第209話 別れと再会
「ヒマワリ様、お待たせいたしました。皆さまのお給金と、こちらがエルメルトンの権利書です」
「ありがとうございます。……確かに。それで、エルメルトンは?」
「屋敷の玄関で待機させています。宿まで馬車を出すのでご一緒にどうぞ」
いよいよその時が来た。
(リア、代わろうか?)
(ううん、イタゥリムちゃんとのお別れもあるし、『ヒマワリ』でいる間はミナトがお願い)
早く母と触れ合いたいかと思って聞いてみたが、意外にリアは冷静だった。
(ほら、お母さんが目の前にいるってなったら、私いろいろ我慢できるかわかんないし)
(そうか。すまん、余計なことを聞いたな)
エルフという立場で言うと、まだここは敵地のど真ん中だ。そんなところで感動の再会なんて出来るはずもない。逆にリアのフラストレーションが溜まるだけだ。ここは彼女の言う通り、俺が責任をもって宿まで身体を担当しよう。
と言いつつも、俺も少し緊張しながら玄関まで向かった。
ギシカフの言う通り、エルメルトンは玄関にて、車椅子のような器具の上に座らされている。そして、またあの薬品を使ったのか、すやすやと眠っていた。
「彼女、今日の調子はどうなのですか?」
「……悪いですね。ここ数日はずっと暴れています。食事を与えるのも一苦労ですよ」
「そうですか」
「今更ですが、本当に大丈夫なのですか? エルメルトンはこう見えてかなり力が強いので、いくら魔封じをしているとはいえ、危険ですよ」
言いながら、ギシカフは眉を顰めた。彼なりにこちらを心配してくれているのだろう。確かに以前、暴れるエルメルトンの鬼気迫る光景を見たときは、思わず恐怖を抱いてしまったほどだ。あの優しい母が……と。
「以前も言いましたが、問題ありません。私たちには魔法がありますから」
「そうですか。失礼、差し出がましいことを……」
丁寧に頭を下げられる。本当にギシカフは見た目に寄らず紳士だ。
「それではご説明をば」
最終の意思確認も終わって、次はエルメルトンの説明に移る。
ここで口を酸っぱく言われたのは、彼女の拘束について。
「繰り返しになりますが、自室に到着するまで絶対にこの拘束を外さないでください。安全性を約束できないのでね。もし道中に拘束が解け、エルメルトンが暴れて周りに損害を出した場合、所有者である魔女様に責任が及びます」
「は、はい」
これだけは絶対に守ろうと思った。きっとエルメルトンはこの姿のリアを自分の娘だと認識できないだろうから。
「わかりました。それではそろそろ」
「ええ。此度は良い取引ができました。まさかマジックバッグが手に入るなんて」
「仕入れ先はヒミツということで」
「ええ。まあ、善処いたします」
何とも煮え切らない言い方だ。これは隠しきれる自信がないという言葉なのだろう。やり手の商人や貴族というのは恐ろしいもので、バラバラの情報をかき集めてひとつの真実にたどり着くなんてことを平然とやってのける。だから俺たちも気を付けないとな。またピロー村のような悲劇を招いてしまわないように。
「街をご出発の際には是非当商会を、と魔女様へお伝えください。お貴族様向けに馬車の貸し出しもやっておりますので」
「ええ、ではまた伺いますね」
一応、これでお別れというわけではないのか。でもまあ、それで次会えなかったら後悔するだろうし。
「イタゥリム」
俺はイタゥリムへと向き直る。
「ヒマワリ。あなたと出会えてよかったわ」
「ええ、私も」
「また会おうって言ってくれたこと、嬉しかった。このあたしにそんなことを言うヤツって今までにいなかったから」
「それは見る目がない人ばかりですね」
「ふふ、アンタが変わり者なだけかもしれないわよ」
そう言って、イタゥリムは小さく笑った。
「次会う時は絶対もっともっと輝いてるあたしを見せてあげるから、覚悟しておきなさいよ!」
「そうですね。期待しています」
最後に握手を交わす。俺たちはもうこれで十分。だって、いつかまた会うのだから。
「アンタたちも5日間ありがとね。まあ、何の役にも立たなかったけど!」
「そ、そんな!」
コイツ、なんてことを言うんだ! アトリとスティアはその場にいるだけで可愛くて癒されるから十分役に立っていただろ!?
