第208話 イタゥリム
「終わってしまいましたね」
「ええ。これが交流会のシメだと思うと、なんと言うか……あっけないわね」
懇親会は特に波乱もなく終わった。喋って、飯食ってそれで終わり。
俺たちはいつものように馬車に乗ってナユタン商会の屋敷までの帰路についていた。
「花組の紺反生があの場にいなかったのは大きいですね。そうじゃなかったら、お嬢さまってば絶対絡まれてましたよ」
特にあのエミユンとかいう貴族がいなかったおかげで平和だった。おそらく紅等生のストライキの件で色々と揉めているんだろう。
「エステモ様は大丈夫でしょうか」
「大丈夫に決まってるでしょ。あの子だって家の力が弱いというわけではないし、それにアンタが言ったようにもしもの時はもっと大きな力を頼るでしょ」
エステモの親は偉い研究者ということもあり、アイロイ様やこの国の王であるリブリアン大公との繋がりもあるという。もっとも彼女自身は養子ということもあり、そういった繋がりを頼るという考えに至らなかったようだが。
「それに……あたしだっているし」
小さな声で言うイタゥリムの表情は、彼女の特徴的な肌色のせいでいつもと変わらないように見えた。でも、ちょっと照れているのはわかる。
「……なにジロジロみてんのよ」
「いえ、別に」
優しいやつだな。イタゥリムは時にとんでもない発想に至るビックリ箱だけど、基本的には好ましい性格の女性だ。最初彼女に会った時はどうなることやらと心配だったが、今では知り合えてよかったと思っている。
ここ数日の記憶を振り返って、ふと気づいた。
ああ、そうか。もうこれで彼女の使用人としての仕事は終わりか……。
その思いに至ると、途端俺は異様な寂しさに包まれた。これまでの旅で多くの別れを経験してきたはずなのに、これほどの感情に苛まれた事はない。彼女といた時間は総合して1週間程度だというのに……どうしてだろう。
「お嬢さま、私はこの仕事をいい形で終えられてよかったです。これもすべてあなたが最善を尽くしたおかげです。ありがとうございました」
俺はイタゥリムへ頭を下げた。とにかく、彼女とはちゃんとした別れがしたいと思ったからだ。
「…………」
「お嬢さま?」
だが、彼女から返事はなかった。そのまま俺たちの間に会話は生まれず、乗せた馬車はナユタン商会へとたどり着く。
しまった……どこか、言い方が悪かったのかな。
「おおっ! おかえり! イタゥリム! それにヒマワリ様も!」
馬車から降りた先にはギシカフが待ち構えていた。なんだか凄く機嫌が良さそう。
「どうも」
「ただいま、パパ」
「イタゥリム、話は聞いたぞ? とんでもない魔法で貴族たちの度肝を抜いきたようだな!」
おっと耳が早いな。流石の商人の情報網だ。
「まあ、結局不合格だったけどね」
「だが結果として目立てたのならよいではないか。それで、どうだ? 結局、婿候補は見つかったのか?」
神妙な面持ちで娘の顔色を伺うギシカフ。なんだ、まだ父には婚活をやめたことを話していなかったのか。
「別にいいのよ、パパ。結婚相手なんて」
「えっ、しかし……」
「あたし気づいたの。たとえ貴族の血を得たとして、それで幸せになれるとは限らない。それで満たされるのは一時の虚栄心だけよ」
「イタゥリム! なんというか、大人になったな……」
大人になった。確かにその言葉が彼女の変化にピッタリだった。
イタゥリムは自分の価値を知ったのだ。自分の能力を知り、どんな行動をとれば人を魅了できるか、他人といい関係を築けるかがわかった。すなわち自分を客観視できる能力が進化したといっていい。そしてその結果「貴族の子弟なんかに私は勿体ない」と、そう思い至ったはずだ。
「今までたくさん支援してくれたパパには悪いけど、これからは結婚相手じゃなくて、紅等生の主席卒業を目指すことにするわ」
「おおそうか! 新しい目標が見つかったんだな! パパ、引き続き応援するから頑張るんだぞ!」
「ありがとう」
そんなやり取りがあって、2人はがっつり抱き合った。この親子、本当仲いいな。
「し、失礼しました……」
しばらくそんな光景を端から眺めた後、恥ずかしそうなギシカフに頭を下げられた。
「ヒマワリ様、この度はウチの娘が本当にお世話になりました」
「いえいえ。私も楽しかったので」
「そうですか……それはよかった。それで、この後なのですが……」
娘と抱き合って蕩けていた表情が引き締まり、一瞬の内に威厳を取り戻すギシカフ。
そう、今日俺たちがこの屋敷に寄った目的を果たせねば。
「契約書の通り、5日間の給金とエルメルトンの権利書をお渡しいたします。身柄の受け渡しも本日でよろしいですかな?」
「ええ」
