数えきれないほどのぬくもりに触れた私はとんでもなく優しい世界にいたんだと思った。


「それで気が付けば、最後の飼い主のところにいたの。あの背丈の大きい男ね」

「ああ、ナユタン商会の」

「ええ。あそこは今までの飼い主に比べると優しかったわ。無理に私を調教しようとしなかったし、身体にも気を使ってくれた。だから、ある時ふと思ってしまったの。もう屈してもいいんじゃないかって。家族を想い続けることに、弱い心が耐えきれなかったのよ」

「そんな……でも……」

「だけど、ある日ね、声が聞こえたわ。愛しい娘とそっくりの声。その声を聞いた私はふと我に返ったの。どうして諦めようとしてるのって」

「だから、暴れていたんだ」


 お母さん的には幻聴だと思っていたらしいけれど。


「そして、今度は本当にあなたが現れた。最初は信じられなくて、私も死んでしまったのかと思ったわ。でも、そうじゃないってわかった。リアが、ひとりじゃ何もできないと思っていたリアが……たったひとりで私を助けに来てくれた」


 お母さんは私の目を見つめて言った。私は黙ってそれを受け止める。


「久しぶりに会えたリアは驚くほど立派に成長していた。身体も魔法位も、人と交わる能力も……それに比べて私は魔法も使えなくなっているし、あなたのお友達にすら腰が引けてしまう人間になり果ててしまった……それがあまりも情けなくて泣けちゃって」


 心の傷。男が苦手になってしまった私に対してミナトがそう称したように、お母さんにも心に染み入る傷が出来てしまった。


 ほんと……ふざけんな。どんだけ私の家族をもてあそべば気が済むんだ。


 今更ながら、私は頭にきた。私たち家族をこんな状況にしたヤツ。そいつが単体なのか複数なのか、勿論名前も知らないし、背後関係も何もかも分からないけれど、お母さんが受けた痛いをその誰かに思い知らせてやりたい。


 そしてそれと同時に思い知った。母も人間なんだって。心は私となにも変わらないただの人間なんだ。


「リア、ごめんなさい。こんなに頼りのない卑屈な母で……」

「そんなことないっ!」


 今度は私の方から、お母さんを抱き締めた。そうしないと、ふとどこかへ行ってしまいそうで怖いから。


「それはきっと心が弱ってるだけだよ……これから一緒に過ごして、少しづつでも治していこう?」

「リア……」

「お母さんは私を立派に成長したって言ってくれたけど、そんなことない。私だって苦手なものが出来ちゃったし、それで足が竦むことだってある。でも旅を続けて、何とか立ち向かえる力が出せるようになった。だからお母さんも大丈夫。私たちと一緒に頑張ろう?」


 お母さんは捕まったままだけれど、それでもずっと戦ってくれていた。地獄のような日々でも折れずに私を探そうとしてくれた。トラウマがなんだ。私たちは絶対に、また家族で幸せに暮らすんだ。


「……本当大きくなったね、リア」


 お母さんは控えめだけれど、確かに微笑んでくれた。そう、この顔が見たくて私はこれまで頑張ってきたんだ。これからずっと守っていかなきゃ。


「お母さん、さっき言ったよね? 私がたったひとりでお母さんを助けに来たって。アレってさ、ちょっと違うの。だってほら、私には──」


 私の視線の先には心配そうに私たち親子を見つめるアトリとスティアがいる。


 そうさ。私はひとりじゃない。だからこそ頑張れたし、ここまで来られた。そしてこれからはお母さんも。


「私たちはひとりじゃないよ。ここにいるアトリにスティア、私の中にいるから見えないけれど、ミナトはいつも一緒にいてくれる。それに今まで出会ってきた人たち、皆の力で私はここまで来ることができたんだ」


 私は諦めない。ここまで積み上げてきたものが背中を押してくれるから。


 お母さんの次はお父さん。この世界のどこで何をしているのか、まるで分らないけれど、必ず……。

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