「……で、でも、わたしは楽しかった! ありがとう! イタゥリムさん!」
「わたくしもよい経験になりました。ありがとうございました」
しかしメンタルの強い2人は負けなかった。強くて可愛いとか最強じゃん。
「では、ふたりともそろそろ乗りましょう」
なんにせよ最後は気持ちのいい別れになって本当よかった。そして、目的の彼女も……。
俺は眠るエルメルトンへ視線をやる。暴れていたというのが信じられないほど安らかな寝顔。リアの記憶にある彼女よりはちょっぴり疲れを感じるけれど、それでも美人だ。
さあ、早いこと宿に戻って感動の再会と行きましょうか。
部屋に戻って来た俺たちはまず部屋のベッドにエルメルトンを寝かせて、彼女の拘束具を外した。
「この人がリアのお母さんなんだね。すっごく美人」
「ええ。わたくしは自分の母の顔を知りませんが、このような感じなのでしょうか」
心配そうに母を見るリアとは違って、2人は不思議そうにエルメルトンを眺めていた。
今更ながら、2人とも自分の親に関する記憶が碌に存在しない。それゆえに、この母という存在に興味があるのだろう。
「ふたりとも、ごめんだけど、晩御飯はちょっとだけ我慢してね。お母さんが起きたら一緒に食べたいの」
「全然大丈夫! わたしもリアのお母さんと食べたいもん」
「わたくしだって」
「ありがとう……大好き」
仲間の優しさに胸をうちながら、リアはその時を待った。
ギシカフが言うにはエルメルトンに使った薬品はそう長く効果が続くものではないらしい。ナユタン商会から彼女を連れ帰ってそろそろ1時間が経過しようとしている今、彼女が目覚めるのもそう遠くない。
今のリアは自分にかけたすべての魔法を解いた、ありのままの姿。これは母が目を覚ました時、真っ先に自分の姿を見せて彼女を安心させてあげる為だそうだ。……ほんとうにいじらしいというか。
俺がリアの中に入ってもう5年近くが経過している。そして獣人の隠れ里で家族を探すと誓ったあの日から、リアはずっと今この瞬間を待ち詫びていた。だが、それにしてはリアの様子は冷静で、周りが見えている。そもそもイタゥリムと一緒に学園へ行く遠回りだって、彼女は大きな反対もなく認めてくれた。今更、そんな彼女の寛容さに成長を感じてしまう。
「…………ぅ」
そんな娘の姿を見せてあげられたら。
「あっ、起きた?」
ピクリ。小さく眉間が歪む。
そして、ゆっくりと目を開けた。
「…………リ、ア」
「そうだよ! お母さん! 私だよっ! 会いたかったっ……」
視界は闇に包まれ、懐かしい匂いが鼻孔を擽る。頬に当たる柔らかな感触がリアの感情をこれでもかと刺激する。気が付けば、とめどなく涙が溢れ出していた。
「ああ、リア……リア……どうして、あなたがいるの?」
「ずっと探してたんだよっ! また家族で暮らすために!」
「そう……そうなのね」
ゼロ距離で聞こえてくるエルメルトンの声は穏やかだった。数時間前まで暴れていたという伝聞が嘘のように、今は大人しくリアの抱擁を受け入れている。
「そう。私は……ついに、死んでしまったのね……家族を探し出す目的も果たせずに……」
「へっ!?」
ただ、ちょっと予想外の反応が返ってきて、リアは思わず母から身体を離した。
「リア……苦しかったでしょう? さみしかったでしょう? でも大丈夫よ。これからは私がいる。ようやくあなたの元へ来られたの。最期にこんな思いができるなら、死ぬっていうのも案外悪くないわね」
「ちょっちょっ! お母さん!? 正気に戻って!?」
そう来たか……。しかし、娘を愛する母として、こういう反応も正直納得ができる。エルメルトンは、記憶にあるリアの母は優しさの具現化のような人だった。いつも自分よりも家族を優先するような、そんな人だったから。
「リア……もっと顔をよく見せて? あら、なんだか大きくなって……お姉ちゃんそっくりに。エナルプに里を汚されることなく育っていればこんな姿になっていたのね……」
「お母さん! お母さん! 私もお母さんも死んでないよ!?」
でも今はちゃんと現実に帰ってきてほしい。そのうえでリアは再会を喜び合いたいのだ。
「ごめん!」
「──きゃっ!」
気付け代わりに静電気でバチっとやった。痛みによってエルメルトンの寝惚け眼はちょっぴりマシになった……気がする。
「お母さん、起きた?」
「え? ええっ?」
勝手に死後の世界へ入り込んでいたエルメルトンはようやく意識が本覚醒したようで、キョロキョロと辺りを見回していた。
「ここは?」
「私が泊ってる宿だよ」
「あなたは?」
「もう、娘の顔を忘れないでよぅ」
「……ほんもの?」
「に、決まってるでしょ?」
きっと強制的に眠らされていたこともあり、記憶が混濁しているのだろう。そんな時に突然娘が現れたとか言われても、すぐには飲み込めない。
「なにが……どうなってるの……」
「大丈夫。お母さんに酷いことするヤツはどこにもいないから、ゆっくり、安心して私の話をきいてね」
母の肩を優しく摩りながら、リアはこれまでの冒険を語るのであった。
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