「承りました。それでは一旦お部屋へご案内します」
そう言って、俺たちは以前にも入ったことのある応接室へと通される。案内した後、ギシカフは準備の為に部屋を出て行ってしまった。その結果、部屋の中には俺たち3人と……イタゥリムが残った。彼女は先ほどから口を聞いてくれない。やはり怒らせてしまったのだろうか。
「あの、お嬢さま?」
「…………」
うーん、こんな別れ方は嫌なんだけどな。
「お嬢さま」
「……もう、あたしは『お嬢さま』じゃないでしょ」
「えっ?」
「だから! 契約は終わったの。もうあたしはアンタの主人じゃないのよ!」
イタゥリムは怒鳴るように声を荒げた。
最初は『お嬢さま』と呼ばせたくて必死だったのにどうして……。
「契約が終わったからって、あなたと過ごした5日間がなかった事になる訳ではないです。だからそんな寂しいこと言わないでくださいよ」
「ダメよ、呼ばないで」
「ここに来て、どうしてそんな頑ななのですか……」
「うぅ……だってだって……」
イタゥリムはしょんぼりと肩を落とす。そして今にも泣き出してしまいそうだった。
「お嬢さま?」
「……そんなに呼びたいのなら、呼べばいいじゃない」
「えっ? じゃあ──」
「そのかわり! ……アンタ、ずっとあたしのところで働いてよ」
そう言った彼女の声は終わりに向かって、段々と小さくなっていった。
「そういうことですか……」
「うぅ……ごめんなさい。あたしってば最後まで捻くれてて」
「いいんです。そう思ってくださることは嬉しいですし」
「じゃあ」
「でも、ごめんなさい。それはできません」
はっきりと口にする。イタゥリムも答えはわかっていたようで動揺はなかった。
「まあ、そりゃあそうよね」
「ごめんなさい。いつまでも『お嬢さま』と呼ぶのは無神経でした」
彼女は突き放すことで、『ヒマワリ』への執着を捨てようとしていた。どうしてそれをすぐに察してやれなかったんだ。
「いいのよ。あたしもワガママはもう言わないわ」
「おじょ……イタゥリムさん」
気丈に振る舞う彼女に胸が締め付けられた。でも、俺たちはこのままではいられない。目的があるから。
そう、彼女が言った通り、いつまでもヒマワリはイタゥリムの使用人ではいられない。ならば、俺たちは寂しいまま別れないといけないのか。モヤモヤした感情が胸の中に渦を巻く。
(ミナトってさ、結構面倒な性格してるよね)
(え?)
ふと、リアが語りかけてくる。
(いやだってさ、察しが悪い癖に何事も白黒つけようとするじゃん)
(悪いかよ。そりゃあ誰だって曖昧なまま終わりたくないだろ? イタゥリムとだってすっきり爽やかに別れたいじゃん)
(悪いとは言ってないよ。曖昧にしたくないってのはミナトの良いところだと思う。でも察しが悪いから、これって答えにたどり着けないのがまたミナトだよねーって感じ)
どういうことだよ! まさかのリアに俺という人格を見透かされている。
(あのね、私思ったんだけど、イタゥリムちゃんって私たちにとっては結構特殊な人間なの。なんでかわかる?)
(え? わからん!)
(ほーら、察し悪い。そゆとこだよ。……いい? イタゥリムちゃんだけなの。私じゃないミナト自身が知り合って、絆を深めて、そんでもって大切な存在になったのってさ)
(……そうか)
言われてみれば『ヒマワリ』というキャラを作ったとはいえ、ずっと彼女と相対していたのは俺だった。そして俺の感覚をもってして、彼女のことを気に入った。
ワガママで努力家でやさしくて、ちょいツンデレ入った可愛い女の子。そんなイタゥリムを俺は好きになったのだ。勿論、恋愛感情とかそういうんじゃないけれど。
(昔、ミナトが私に言ったこと教えてあげようか?)
(昔?)
(エスパテロでオリカと嫌な別れ方して色々悩んでた私にさ、ミナト言ったじゃん。『また来ればいいんじゃね』……って。その言葉、今そっくりそのまま返すよ)
ハッとさせられた。そうか、俺は今そういう気持ちだったんだ。
奇しくも、あの頃のリアとは状況が似ている。けれど、少し違う。それは伝えたい相手が目の前にいるということ。なら、俺が彼女に伝える言葉は決まっている。
「イタゥリムさん……いや、イタゥリム!」
「な、なによ」
「私、絶対またこの街に来ます! だから、その時には必ず会いましょう!」
「え……う、うん! 約束よ!」
またイタゥリムに会いたい。今度は主人と側仕えの関係じゃなくて、新しい関係として色んなことがしたい。
そう彼女は俺の、この世界で初めての『友達』になったのだ。
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