第210話 母の心

「あなたは本当のリアだったのね……」


 リアは家族と離れ離れになってからの事を母に語った。俺たちの5年を詳しく話してしまうと、きっと一日二日では語りきれない。だから出来るだけ内容は圧縮。


 かなり駆け足語りではあったが、順序立てて話すことで、エルメルトンはリアの話が真実であるとわかってくれた。ただ彼女はどうしてあそこまで混乱していたのだろうか。


「ねぇ、本当の私、ってどういうこと?」

「あのね……ここ最近ずっとあなたの声が聞こえる気がして……でもあの子が居るはずないのにって、ほんとう頭がおかしくなっちゃったのかと思っていたのよ」

「え、そうだったんだ」


 つまり俺たちがこの街に来たことで、その肉声がエルメルトンには聞こえていた。だが当然本物だとはつゆも思わず幻聴扱い。相当参っていたこともあり、そこに姿を現したリアは幻覚か偽物としか思えなかったみたいだ。


 いや、いくらエルフの聴覚が優れているからって、街の喧騒の中からリアの声を的確に認識していたとはね。『母親』の本能とは凄いものがある。


「……って! もしかして、お母さんそれで暴れてたの?」

「幻聴だってわかってはいても、気が気でなかったのよ……」


 まさに鬼気迫るといったエルメルトンの様子を思い出す。しばらくは落ち着いていたというのに、また暴れ始めたという彼女。それがまさか俺たちの行動とリンクしていたとは……。


「うぅ……」

「泣かないで、お母さん。せっかくまた会えたんだから」

「でも……でも……リアがわたしを」


 この状況で泣くなって方が無理な話だ。そもそも、そう言うリアだって目は潤んでいる。


「リア、本当にあなたなのね……」

「お母さんっ!」


 今度は確かめるように、エルメルトンに身体を優しく抱きしめられる。その柔らかさと匂いに、またリアの涙腺は壊れだす。


「こうしてあなたを抱いていると、成長したのがよくわかるわ。それを見届けられなかったのは凄く悔しいけど、でも……大きくなったわね、リア」

「うん。だけど身体だけじゃなくてね、私、色んな経験をしたんだ。楽しいこともあったし、死にそうになったこともあった。色んな事があったけど、やっぱり私は家族とまた一緒に暮らしたいから。だから、頑張ったんだよ?」

「ええ……ええ……」


 鼻をすする音が聞こえてきた。それと同時に首元に温かい雫が当たる。また泣いているんだろう。リアもそれにつられて涙を流す。

 

 まるで小さかった頃のように、リアは母親の胸元に涙の染みをつくる。そして、ふたりとも頭が痛くなるくらい泣いたあと、ようやく意識を外へと向けた。


「えっと…………」


 なんだか居心地が悪そうに、アトリとスティアのふたりがこっちを見ていた。


「あっ、お母さん。紹介するね。さっきもちょこっと話に出したけど、ふたりが私の大切な人。こっちの桃色の可愛い子がアトリで、こっちの金色美人なエルフがスティアだよ」


 リアの紹介を受け、エルメルトンは母として彼女たちと相対する──と思いきや、黙ってじっとふたりの様子を伺っている。


「お、お母さん?」

「…………うぅぅ」


 と思ったら、なぜか彼女は泣き始めてしまった。


「えっ? えっ?」

「わ、わたくし、何か粗相をしてしまったのでしょうか……?」


 当然、泣かれた方は困惑するしかない。


「だ、大丈夫! ふたりは悪くないから……そ、そうだ! きっとお母さん、 お腹が空いているんだよ! ふたりもお腹ペコペコでしょ? 部屋に持ってきてもらおう!」

「う、うん」


 理由はわからないけれど、エルメルトンの調子が悪いことだけはわかる。それゆえに、もう今日は飯を食ってさっさと休もう。それで、明日また家族の触れ合いをすればいい。そう思ったリアは宿のルームサービスを利用して、部屋に食事を運ばせる。その間もエルメルトンはずっと怯えていた。


「お母さん、食べられそう?」

「ええ。……ごめんなさい。あなたに食事の世話までさせてしまって」

「大丈夫! 私、これでも儲けてるんだ。凄腕の冒険者だからね」


 リアは金の心配をさせまいとそう言ったのだが、それを受けたエルメルトンは安心するどころか、微妙な顔をして黙り込んでしまった。


(うぅー! どうしてぇ!?)

(わ、わからん。お腹が減ってたわけじゃないのか? それとも眠たいとか?)

(いやそんな小っちゃい子供じゃないんだから……)


 リアの記憶を辿っても、こんな風になってしまった母はかつてない。だからこそ心配だ。


 折角母と食べられると楽しみにしていた食事もこうなってしまうと味気なく、アトリやスティアも巻き込んだ気まずい夕食となってしまった。ただそれを今までずっと純人に捕まっていたエルメルトンのせいにするわけにはいかない。まあなんにせよ、ご飯はちゃんと食べてもらわないとな。


「お母さん、ほら私が食べさせるから、どんどん食べて」

「ちょっとリア、わたし自分で……」

「そんなこと言って全然匙が進んでないじゃん! ほらっ」

「むぐ……」


 リアは元気のない母の口にどんどん食べ物を運んでいく。ふと、そんな場面をリア視点で見ていて、俺はとある既視感に襲われた。


 あれはリアたちがまだエルフの森で暮らしていた頃、狩も採取もなにもかも上手くいかないリアは拗ねてしまって、出された食事に一切手を付けようとしなかった。その時は今みたいに母の手によって無理やり食事を口に入れられていたっけ。


 そう、今のこの状況はその逆。ただ理想の母親像を地で行くエルメルトンが久々に会えた娘に対してそんな態度をとるだろうか。


 この日の食事は結局、詰め込むだけの味気ないものに終わってしまった。エルメルトンの元気が無い理由は分からない。しかし、たっぷり睡眠をとって明日になれば多少は改善するだろう。


 食事が終わった後、簡単に寝る支度をすませたリアたちはそのまま眠ってしまうことにした。あれだけ眠っていたエルメルトンも疲れていたのか、布団へ入った途端眠りについた。


「うぅむ……」


 折角また会えたのに。母の心のつっかえは一体なんなんだろう。眠る母の姿を眺めながらリアは思った。


 とにかく明日は一日ゆっくり彼女の為に使おう。朝、一緒にお風呂に入って、その後ご飯食べて……。


 明日の予定を立てつつリアは布団の中で目を閉じた。


 翌朝、リアが目を覚ますと真っ先に母の姿を確認する。彼女は既に起きていて、じっとリアの姿を眺めていた。


「お母さん、おはよう」

「ええ、おはよう。リア」


 普通だ。昨日訳もわからず涙を流していた母はどこへ。


「お母さん、今日は特に用事がないからゆっくり過ごそうね」

「わかったわ」

「うん。じゃあとりあえずお風呂に入ろうっか。昨日の夜はめんどうでパスしちゃったし」

「うふふ、あなたは相変わらずね」


 エルメルトンは控えめに笑った。地味に再開してから初めて見た彼女の笑顔かもしれない。


「んじゃあまずふたりを起こしてーっと」

「んにゃ……」

「もうあさですか……」


 寝坊助なアトリはともかく、珍しくスティアまで遅い。昨日は色々イベントがあったし、流石の彼女も疲れていたのかな。


「ふたりとも起こしてごめんね。一緒にお風呂入りたくて」

「ああうんーわたしも入りたかったのー」

「お供します」


 若干夢うつつの者も含めて、風呂へ入ることになった。


 ちなみに風呂と言っても、この宿には入浴施設があるわけではなく、部屋に設けられた排水エリアにお湯玉を浮かべて身体を洗うだけだ。だが昨日の夜入れなかった分、皆嬉しそうにしていた。


 よし、じゃあ再会記念ということで、今日はキンモクセイの匂いがする石鹸の使用を解禁しよう。喜んでくれるかな。


 そして楽しいバスタイムが始まった。みんなスッポンポンのムフフな姿になって、自分で作ったお湯で身体を流す。当然エルメルトンも裸で、その母性の塊がババーンと視界に入ってくる。


(ミナト、自重して)

(あ、はい)


 ……かつてないほどの圧力。俺にとって彼女は綺麗なお姉さんだけど、リアにとってはかーちゃんなのだ。そりゃあ勝手に発情されちゃ気分も悪い。ちょっと頭を冷やして奥に引っ込みますとも。

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